藤原定家とはどんな人?生涯・年表まとめ【百人一首や和歌も紹介】

藤原定家の年表

1162年 – 0歳「京都で生まれる」

京都で定家は生を受けた

有力な歌人の家系に生まれる

藤原定家は、1162年に父は藤原俊成、母は藤原親忠の娘、美福門院加賀の次男として生まれました。父俊成も有名な歌人であり、母も歌人であったために、まさしく歌壇会を担うことを約束されたような経歴でした。

父俊成は歌人として、古歌や物語の情景・心情を歌に映し奥行きの深い情趣を表現する本歌取や物語取などの技法を確立した人物でした。定家はその影響を受け、尚その作風を進化させ、「幽玄」「艶」と呼ばれる表現を確立し、歌道から能楽・茶道をはじめとする日本の芸能に影響を与えたといいます。

1175~1177年 – 14~16歳「病弱な青年時代を過ごす」

大病に悩まされる

生涯呼吸器系の病気に悩まされる

生涯病気に悩まされたという定家

2度の大病を患う

1175年の定家が14歳の時にはしかを患い、16歳の時に疱瘡にかかって命の危機にさらされました。
はしかも疱瘡も、平安時代当時は死亡する可能性もあり、助かったとしても後遺症が残る可能性が高かったといいます。この2度の大病を乗り越えることが出来たのは定家にとって幸運だったと言えるでしょう。

風邪の症状に度々悩まされた定家

2度の大病は乗り越えたものの、定家は生涯呼吸器系の病気を患っていたといいます。定家は明月記の中で、「心神不快」・「心神迷惑」・「心神常に違乱」といった言葉が随所に使用しており、若い頃から病弱だった様子が伺い知れます。

とりわけ日記に咳病や風病が頻繁に記録されており、呼吸器系の疾患で冬になると毎年のように悩まされていたようです。そういう時は、写経や書写を通して持病の不快感を克服していたといいます。

1179年 – 17歳「初歌合せに参加し和歌の才能が認められる」

定家が初めて歌合せに参加した賀茂別雷神社

賀茂別雷神社で初歌合せをする

1179年に行われた賀茂別雷神社の広庭で行われた歌合せが、定家にとっての初歌合せとなり歌壇会のデビューを果たしました。その後、「堀河院題百首」という初めての作品集を作ると、父・俊成、母・美福門院加賀はその出来栄えに感涙したといいます。また、藤原隆信・寂蓮・俊恵ら歌人からも賞賛を受け、さらには右大臣・九条兼実からも賛辞の手紙を送られてきたといいます。

九条家へ出仕し和歌への足掛かりを作る

慈円

1185年に新嘗祭で源雅行に嘲笑されたことに激昂し、脂燭で顔面を殴打させるという事件を起してしまいます。この時に朝廷の除籍処分を受けたため、摂政九条兼実の家司として使えたといいます。この時に、兼実弟の慈円と親しくなっています。

慈円も有名な歌人であったため、この時期にも有名な歌人と交友を深め、和歌の腕を磨いていたと言われています。

1204年 – 43歳「新古今和歌集を編集する」

選者の一人に選ばれた寂蓮

新古今和歌集の選者の一人に選ばれる

藤原定家は、後鳥羽院の院宣により作成された「新古今和歌集」の選者の一人に選ばれました。選者は定家以外に 源通具・六条有家・藤原家隆・飛鳥井雅経・寂蓮の6人が抜擢されました。この勅撰和歌集では47首が採用されています。

後鳥羽上皇に逆鱗に触れ、和歌の公的な活動を禁止される

自身も優れた歌人であった後鳥羽上皇

1220年、昇進面に不満を持っていた藤原定家は、内裏歌合せの時に官途の不満を和歌で歌い後鳥羽上皇の怒りを買いました。そして勅勘を命じられ、公的な和歌の活動を禁止させられてしまいました。しかしその後1221年に承久の変が起こり、後鳥羽上皇が隠岐に流されたことから奇しくも和歌の活動に復帰することになります。

1235年 – 74歳「小倉百人一首を編集する」

小倉色紙

小倉百人一首を作り、歌の入門書として愛用される

1235年、宇都宮頼綱から嵯峨野に建てた別荘の障子色紙に、古来の歌人の和歌を1首ずつ選定してほしいとの要望を受けます。そこで定家は天智天皇から順徳院に至るまでの100人の歌人の和歌を、1首ずつ選んで頼綱に対して書き送ったといいます。

当初は「小倉山荘色紙和歌」「嵯峨山荘色紙和歌」「小倉色紙」などと呼ばれていましたが、最終的に小倉山で編集されたことに因んで「小倉百人一首」と呼ばれるようになりました。この和歌集は、江戸時代に木版画が発達したことにより、絵入りの歌カルタとして庶民にも普及していくこととなったのです。

1241年 – 80歳「死去」

藤原定家の墓

80歳で薨去、相国寺に葬られる

80歳で死去した藤原定家は、京都の相国寺に葬られました。お墓の隣は、足利八代将軍足利義政ですので、不思議な縁を感じてしまいます。相国寺が定家の死よりも後に建てられた寺なのですが、なぜ相国寺に墓所があるのかは詳しくは分からないようです。

藤原定家の関連作品

おすすめ書籍・本・漫画

藤原定家 (コレクション日本歌人選) (日本語) 単行本

藤原定家の和歌を知ることができ、著者の木順三氏の解説も分かりやすいので和歌の入門書としてもおすすめです。訳文だけでなく、その歌に対する評価も書かれており、いろいろな視点で定家の和歌を楽しむことができます。

藤原定家全歌集 下 (ちくま学芸文庫) (日本語) 文庫

藤原定家の作品をさらっと読むことができます。適度に注釈と解説がついているので、和歌にそこまで詳しくないという人でも読みやすいです。定家の妖艶な作風を余すことなく知ることができる、おすすめの1冊です。

定家明月記私抄 (ちくま学芸文庫) 文庫

後鳥羽上皇に「歌は上手いが、性格は偏屈だ」と言われた藤原定家の日記「明月記」です。確かに愚痴とゴシップ好きを現在でも感じとることができますが、そのため1級の歴史資料が生まれたと言えます。歴史好き全般に読んでみて欲しい1冊です。

おすすめの動画

百人一首の藤原定家 驚愕の超絶技巧と隠された秘密 物語二百番歌合【古典作品技紹介】

藤原定家の神業の和歌を、歌合せのルールに合わせて解説してくれています。本で読む以上に、和歌の奥深さを知ることができる分かりやすい動画でおすすめです。

百人一首に隠された謎 パズルのピースをつなげて定家の暗号を解読!!【古典作品技紹介】

動画リンク

最近研究が進んでいる「小倉百人一首」には定家の暗号が隠されているという説を分かりやすく解説されています。百人一首の別の可能性を見ることができて、和歌のファンは必見です。

おすすめドラマ

知ってる?百人一首

子供と見たい百人一首が分かるDVDです。とにかく分かりやすくをコンセプトで作ってあるので、子供も見ていると自然と百人一首を覚えてしまうと評判です。子供の教育として、見せてあげたい作品です。

NHKDVD おじゃる丸 百人一首でおじゃる丸&ベストセレクション

人気のキャラクター「おじゃる丸」が百人一首を解説してくれるので、子供に興味を持たせたい方向けです。ただし5首のみの紹介なので、あくまで興味を持ってもらうということが目的になります。おじゃる丸の普通の話もあるので、そこも楽しめます。

関連外部リンク

藤原定家についてのまとめ

いかがでしたでしょうか。藤原定家を今回執筆してみて、筆者の感想は「変わり者の芸術肌なおじちゃん」という印象でした。芸術肌で頑固な人は、時代を超えているのだなということと、その頑固な性格が功をなして「新古今和歌集」「明月記」という作品が出来たのではないかと感じました。

そして、定家が残した「小倉百人一首」は時代を超えて愛され続け、多くの人への和歌への関心を向けることができた功績は非常に大きいです。死して尚、功績を残すことができて、定家も歌人冥利に尽きるのではないでしょうか。この記事を通して、和歌に興味を持ってくれる方が増えることを願っています。長い記事を最後まで読んでいただきありがとうございました。

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4 COMMENTS

わーーーーーだ

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