日清戦争とは?原因や結果、結ばれた条約までわかりやすく解説

「日清戦争が起こった原因や結果は?」
「日清戦争と日露戦争の違いや関係性は?」
「日清戦争が与えた影響は?」

日清戦争に関して、以上のような疑問をお持ちの方も多いのではないでしょうか?日清戦争は日本と清が朝鮮半島をめぐり争った戦いであるとともに、近代化した日本が初めて経験した外国との戦争です。日露戦争とともに現代にも直結する非常に大きな意味を持つ戦いでした。また戦いの背景には、単なる日本と清の戦争だけではなく、東アジア各国の様々な思惑が絡んでいました。

そんな日清戦争が起こった背景には一体なにがあったのか?どちらが勝ったのか?日清戦争から程なくして起こった日露戦争との関連性はあるのか?そして、日清戦争が与えた影響は如何なるものだったのか?など、日清戦争に関してわかりやすくお伝えしていきます。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

日清戦争とは?

日清戦争を簡単に解説

日本軍歩兵の一斉射撃

日清戦争とは、日本と清(しん、当時大陸にあった満州人の国家)の間で行われた戦いです。その名が示す通り、日本と清の争いではありましたが、主な戦場は朝鮮半島でした。明治維新を皮切りに近代化の道を歩んできた日本が、初めて近代化された軍隊を駆使して戦った対外戦争でした。

詳細は「戦争の原因は?」の部分で後述しますが、当時の強国であったロシアが植民地政策の一環として南へ勢力拡大を図ってきました。このロシアの南下政策に対抗するため、日本としては朝鮮を独立した近代国家にする必要がありました。その際に、朝鮮を属国化していた清と、朝鮮半島を巡って争うことになったのです。

いつ起こったの?

日清戦争を描いた木版画

日清戦争は、明治27年(1894年)7月25日から、明治28年(1895年)4月17日までの約8~9カ月間に渡り繰り広げられました。ちなみに、正式な宣戦布告が成されたのは明治27年(1894年)8月1日で、完全な終戦は、台湾を平定した明治28年(1895年)11月30日とする見解もありますが、一般的には明治27年(1894年)~明治28年(1895年)の間に、日本と清の間で行われた戦争とされています。

どちらが勝ったのか?

日清戦争当時の戦艦

ところで、日清戦争はどちらが勝ったのでしょうか?結論から言うと、日本の圧勝でした。清の海軍は日本の軍艦に接近し、乗り込んできて青龍刀を振り回す近接戦闘で挑みかかってきましたが、これは一昔前の海戦の方法でした。近代化した日本海軍は、清の船が近寄れない距離から砲撃を行い、清軍を圧倒しました。

日本は海戦、陸戦ともに連戦連勝で、一説には「戦いを通じて、日本人1人あたり平均して35発しか弾丸を使わなかった」とも言われています。

勝因はなんだったのか?

黒船来航のイメージ画

当時の清は、日本の経済規模の約5倍で、世界2位の経済大国でありながら日本に完敗しました。なぜ日本は、圧倒的な国力を誇る清に圧勝できたのでしょうか?

日本は、嘉永6年(1853年)の黒船来航に直面し、幕末動乱の時代を乗り切って明治維新を実現、約30年に渡り欧米列強に屈しない強い国づくり(富国強兵)を目指してきました。戊辰戦争で活躍し、近代陸軍の父と讃えられる「大村益次郎」以来、近代式の軍隊の育成に力を注ぎ、軍の規律や武装面で清をはるかに凌駕していました。このように準備してきた成果が、日清戦争で発揮されたのです。

日本の軍隊の基礎を作った「大村益次郎」

「眠れる獅子」と恐れられた大国 清は、新興国の日本に大敗、その弱さを露呈してしまったことで、清の領土は欧米列強に侵食されていきました。一方の日本は、その存在を世界に示し、独立国としての立場を守り抜きました。危機意識を持って近代化を推し進めた日本、そして旧来の体制のまま変わることを拒んだ清の明暗が、はっきり結果として表れたのです。

下関条約が結ばれる

下関講和会議の様子

明治28年(1895年)、日本と清は下関講和会議を開催し「下関条約」が調印されました。下関条約は全部で11カ条から成る条約なのですが、その中でも特に重要なのが第1条です。以下、下関条約第1条の引用です。

清国は朝鮮国が完全無欠なる独立自主の国であることを確認し、独立自主を損害するような朝鮮国から清国に対する貢・献上・典礼等は永遠に廃止する。(第一条)

少しわかりづらいですが、要約すると「清は朝鮮の独立を認めること」という意味です。つまり「日本が勝利したことで、清の属国だった朝鮮がひとつの国として独立することができた」のです。この他にも「台湾・遼東半島(りょうとうはんとう)・澎湖諸島(ほうこしょとう)」の割譲、多額の賠償金を獲得するなど、日本は大きな利益を得ることができました。しかし、この後にいわゆる「三国干渉」が起こるのですが、その詳細は後述します。

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