エイブラハムリンカーンとはどんな人?生涯・年表まとめ【偉大な大統領の名言や演説も紹介】

リンカーンはノーベル賞を受賞したのか

ダイナマイトを発明し、自身の遺産をノーベル賞の創設に使用させたアルフレッド・ノーベル

結論から言いますと、リンカーンはノーベル賞を受賞していません。その理由は、リンカーンがノーベル賞の受賞資格を保有していなかったことにありました。実はノーベル賞を受賞するには、受賞決定発表の段階で本人が生存していることが条件となっているのです。

ノーベル賞とは、ダイナマイトの発明者であるアルフレッド・ノーベルの遺言によって1901年より開始された、物理学、化学、生理学・医学、文学、経済学、平和へ貢献した人物に送られる世界的な賞。

1901年の時点で既に死去していたリンカーンには受賞資格がありませんでした。しかし、もしリンカーンにノーベル賞の受賞資格があれば、彼は奴隷解放やアメリカ合衆国の分断を回避した功績によってノーベル平和賞を受賞していたかもしれません。

宗教を信仰していたかは不明のまま

幼い頃より勉強家だったリンカーン

勉強家として多くの本を読み、様々な学問に精通していたリンカーンは、アメリカ大統領としては珍しく、自らの信仰を公表していませんでした。

リンカーンは、知識や理性に基づく自由思想家であり、無宗派であったと言われています。しかし、彼は演説や論文において、主に聖書を参考にした宗教的なイメージを持つ言葉を度々引用していました。その理由は、民衆へのアピールであったという説もありますが、現在では確かめようがありません。

また、リンカーンの父であるトーマス・リンカーンは、キリスト教プロテスタントの宗派の1つであるバプテスト教会の熱心な信者であり、最終的には指導者にまで上り詰め、教会の管財人も務めていました。その結果、リンカーンが成長して自由で理論的な思想をもつようになった頃には、次第にトーマスと対立するようになっていったのです。

リンカーンはなぜ暗殺されたのか

リンカーン暗殺事件の現場を描いたイラスト

1865年4月14日、リンカーンはアメリカ合衆国の首都ワシントンD.C.にあるフォード劇場で喜劇を観ている最中に、拳銃で至近距離から頭部を撃たれました。そして、翌日の朝7時22分に亡くなったのです。

リンカーン暗殺事件の犯人である俳優のブースは、リンカーンと対立したアメリカ連合国の狂信的な支持者でした。ブースの目的は、大統領であるリンカーンと国務長官のウィリアム・スワード、副大統領のアンドリュー・ジョンソンを殺害し、アメリカ合衆国の北部政府を転覆させることにあったのです。

最終的に、ブースはリンカーンの暗殺には成功しましたが、スワードとジョンソンの殺害は叶わず、アメリカ合衆国政府を混乱に陥れることができないまま射殺されることになります。そして、リンカーンの死は急進派共和党員の台頭を招くことになり、それ以降の南部諸州は過酷な政策を敷かれることになるのです。

リンカーンの功績

功績1「奴隷解放宣言を発布」

奴隷解放宣言の草案を作るリンカーンと閣僚たち

リンカーンの功績として、まず挙げられるのが奴隷解放宣言です。奴隷解放宣言とは、南部諸州の支配地域における黒人奴隷たちを解放するよう命じた宣言であり、南北戦争が続いていた中でリンカーンが1862年9月に予備宣言を行い、翌年1月1日に発布されました。

そして、南北戦争に北軍が勝利したことで、南部諸州の奴隷制度は廃止されます。リンカーンによる奴隷解放宣言をきっかけに、それまで奴隷だった人々は白人支配から解放され、アメリカ合衆国の国民として自由と人格が認められたのです。

しかし、自由の身となった黒人たちを待っていたのは、現代においても深刻な社会問題となっている人種差別問題でした。黒人たちは、リンカーンによって奴隷という身分からは解放されましたが、経済的に不利な立場は続いており、社会的弱者として差別され続けているのです。

功績2「ゲティスバーグ演説」

リンカーンはゲティスバーグにある国立戦没者墓地の追悼式典において演説を行った

Four score and seven years ago our fathers brought forth on this continent, a new nation, conceived in Liberty, and dedicated to the proposition that all men are created equal. Now we are engaged in a great civil war, testing whether that nation, or any nation so conceived and so dedicated, can long endure. We are met on a great battle-field of that war. We have come to dedicate a portion of that field, as a final resting place for those who here gave their lives that the nation might live. It is altogether fitting and proper that we should do this. But, in a larger sense, we can not dedicate – we can not consecrate – we can not hallow – this ground. The brave men, living and dead, who struggled here, have consecrated it, far above our poor power to add or detract. The world will little note, nor long remember what we say here, but it can never forget what they did here. It is for us the living, rather, to be dedicated here to the unfinished work which they who fought here have thus far so nobly advanced. It is rather for us to be here dedicated to the great task remaining before us – that from these honored dead we take increased devotion to that cause for which they gave the last full measure of devotion – that we here highly resolve that these dead shall not have died in vain – that this nation, under God, shall have a new birth of freedom – and that government of the people, by the people, for the people, shall not perish from the earth.

「87年前、我々の父祖たちは、自由の精神にはぐくまれ、人はみな平等に創られているという信条にささげられた新しい国家を、この大陸に誕生させた。 今我々は、一大内戦のさなかにあり、戦うことにより、自由の精神をはぐくみ、自由の心情にささげられたこの国家が、或いは、このようなあらゆる国家が、長く存続することは可能なのかどうかを試しているわけである。我々はそのような戦争に一大激戦の地で、相会している。我々はこの国家が生き永らえるようにと、ここで生命を捧げた人々の最後の安息の場所として、この戦場の一部をささげるためにやって来た。われわれがそうすることは、まことに適切であり好ましいことである。 しかし、さらに大きな意味で、我々は、この土地をささげることはできない。清めささげることもできない。聖別することもできない。足すことも引くこともできない、我々の貧弱な力をはるかに超越し、生き残った者、戦死した者とを問わず、ここで闘った勇敢な人々がすでに、この土地を清めささげているからである。世界は、我々がここで述べることに、さして注意を払わず、長く記憶にとどめることもないだろう。しかし、彼らがここで成した事を決して忘れ去ることはできない。ここで戦った人々が気高くもここまで勇敢に推し進めてきた未完の事業にここでささげるべきは、むしろ生きている我々なのである。我々の目の前に残された偉大な事業にここで身をささげるべきは、むしろ我々自身なのである。―それは、名誉ある戦死者たちが、最後の全力を 尽くして身命をささげた偉大な大義に対して、彼らの後を受け継いで、我々が一層の献身を決意することであり、これらの戦死者の死を決して無駄にしないために、この国に神の下で自由の新しい誕生を迎えさせるために、そして、人民の人民による人民のための政治を地上から決して絶滅させないために、我々がここで固く決意することである。」

ゲティスバーグ演説とは、「人民の人民による人民のための政治」のフレーズで知られる、リンカーンの名演説です。この演説は、アメリカ合衆国の歴史において最も重要な演説の1つとして数えられています。

ゲティスバーグ演説において、リンカーンは勇敢に戦った兵士たちの死は無駄ではなく、自由と平等のために捧げられたものであると言いました。そして、その結果として奴隷の解放や民主主義の未来が実現されるということを強く主張し、民衆を奮い立たせたのです。

このリンカーンの演説は、わずか2分間という短いスピーチでした。しかし、簡潔でありながらも力強いリンカーンの言葉は、当時のアメリカ国民の心を動かし、後世において世界的に知られることになる名演説となったのです。

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