シモ・ヘイヘとはどんな人?伝説や名言、顔の歪みの原因も紹介

シモ・ヘイヘにまつわる3つの伝説

シモ・ヘイヘは多くの伝説級の活躍をしている

シモ・ヘイヘは、多くの伝説を残しています。その中でとくに有名なものを3つ紹介します。

伝説1「規格外な戦歴の数々」

この銃口に狙いを定められたら、ほとんど逃れられなかったという

規格外な戦歴が今も語り継がれています。その一部になりますが、

  • ヘイヘがいるという林に足を踏み入れた小隊が一時間後に全滅した
  • 戦車で合流したら安全だろうと戦車に駆けよったら、戦車長をヘイヘが射撃済みだった
  • 気をつけろと叫んだ兵士が次の瞬間にヘッドショットされた
  • 最長450メートル先から銃撃された
  • 真夜中の野営中のテントで、トイレに行くまでの10メートルの間にヘッドショットされた
  • コッラー河の戦いで僅か32名で4000人のソ連軍を撃退した

などです。どれも驚くべき戦果であり、今でも伝説として語り継がれています。戦争時にソ連兵の間で囁かれた言葉で、

コッラ河付近では多くのソ連兵がヘイヘの犠牲になった

コッラー河付近はシモ・ヘイヘに殺される確率が150%。(一度狙撃されて死傷する確率が100パーセント、あまりの寒さに凍死する確率が50パーセントよって合わせて150%の意)

といわれ恐れられていました。実際にマイナス45度という極寒のフィンランドと、ヘイヘのようなスナイパー達を含めたゲリラ戦の組み合わせに、多くの死傷者をソ連兵は出しています。

伝説2「スコープを装着せずに驚異的な狙撃率だった」

スコープを装着した銃、確かに格段に見やすく凡人は感じてしまうが…

シモ・ヘイヘが愛用していたボルトアクション式M28は、3.5倍~4倍くらいの倍率を持つスコープが装着可能でしたが、ヘイヘはスコープなしで銃身についた鉄製の照星と照門のみで狙撃をしたといいます。スコープなしで300メートルの距離の中だと100パーセントヘッドショット出来たそうです。

スコープを付けない理由は、猟師時代からの射撃の慣れと、スコープの光の反射で位置を悟られることを嫌ったためといわれています。実際にヘイヘは一日中敵軍を見張っていて、相手のスコープの反射に気づいて撃退していたといいます。スコープを使用しない射撃は、人並外れた視力と集中力を必要とします。

スコープを装着したボルトアクション銃、ヘイヘはスコープなしで連射までしていた

またボルトアクションの銃で、「150メートルの距離から1分間に16発の射的に成功した」といわれています。これはボルトアクション式の銃はそもそも連射自体が難しいそうです。銃弾は5発装着できるので、1分間に最低3回クリップ給弾したことになります。そして16発も撃ち的に当てているところに、ヘイヘの驚くべき射撃能力がわかるのです。

伝説3「サブマシンガンも自在に操った」

KPサブマシンガン

ヘイヘはサブマシンガンの名手でもあったそうです。KPサブマシンガンで、記録では200人以上、非公式なものを含めると狙撃で殺した542名よりも多くの兵士を殺害したといわれています。この記録は戦争開始から怪我するまでのおよそ100日間で残されたもので、クリスマス直前の12月21日から25日までの間に、通算138名にも昇ったといいます。

しかしこの記録もわかっている範囲であり、2006年にアメリカで制作されたドキュメンタリー番組では、800人以上殺害しただろうと推定されています。まさにソ連兵にとって“白い死神”だったのです。

シモ・ヘイヘの生涯年表

1905年 – 0歳「天才スナイパー誕生する」

ロシア国境の近くラウトヤルヴィで誕生した

1905年にロシアの国境近くに位置する、ラウトヤルヴイという小さな町で誕生しました。小さい頃のエピソードなどは伝わっていませんが、軍に入るまでは猟師兼農民として働いていたといいます。射撃の大会にも度々出場し、彼の家には多くのトロフィーが飾られていたといいます。

1925年 – 20歳「兵役義務によりフィンランド国防陸軍に入隊」

フィンランド陸軍迫撃砲部隊

1925年に15か月の兵役義務のために、フィンランド国防陸軍に入隊します。新兵訓練期間は第1自転車大隊で、下士官学校を経て兵長となり、残りの期間は第2自転車大隊で過ごしました。兵役期間後は在郷軍人となり、民間防衛隊に入隊しています。

1939年 – 34歳「冬戦争が起こり兵長として参加する」

アールネ・ユーティライネン中尉はヘイヘの才能を見抜いていた

1939年から起こったソ連との“冬戦争”に兵長として招集され、フィンランド陸軍歩兵第12師団第34連隊第6中隊に配属され、コッラー河周辺の防衛を任されました。第6中隊の指揮官は“モロッコの恐怖”と綽名されたアールネ・ユーティライネン中尉で、射撃成績等から判断しヘイヘを小隊に所属させず、もっとも能力を発揮できる狙撃兵の任務に就かせています。

白い死神の活躍

防寒も兼ねて顔まで隠しているのでまさしく白い死神のようだ

戦争は平均気温は-20度~-40度という極寒の中、純白のギリスーツを身に着け狙撃しました。ソ連兵はヘイヘの事を、“白い死神”“災いなす者”と呼び恐れたといいます。ヘイヘは怪我するおよそ100日間の間に、非公式なものを含めて542名殺害したとされています。しかしこの数字もカウントされていない人数もあり、実際は800人くらいだったのではないかといわれています。

瀕死の重傷を負う

講和条約によりフィンランドは大幅に領土を奪われたものの全面占領は死守した

ヘイヘを排除すべく赤軍では大砲による攻撃や、カウンタースナイパーを配置して対策しました。そのため1940年の3月に赤軍の銃撃によって顎を撃ちぬかれる重傷を負っています。何とか一命を取り留めましたが、コッラーの軍の仲間にヘイヘの戦死が伝えられており、病院で葬式が行われていたそうです。しかし葬式の途中でヘイヘが生きている事がわかったといいます。負傷から1週間後に意識を取り戻しましたが、その時には冬戦争は終わっていました。

終戦後褒章を授与される

戦後大元帥であり、大統領でもあるマンネルヘイム元帥と面会し受勲した

終戦後ヘイヘは、グスタフ・マンネルヘイム元帥と面会し、第1級自由十字褒章とコッラー十字章を受勲しています。さらに兵長から少尉へと5階級特進という異例の昇進をしました。その後は戦場に戻ることなく、猟師兼猟犬ブリーダーとして余生を過ごしたといいます。

2002年 – 96歳「ルオコラハティで静かに息を引き取る」

ルオコラハティの街、ここで晩年は静かに暮らしていたという

2002年にロシアの国境近くの町ルオコラハテイで、96歳で死去しました。死去するまでは、ヘラジカ猟を営み、第8代フィンランド大統領のウルホ・ケッコネンと一緒に狩りを楽しんだこともあったそうです。現在ヘイヘの生まれ故郷であるラウトヤルヴィとコッラーとシモ・ヘイヘ博物館があり、夏に一般客に開館しています。

シモ・ヘイヘの関連作品

おすすめ書籍・本・漫画

終末のワルキューレ 1巻 (ゼノンコミックス)\

神様と人間が戦う格闘漫画で、その中でシモ・ヘイヘが出てきます。2021年に念願のアニメ化も決まり、着々と放映まで準備が進められているそうです。歴史好きは是非読んでみたい漫画ですね。

氷風のクルッカ―雪の妖精と白い死神

シモ・ヘイヘを含めた登場人物全てを女体化した作品です。作者が元自衛官ということもあり、戦場の描写に臨場感があるという評判です。独立を保つために小国が大国に立ち向かう姿は、その勇ましい軍人たちを心から応援してしまう1作です。

白い死神

作者がシモ・ヘイヘと同じフィンランド人ということもあり、フィンランドや狙撃手・冬戦争に興味がある人には、是非お勧めしたい1冊です。今までヘイヘ自身の慎ましい性格ゆえに、本が出ていなかったそうですが、シモ・ヘイヘを視点とした狙撃兵の適正、戦闘での分析など非常に興味深い本です。ヘイヘに興味がある人は間違いない作品です。

おすすめの動画

【実話】1人で500人以上を倒した伝説のスナイパー『シモ・ヘイへ』【白い死神】

シモ・ヘイヘが凄いという話題になった動画で、再生回数はなんと300万回を越えている動画です!絵も可愛いですし、内容も簡潔にわかりやすく説明していて非常に興味深い動画です。シモ・ヘイヘがどんな人かざっくりと知りたいという人に特におすすめです。

【世界の軍人】シモ・ヘイヘ!フィンランドの白い死神を解説!

シモ・ヘイヘの戦歴を含めた解説を、写真で解説してくれます。ヘイヘの写真やフィンランド軍の写真もふんだんに出てくるのでイメージが湧きやすい動画です。

おすすめの映画

Winter War Battle of the Cold Defense Original Complete Edition

フィンランドとソ連の局地戦を描く“冬戦争”を描いた1989年にフィンランドで制作された戦争映画です。フィンランド作製の映画なので、アメリカや日本の映画とはまた違った雰囲気が出ています。ヘイヘが主人公の作品ではありませんが、フィンランド人の戦争の記録を残しておきたいという思いがひしひしと伝わる作品です。

おすすめアニメ

アニメ「終末のワルキューレ」 ティザーPV

2021年にアニメ化が決定した「終末のワルキューレ」の予告画像です。2021年2月現在で、放送日は未定ですが、2021年度中には放映されるのではないかと予想されます。絵も非常に綺麗で、放映が待ち遠しいですね!

関連外部リンク

シモ・ヘイヘについてのまとめ

いかがでしたでしょうか?筆者はシモ・ヘイヘは動画を見て知ったのですが、「ムーミン谷のゴルゴ13」と噂されていて、戦歴を知って確かに「ゴルゴ13みたいだなあ」と驚いたものです。しかしヘイヘに限らずスナイパーは寡黙な人が世界的に多いので、ヘイヘも寡黙だったと知って淡々とこなしていくようなタイプが向いているのかなと思ったりもしました。

ただし多くの人を殺害したというのも事実です。ヘイヘも戦争がなければ、猟師としてずっと過ごしていたことでしょう。ヘイヘのような“白い死神”が再び現れないように世界が平和であったらと願う次第です。最後までお付き合い頂きありがとうございました。

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