ジャンヌ・ダルクとはどんな人?生涯・年表まとめ【功績、逸話や名言、死因も紹介】

ジャンヌ・ダルクの生涯年表

1412年 – 0歳「フランスの小さな村で生まれる」

ジャンヌ・ダルクの生家

ジャンヌ・ダルクの家族

ジャンヌはジャック・ダルクとイザベル・ロメという農夫婦の間にできた子供です。兄妹は5人おり、ジャンヌは4番目の子供でした。ジャンヌが生まれたのはバル公領にあるドンレミという小さな村でした。村では「ジャネット」という愛称で呼ばれていたと後の裁判で語っています。

生まれ年は定かではない

ジャンヌは1412年頃に生まれたとされています。何故このように曖昧な表現なのかというと、ジャンヌは1431年宗教裁判にかけられた際に年齢を問われ「19歳くらいだと思う」と答えたのです。

つまり彼女自身も正確な年齢を把握していなかったということになります。
当時のフランスでは誕生日を祝うという習慣がなかったため、自分の年齢を正確に把握していないのはごく一般的な話でした。年齢を聞かれたときは「〇歳くらい」という曖昧な表現をするのが当たり前だったのです。

生年をきちんと把握しているのは貴族などの地位の高い人々のみなので、農村生まれのジャンヌが年齢を把握していなかったのは当然だと言えるでしょう。

1424年 – 12歳「神の声を聞く」

大天使ミカエル

神の声を聞き使命感に駆られる

ジャンヌは12歳の頃、大天使ミカエル・聖カタリナ・聖マルガリタの姿を見てお告げを受けます。そのお告げの内容は「戦争に参加してイングランド軍と戦い、王太子シャルルを王位に就かせなさい」というものでした。

神々の姿は実に美しく、3名が消え去った後に泣き崩れたと後の裁判でジャンヌは語っています。神々から直接お告げを受けたジャンヌは「フランス軍を救わねばならない」という使命感に駆られるようになります。

1428年 – 16歳「フランスを救うため村を出る」

ドンレミ村

ドンレミ村を去る

16歳になった頃、ついにジャンヌは生まれ育ったドンレミ村を去ることになります。ジャンヌの両親、特に父親はジャンヌを溺愛しており村から出ることを決して許しませんでした。結局ジャンヌは両親に話すことができないまま、親類のデュラン・ラソワに頼み込んで村を出ていく手伝いをしてもらいました。ジャンヌはデュランと共にヴォークルールへと向かいます。

謁見を願い出るも追い返される

ヴォークルールへと赴いたジャンヌは、当地の守護隊長であったボードリクール伯に王太子へ謁見する許可を願い出ます。しかしボードリクール伯は、村娘であるジャンヌの話などまともに聞こうとはせず追い返してしまいます。しかし、ジャンヌは諦めませんでした。

1429年 – 17歳「オルレアンを奪還する」

シャルル7世

予言を的中させる

再びボードリクール伯と面談の機会を得たジャンヌは「ニシンの戦いでフランス軍は敗北するだろう」という予言をします。

負ける見込みの無い戦いであったためボードリクール伯は信じませんでしたが、フランス軍は壊滅的な状況に追い込まれ退却を余儀なくされます。見事に予言を的中させたジャンヌに、ようやくシャルル7世へ謁見する許可が下りたのです。

シャルル7世への謁見

シャルル7世へ謁見したジャンヌは、自身が受けた神のお告げのことを話し「自分はフランスを救うことができます」と言います。シャルル7世にとって神のお告げを聞いたと話すジャンヌは「魔女なのではないか?」と周囲に告発される危険性をはらんでいました。

ジャンヌが異端者であるという可能性を排除するため、シャルル7世はジャンヌの身元を調査し、神学者たちに審問をさせます。その結果、神学者たちによってジャンヌは「高潔なキリスト教徒である」と認められるのです。シャルル7世から、男装し甲冑を着る許可を得たジャンヌはこうしてフランス軍に入隊しました。

オルレアン包囲戦へ

オルレアンに入るジャンヌ・ダルク

オルレアン包囲戦は百年戦争の最中に起きた戦いです。1428年10月12日に勃発し、1429年5月8日まで戦いは続きました。

ジャンヌがオルレアンに到着したのは1429年4月29日でした。その時、オルレアン包囲戦はイングランド軍が優勢でした。オルレアン市民の間では既に救世主としてのジャンヌの話が伝わっており、ジャンヌは歓迎のもと迎えられることになります。

到着後、ジャンヌは味方の士気を高めるためパレードを行い、お金やパンを配りました。イングランド軍に対し降伏を求めに行きますが、罵倒で追い返されてしまいます。

そして5月4日、フランス軍はサン・ルー砦へ攻撃を仕掛け陥落させることに成功します。翌5日に開かれた軍事会議でジャンヌは、サン・ジャン・ル・ブラン砦とオーギュスタン砦を攻め込むべきだと主張し、翌日にその作戦が決行されることになるのです。

オルレアン奪還

5月6日、作戦通りにサン・ジャン・ル・ブラン砦を奪取し、オーギュスタン砦の攻略にかかります。イングランド軍の激しい攻撃によりフランス軍は一時撤退を余儀なくされるのですが、ジャンヌが旗を掲げ攻撃を再開したころから軍隊は彼女のもとに再集結します。そして夕暮れ頃、ついにオーギュスタン砦を奪取しました。

5月7日、トゥーレル砦の攻略が始まります。ジャンヌを先頭にフランス軍は砦へ突入、しかしジャンヌは肩を弓で射抜かれ治療のため一時戦線を離脱します。ジャンヌが死ぬのではないかという考えがフランス軍の士気を低下させました。

しかしジャンヌはすぐに戦線の先頭に復帰し軍を鼓舞します。負傷しながらも隊の先頭に立ち、懸命に指揮を執る彼女の姿を見たフランス軍は更なる追撃を仕掛け、ついにトゥーレル砦を奪取しました。そして翌8日、イングランド軍は要衝であったトゥーレル砦を奪われたことにより撤退を開始します。

こうして約7ヵ月にも及んだオルレアン包囲戦は、フランスの勝利で幕を閉じました。オルレアンが解放されたのは、ジャンヌが到着してわずか9日後のことでした。

領土を次々に取り戻す

15世紀に描かれたオルレアン包囲戦の絵画

オルレアン解放により勢いをつけたフランス軍は、イングランド軍に支配されていた領土を次々に取り戻していきます。オルレアンでの功績を認められたジャンヌは軍事会議にていくつかの作戦を立案し、そのほとんどが採用されました。

6月18日、パテーの戦いにおいて劣勢であったフランス軍は被害を最小限に留めつつ勝利をおさめます。この勝利をきっかけにフランス軍はランスに到達します。そして7月17日、ランスにてシャルル7世の戴冠式が執り行われました。

ジャンヌの一族が貴族になる

オルレアンの解放や戴冠式に至るまでの功績が認められ、ジャンヌの一族は貴族に叙されます。また「ドゥ・リス」という姓も与えられました。ただしジャンヌはこの姓を名乗ることはなかったそうです。

1930年 – 18歳「ジャンヌ、捕虜となる」

ジャンヌは捕虜となってしまう

コンピエーニュ包囲戦で捕縛される

シャルル7世の命により、ジャンヌはコンピエーニュ包囲戦の援軍に向かいます。奇襲をかけるものの激しい反撃を受け、ジャンヌはブルゴーニュ公国軍の捕虜になってしまいます。

ジャンヌは何度か脱走を試みるのですが全て失敗に終わり、身代金と引き換えにイングランド軍へと引き渡されてしまうのです。シャルル7世はジャンヌの身柄引き渡しに対し何の助けも行わなかったため「ジャンヌを見殺しにした」と非難されることが多いです。

1431年 – 19歳「火刑に処される」

火あぶりの刑に処されたジャンヌ

宗教裁判

当時のヨーロッパでは魔女や悪魔の存在が本気で信じられていました。そのため神の声を聞いたというジャンヌは異端者として扱われ、男装や魔術など様々な罪に問われます。

そして5月、男装をやめるという誓約書にサインをしなければただちに火刑に処すと宣言されたジャンヌは、誓約書にサインします。しかしその誓約書はジャンヌが聞いていた内容とは全く別の危険な内容が書かれていたのです。ジャンヌは字が読めず、それに気付くことができませんでした。

ジャンヌは女性の服装を身にまとい、牢獄で数日を過ごします。しかし、イギリス軍の男性による性的暴行の恐怖に曝され、身を守るためにやむを得ず男装に戻ります。

誓いを破り再び男装の罪を犯したジャンヌは異端者と見なされました。ジャンヌは暴行されそうになったことや衣服を剥ぎ取られそうになったことを訴えましたが全て無視され、とうとう死刑宣告を受けるのです。

火あぶりの刑

死刑宣告を受けたジャンヌは、最も残酷な処刑方法である火あぶりの刑に処されることになりました。

5月30日、ルーアンのヴィエ・マルシェ広場で1万人以上の民衆の目に晒されながら、ジャンヌは火あぶりの刑に処され命を落としました。こうしてジャンヌは19歳という若さでこの世を去ったのです。ジャンヌの遺灰はセーヌ川に流されました。

ジャンヌの死後

ジャンヌの最期の地には現在教会が建っている

ジャンヌの処刑から22年後の1453年にようやく百年戦争は終わりを迎えます。フランス軍、イングランド軍、共に多大な犠牲を払った戦争でした。

百年戦争が正式に終わった後、ジャンヌ・ダルクの復権裁判が開かれます。フランスの異端審問官は、宗教裁判におけるジャンヌの異端審問が不当であったと主張します。そして1456年、ジャンヌの有罪は覆され無罪が宣告されました。

百年戦争の最前線で勇敢に戦い、そして非業の死を遂げたジャンヌは、フランスを救った聖女として歴史に名を刻みました。

ジャンヌ・ダルクの関連作品

おすすめ書籍・本・漫画

ジャンヌ・ダルク (コミック版世界の伝記)


ジャンヌ・ダルクの生涯を描いた伝記漫画です。

子供でも読めるように配慮されているため非常に読みやすいです。小説や歴史書は難しくて手が出しづらいという人におすすめの一冊です。

奇跡の少女 ジャンヌ・ダルク


歴史の史料と共にジャンヌ・ダルクのことを紹介している書籍です。

ジャンヌの肖像や絵画などが載せられているため、イメージが湧きやすくすらすらと読めます。宗教裁判の記録が一部抜粋されており、ジャンヌの答弁は必見です。

ジャンヌ・ダルク 超異端の聖女


ジャンヌがどのような時代に生まれたのか、百年戦争の政治的背景とは何か、なぜ異端者として処刑されたのか……そういった一見難しそうなことが本書ではとても分かりやすく解説してあります。

時代や政治のことも含めてジャンヌの世界に浸りたい人におすすめです。

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ジャンヌ・ダルク

ジャンヌ・ダルクの誕生から処刑までの生涯を描いた歴史映画です。主人公のジャンヌがかなり狂信的な描かれ方をしているため好みは分かれるかもしれません。女神としてのジャンヌではなく、一人の人間としてのジャンヌの姿を見ることのできる映画です。

ジャンヌ・ダルクについてのまとめ

ジャンヌ・ダルクの壮絶な生涯について紹介させてもらいました。

ジャンヌは今でこそ神格化され聖女として扱われていますが、元々は小さな農村に生まれた普通の女の子だったのです。そんな普通の女の子が、戦争に参加してから命が尽きる瞬間まで幾度となく耐え難い恐怖に襲われていたのだろうと考えると胸が痛みます。

世界史に登場する「聖女」としてのジャンヌではなく、「一人の少女」としてのジャンヌを思いながら彼女の生涯を振り返ってみるとまた違った見え方がしてくると思います。

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