【新着】日本で起きた凶悪事件TOP30

日本で有名なタブー事件20選まとめ【タブーとされている理由も紹介】

悪魔の詩訳者殺人事件 – 1991年

事件のあった筑波大学筑波キャンパス
出典:Wikipedia

悪魔の詩訳者殺人事件は1991年7月11日に、筑波大学助教授の五十嵐一がキャンバス内で殺害された事件です。遺体の首には左に2カ所、右に1カ所の頸動脈まで達する傷があり、これはイスラム式の殺し方と言われています。

五十嵐は1990年にサルマン・ラシュディの小説・悪魔の詩を翻訳。本書はイギリスの作家がムハンマドの生涯を小説にしたもので、当時のイランの最高指導者・ルーホッラー・ホメイニーは本書に関わった者に死刑を宣告していました。

なお五十嵐の机の中から「壇ノ浦の戦い」にちなんだ四行詩が発見されています。壇ノ浦で殺されるというフレーズに五十嵐はフランス語で「階段の裏で殺される」と書いており、身の危険が迫っていた事を察知していたのかもしれません。

CIAは犯行を、イランの対外工作・テロ活動に従事するゴドス軍によるものと推測。事件は2006年に時効を迎えますが、その前から捜査は打ち切られています。これはイスラム諸国との関係悪化を恐れた日本政府の意向による可能性があり、タブーな事件と言えるでしょう。

三重小2女児失踪事件 – 1991年

加茂前家に届いた怪文書
出典:いつしかついて来た犬と浜辺にいる

この事件は1991年3月15日に三重県四日市市で当時8歳の加茂前ゆきちゃんが失踪した事件です。謎多き失踪事件として知られており、特に不気味なのは失踪から3年後に加茂前家に届いた怪文書でした。

ミゆキサンにツイテ
ミユキ カアイソウ カアイソウ
おっカアモカアイソウ お父もカアイソウ
コンナコとヲシタノハ トミダノ股割レ トオモイマス
股ワレハ 富田デ生レテ 学こうヲデテ シュンガノオモテノハンタイノ、パーラポウ ニツトめた
イつノ日か世帯ヲ持チ、ナンネンカシテ 裏口ニ立ツヨウニナッタ
イま(ゑ)ハー ケータショーノチカクデ 四ツアシヲアヤツツテイル
ツギニ
スズカケのケヲ蹴落シテ、荷の向側のトコロ
アヤメ一ッパイノ部ヤデ コーヒーヲ飲ミナガラ、ユキチヲニギラセタ、ニギッタノハ アサヤントオもう。
ヒル間カラ テルホニハイッテ 股を大きくワッテ 家ノ裏口ヲ忘レテ シガミツイタ。
モウ股割レハ人ヲコえて、一匹のメスにナッテイタ。
感激ノアマリアサヤンノイフトオリニ動いタ。ソレガ大きな事件トハシラズニ、
又カムチャッカノハクセツノ冷タサモシラズニ、ケッカハ ミユキヲハッカンジゴクニオトシタノデアル
モウ春、三回迎エタコトニナル
サカイノ クスリヤの居たトコロデハナイカ トオモウ
ダッタン海キョウヲ、テフがコエタ、コンナ 平和希求トハチガウ
ミユキノハハガカ弱イハネヲバタバタ ヒラヒラ サシテ ワガ子ヲサガシテ、
広いダッタンノ海ヲワタッテイルノデアル
股割れは平気なそぶり
時ニハ駅のタテカンバンニ眼ヲナガス コトモアル、
一片の良心ガアル、罪悪ヲカンズルニヂカイナイ
ソレヲ忘レタイタメニ股を割ってクレルオスヲ探しツヅケルマイニチ
股ワレワ ダレカ、ソレハ富田デ生レタコトハマチガイナイ
確証ヲ?ムマデ捜査機官に言フナ
キナガニ、トオマワシニカンサツスルコト
事件ガ大キイノデ、決シテイソグテバナイトオモウ。
ヤツザキニモシテヤリタイ 股割レ。ダ。ミユキガカアイソウ
我ガ股ヲ割ルトキハ命ガケ コレガ人ダ コノトキガ女ノ一番 トホトイトキダ

この手紙を書いた人はゆきちゃんを誘拐した犯人を知っている事がわかります。犯人は「トミダの股割れ=売春婦?」である事、ダッタン海峡=韃靼海峡や、カムチャッカノハクセツ等の地名が出てくる事から、執筆者が拉致の工作員の可能性も示唆されます。

また後に緒形達生という霊能力者がこの事件に協力したいと申し出がありました。しかし3日後には「妨害する別の霊が現れた為、捜査に協力できない」と申し出てきたのです。2003年には目撃情報と一致する男から電話がかかってきた事もあります。

不気味な怪文書からは売春婦やヤクザ、拉致などの日本の闇が隠されていますし、怪しげな霊能力者からの手紙、更には12年を経てかかってきた不思議な電話。この事件の背後には日本のタブーが存在する気がしてならないのです。

オウム真理教事件 – 1989年〜1995年

オウム真理教の教祖・麻原彰晃
出典:産経ニュース

オウム真理教事件はオウム真理教の教祖・麻原彰晃(本名・松本智津夫)が日本乗っ取りの為に教団と対立する人物の殺害や無差別テロを行った一連の事件の事を指します。社会に与えた影響は凄まじく、この頃は連日連夜マスコミはオウムの事を報じました。

オウムが起こした事件は数あれど、1989年11月の坂本堤弁護士一家殺害事件、1994年6月27日の松本サリン事件、1995年3月20日の地下鉄サリン事件の3つは三大オウム事件とされ、多数の死者を出しています。

松本サリン事件では無関係の河野義行氏が「さもサリンを調合した犯人」と報道され、週刊新潮は河野氏の家系図を掲載。マスコミ各社は河野氏に謝罪したものの、週刊新潮だけは現在に至るまで謝罪はしていません。

オウム真理教事件はタブーではなく、現在でも時々報道特番が組まれる事もあります。ただ一連の冤罪という点は報道界にとってはタブーと言えるのかもしれません。

オウム真理教事件を一覧で紹介!わかりやすく時系列でまとめて解説

国松長官狙撃事件 – 1995年

公務に復帰する国松長官
出典:時事ドットコム

国松長官狙撃事件は1995年3月30日に、当時の警視庁長官だった国松孝次氏が何者かに狙撃された事件です。国松長官は手術中に3度も心臓が止まったものの、2ヶ月後に公務に復帰しました。

犯人は現在も不明です。地下鉄サリン事件の10日後の出来事であり、警察はオウムの犯行と確信。結果的にオウム真理教の家宅捜索が行われる要因となりました。オウムは国松長官襲撃を否定しており、2010年に事件は時効を迎えました。

オウム真理教以外にも某宗教団体と警察庁が結束して事件をオウムの犯行に見せかけた説もあります。また「警察を奮起させる為に長官を狙撃した」と供述するNという人物もいます。彼は犯人しか知り得ない情報を多く知っており、現在は別件で服役中です。

警察内部でも「Nが犯人だ」と考える人はいたものの、彼は国松長官狙撃容疑で逮捕はされませんでした。それは警察が間違った捜査を行ったと認める事になるからかもしれません。

ナンペイ事件 – 1995年

ナンペイ事件は今でも特番が組まれる事がある
出典:号外.NET

ナンペイ事件は1995年7月30日に東京八王子市の「ナンペイ大和田店」で、働いていた3人の女性(パート従業員1人と女子高生アルバイト2人)が銃殺された事件です。女子高生が殺された事は社会に衝撃を与え、現在でも特集が組まれています。

捜査線には3人の人物が犯人として浮上するものの、うち2人は亡くなっており真相は不明。パート従業員だけは暴行された上に2発の銃弾が撃ち込まれていた事から、犯人はこの女性に恨みを持っていた可能性が示唆されます。

パート従業員は水商売の経験から多額の金を多数の男から引っ張っており、事件前には何者かに脅迫されていました。更に店長と愛人関係にあった事が後に判明しています。

彼女の過去や裏社会との関係がタブーだとしても、罪のない女子高生が事件に巻き込まれた事は事実です。3人の冥福を祈ると共に、早く犯人が捕まる事を望むばかりです。

東電OL殺人事件 – 1997年

女性の遺体が見つかった安アパート
出典:Wikipedia

東電OL殺人事件は1997年3月9日未明に東京電力の幹部だった女性が、渋谷区の安アパートで何者かに殺害された事件です。女性は東電初の女性管理職でありながら、夜は売春婦として働いていた事が判明し、世間に大きな衝撃を与えました。

5月20日に不法滞在のネパール人が逮捕されるものの、冤罪である事が分かり2012年に無罪判決となります。彼は1審で無罪判決が出ていたものの、ネパールに出国され逃亡されると有罪確定時の刑の執行が出来ない為、警察は彼を勾留し続けたのです。

現在に至るまで犯人は不明です。売春の相手や巣鴨のヤクザという説がありますが、東電が関与しているという噂もあります。彼女は反原発を訴えて幾つかの報告書も作成していました。東電は彼女を危険視し、別の実行犯に暗殺を行わせたのかもしれません。

様々な謎を秘めた東電OL殺人事件ですが、事件解決の目処は未だに立っていません。

北九州監禁殺人事件 – 2002年

北九州監禁殺人事件の主犯の松永太と、共犯の緒方純子
出典:デイリー新潮

北九州監禁殺人事件は1996年から2002年にかけて発生した監禁殺人事件です。犯人の松永太は拷問と虐待で被害者同士を相互不審に陥らせ、自分の手を汚さずに6人を殺害。松永は死刑判決を受け、内縁の妻・緒方純子は松永の共犯として無期懲役となりました。

今でこそ「犯罪史上稀に見る凶悪犯罪」としてネット上で様々な記事が散見されますが、ネットを見ない世代はこの事件の知名度は高くありません。家族同士の殺し合いが行われた事、洗脳や拷問の内容があまりにも悍ましかった為に報道規制がかけられた為です。

なお松永は人を支配下に置く事に天才的な才覚を持っており、取材で面会したフリーライターもあやうく取り込まれそうになったそうです。松永の存在自体が表に出てはいけないタブーな存在だと言えるでしょう。

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