日本で有名なタブー事件ランキングTOP30

25位:伊丹十三飛び降り自殺 – 1997年

伊丹十三の死には様々なタブーが隠されている
出典:Wikipedia

伊丹十三は、「マルサの女シリーズ」などを生み出した映画監督です。彼は精力的に活動を続けていたものの、1997年12月20日に麻布台のマンションの下で、屋上から飛び降りたと見られる遺体が発見されました。

事務所にはパソコンで書かれた遺書が見つかった事、同時期に浮気報道がなされていた事から、警察は自殺と断定したのです。しかし、伊丹は書き文字には人一倍の自信とこだわりを持つ人物。遺書を手書きではなく、ワープロを使用した事に疑問を持つ人も多くいたのです。

1992年に伊丹は、暴力団関係者に襲われて全治3ヶ月の怪我を負った事がありました。また、事件の5日前まで「医療廃棄物問題」の取材に取り組んでいた他。某宗教団体と暴力団の癒着にまつまる映画を作成予定でした。

伊丹は暴力団関係者、宗教団体、そして医療廃棄物関連の人達から恨みを買っていた事がわかります。様々な疑惑はありつつも、自殺として断定された以上、捜査が再び行われる事はありません。事件は闇に葬られたのでした。

24位:嵐真由美さん失踪事件 – 1994年

謎のメモに隠された意味とは?
出典:エントビ

嵐真由美さん失踪事件は、1994年9月2日に東京都墨田区で発生した行方不明事件です。里帰り出産の為、墨田区の実家に帰省していた嵐真由美さん(当時27歳)が、「同級生に会いに行く」と言い残して失踪します。子供も置き去りのままでした。

失踪当時、真由美さんには浮気相手がいたという話もあります。姉の洋子さんは真由美さんのクローゼットの中に「(不倫男に)裏切られた」と書き記すメモを発見したとされ、こうした不倫に対するもつれが失踪の原因と囁かれていたのです。

この事件を有名にさせたのが、2011日10月13日に放送された「スーパーJチャンネル」です。両親と姉の洋子さんは番組に登場し、姉の安否を視聴者に訴えるのですが、父親がインタビューに答えている背後に「洋子のいう事は信じるな」というメモ書きがありました。

実は真由美さんの不倫の話や、当日の状況などを話してくれたのは洋子さんの証言によるもの。このメモ書きから、姉が事件に関与しているのでは?と、大きな話題を呼んだのです。2013年には姉も失踪したという噂もあり、真由美さんの安否も現在に至るまで不明です。

23位:狭山事件 – 1961年

事件の脅迫状
出典:Wikipedia

狭山事件は1961年5月1日、埼玉県狭山市で当時高校1年生だった女子生徒が暴行の末に殺害された事件です。家族に金銭を要求する脅迫状が届けられ、警察は40人という厳戒態勢で受け渡し場所で張り込むものの、犯人を取り逃してしまいます。

後に女子生徒の遺体は被差別部落で発見され、埼玉県警は被差別部落一帯に聞き込みを開始。捜査線上にあがった被差別部落出身の石川一雄を別件で逮捕し、強引な取り調べで犯行の自白をさせたのです。

1964年3月に石川に死刑判決が下るものの、後に無期懲役となり1994年12月に仮出所。彼は今でも弁護団と無罪を勝ち取る為の運動を続けています。

本事件は被差別部落という日本の闇、警察の不祥事などのタブーが漏洩した事件です。犯人は被害者の兄という説も根強い他、被害者や石川の周囲では自殺した者もいます。都市伝説では「隣のトトロ」との関連も噂される等、謎や闇の大きさはとても大きいのです。

狭山事件とは?事件の真犯人や経緯、場所、長い間問題になっている理由について解説

22位:ライブドア事件 – 2004年

ライブドア事件に隠された闇
出典:Wikipedia

ライブドア事件は、2004年9月年度の粉飾決算などの不正をめぐり、ライブドア社の取締役・堀江貴文らが逮捕・起訴された事件です。彼らが逮捕されたのは2006年1月26日の事であり、後に堀江貴文には2年6ヶ月の実刑判決が下っています。

従来の粉飾決算による捜査は、企業が経営破綻してから行われるもの。ライブドア事件は、一般株主から集めた資金を粉飾の原資としていた事が悪質と判断され、破綻前の企業にもかかわらず異例の捜査が行われたのでした。

ちなみに堀江が逮捕される5日前の1月18日、側近であるエイチ・エス証券取締役の野口英昭が、謎の死を遂げています。野口は那覇市のカプセルホテルに滞在していましたが、腹や首、手首などをナイフで刺されており、自殺と判断されました。

ただ、野口の傷口は深くて損傷も激しく、自らナイフで刺した傷跡ではないとされています。彼の自殺を疑う声も多く、「堀江貴文主犯説」「側近説」「陰謀説」など、様々な憶測が流れました。

ライブドア事件はライブドア社にとどまらず、様々な機関や会社の不正も明らかになる可能性がありました。ただ、野口の死により事件の全貌は明らかになる事はなく、真実は闇に葬られたのです。

21位:橋北中学校水難事件 – 1955年

事故の現場となった中河原海
出典:Wikipedia

橋北中学校水難事件は1955年7月28日に、三重県津市の橋北中学校の女子生徒36人が中河原海岸で溺死した事件です。授業の一環で水泳訓練がこの海岸で行われ、参加生徒660名は性別や水泳能力で区分けされていました。

水難事故当日は無風快晴で海面も穏やかでした。しかし海に入ってから数分後に約100名の女子生徒が一斉に溺れる事態が発生。49人が引き揚げられたものの、36名が亡くなりました。

この水難事故は平常時の満ち潮では説明できない異常流が発生したとされますが、「頭巾にもんぺ姿の女性達が手招いていた」と証言した生徒もいます。実は事件の起きた10年前の1945年7月28日、津市は5度目の空襲を受けて、多くの人が亡くなっているのです。

この幽霊の「証言自体はメディアの捏造」という説もある為、真偽は不明。中河原海岸には遊泳禁止となっています。今でもこの地域では事件の事はタブーになっていると言えますね。

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