15位:大米龍雲:連続殺人犯
「くたばっちまえば、どうせ何も見えねえ(と目隠しを拒む)」
大米龍雲は、1905年から1915年にかけて連続強姦強盗殺人を行った人物です。
被害者の多くは尼僧で、彼自身も「龍雲」の法名を授かった僧侶でした。犯行は東京から京阪神まで各地に及び、報道で大米は「殺尼魔」とも呼ばれていました。
後に大米は逮捕されますが、殺害人数は不明。殺害人数は10名以上とされます。大米は1916年に絞首刑となりますが、供物の饅頭とお茶を平らげ、更に煙草を要求。最後まで尊大な態度を崩しませんでした。
14位:チャールズ・スタークウェザー-連続殺人犯
「(電気椅子の)ベルトが緩すぎる」
チャールズ・スタークウェザーは、1957年のクリスマスから12日間の間に、11人もの罪なき人を殺害した死刑囚です。
当時のチャールズは19歳。カリルという彼女にプレゼントを買う為、強盗殺人事件を起こします。更に交際に反対していたカリルの両親、更に妹も殺害しました。
カリルもチャールズ同様に凶悪な人物で、現場から2人で逃走した挙句、一連の犯行に加担。逃走から12日後に2人は逮捕され、チャールズは死刑、カリルは終身刑の判決が言い渡されます。カリルと出会った事が、彼の運命を狂わせたと言えるのです。
13位:アンリ・デジレ・ランドリュー:連続殺人犯
「この期におよんでそんな質問をするとは、失礼きわまりない」
アンリ・デジレ・ランドリューは結婚詐欺で10人の女性を殺害し、金品を巻き上げ、遺体を焼却した人物です。
彼は端正な容姿ではなかったものの、人当たりの良さや気取った物腰から女性の人気を集め、裁判は注目を集めました。
上記の彼の最期の言葉は、死刑直前に自供の意思を問われて返答した言葉です。ランドリューは遺体を全て焼却しており、裁判では一切の犯行を否定。物的証拠から死刑判決が下るものの、刑の執行直前まで無罪を主張しました。
12位:ゴードン・スチュアート・ノースコット-連続殺人犯
「祈りを!どうか私に祈りを捧げてください」
ゴードン・スチュアート・ノースコットは1920年代にかけて最低でも3人、疑惑として更に20人の少年を殺害した人物です。
彼は少年を性欲の捌け口とし、時には同じ性的嗜好を持つ顧客に貸し出していました。用済みとなった少年は殺害され、遺棄されています。
一連の事件を手伝わされていた甥っ子が犯行を自供し、ノースコットは1930年に死刑となりました。死刑宣告後のノースコットは次第に神経を病み、怯えながら絞首刑に立った事が伝えられています。
11位:マルセル・プショー-連続殺人犯
「まあいい。船出するときは荷物はすべて持っていかんとな」
マルセル・プショーは第二次世界大戦末期のフランスで最低でも26人、一説では100人以上のユダヤ人を殺害した人物です。
ナチスがフランスを占領し、多くのユダヤ人が国外脱出を図る中、プショーは手助けをするふりをして自宅にユダヤ人を連れ込み、ガス室で殺害しています。
後にプショーは逮捕され、1946年に死刑が執行されます。刑執行の前にプショーはトイレに行く事を希望するものの、それは断られました。文字通り彼は持てる荷物を持って刑に臨んだのです。