死刑囚の最後の言葉ランキング100選【日本&海外】

70位:カーラ・フェイ・タッカー-連続殺人犯

カーラ・フェイ・タッカー
出典:Wikipedia

「私はもうじきイエスに会えます。皆さんを愛しています。あなた方があちらへ来る時は私と会えるでしょう。私は皆さんを待っています」

カーラ・フェイ・タッカーは、1983年に元彼氏の家にツルハシを持って侵入し、元彼と女友達を殺害した人物です。理由はドラッグに必要なお金を工面する為、元彼の車を売ろうという身勝手なものでした。

タッカーは死刑判決が下るものの、獄中でキリスト教に改心。罪を悔い改める事をテレビで告白した事で、全米、果ては当時のローマ法王から助命嘆願が寄せられました。

しかし罪は赦されず、1998年に刑は執行され、38歳でその生涯を終えました。

69位:パトリック・ブライアン・ナイト-連続殺人犯

パトリック・ブライアン・ナイト
出典:CHRON

「ジョークを言おうか。死は俺を自由にしてくれる。まったく最高のジョークだよ。まさに俺にピッタリだ」

パトリック・ブライアン・ナイトは1991年にテキサス州で2人を殺害した人物です。

死刑は2007年に執行され、彼は人生の三分の一を死刑囚として過ごしました。彼は死刑執行の前に「時世のジョーク」を語ると予告し、公募を募ったのでした。

一連の行動は物議をかもした為、彼はジョークを言わない事を決意します。その代わりに、彼は上記の言葉を述べたのです。

68位:天津七三郎-誘拐殺人犯

俳優から死刑囚に転落した男
出典:Wikipedia

雨はふるふる 城ヶ島の磯に
利久鼠の雨がふる

天津七三郎は、元俳優でありながら死刑囚になった男です。

女性問題や元々の資質で俳優を辞めた天津は、借金で首が回らなくなり、1964年に子供の誘拐殺人を決行。現金を受け取りに来たところを逮捕され、1968年に死刑が確定しました。

彼が最期に述べたのは、遺書ではなく北原白秋が作詞した「城ヶ島の雨」でした。この歌は倍賞千恵子をはじめ、多くの人たちがカバーをしています。

67位:片桐操-銃乱射殺人

片桐操
出典:いもづる新聞net

片桐操は、1965年に渋谷でライフル銃による乱射事件を起こした人物です。

一連の銃撃戦で警官1人が殉職し、警察や通行人ら約18人が負傷。事件現場には3000人もの野次馬が集まる事態となりました。

片桐は「未成年かつ殺害人数が1人」にもかかわらず、1969年に死刑が確定し、1972年に刑が執行されます。25歳で彼は刑死しますが、その最期の言葉はある意味でとても潔いものでした。

66位:トーマス・J・グラッソ-強盗殺人犯

トーマス・J・グラッソ
出典:Wikipedia

「わたしはスパゲッティオーズが欲しかったのに、出されたのはスパゲッティだった。この事実は報道されるべきだ」

トーマス・J・グラッソは、85歳の女性をクリスマスツリーのデコレーション用のライトで絞殺した人物です。

死刑判決を受け、1995年に刑は執行されます。彼は、死刑前の最後の食事として、蒸したムール貝やスペアリブ等、様々なものを要求しました。

刑務官が唯一用意できなかったのが、缶詰のスパゲッティ(スパゲッティオーズ)であり、代わりに用意されたのが手作りのスパゲッティでした。彼はそれが許せず上記の言葉を残しています。

スパゲッティオーズは、彼にとって懐かしい味だったのかもしれません。

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