チャールズ・バベッジとはどんな人?生涯・発明品まとめ【功績や性格、略歴も紹介】

1822年 – 31歳「蒸気機関計算機「階差機関」の制作に着手」

「自動計算器」の発想を得る

大学を出て以降も数学研究に携わっていたチャールズは、今度は数表の精度の低さに危機感を覚えます。

数表は、実験や統計の基礎として使われる数列のことで、当然ながらこれが間違っていると後の全ての計算に影響が出てしまう重要なものでした。しかし当時の数表は、計算手と呼ばれる労働者たちが流れ作業的に単純計算をこなすことで作られていたため、ケアレスミスが多発。信用ならない数表が数多く存在することとなっていたのです。

コンピュータの原型となるアイディア

この現状に危機感を覚えたチャールズは「こんな単純計算は、蒸気機関に行わせればいい」と発想。数日にわたって「自動計算器」の設計を行いました。以降チャールズは「蒸気機関に計算を行わせる」という発想に魅了され、頑なに「蒸気機関による」計算機の開発に没頭するようになるのです。

なお、チャールズが「自動計算機」という発想に至った年代については諸説が存在しており、厳密には分かっていません。このトピックでは1822年の「制作着手」に被せていますが、それ以前のどこでチャールズがその発想に至ったのかについては、今も議論の種となっています。

「階差機関」の制作に着手

チャールズはこの年に、蒸気機関による自動計算器として「階差機関」の制作に取り掛かりました。

「階差機関」とは、簡単に言うと「ダイヤル式の巨大計算機」のこと。現在一般的に使われている電卓よりも複雑な計算が可能な代わりに、巨大な据え置き型で、操作も若干複雑なものでした。しかし、計算手のようなミスが起こる可能性がほとんどなく、何より操作に慣れてしまえば簡単に扱えるという事で、イギリス政府からも資金提供を受けるほど、階差機関の制作には期待が持たれていたようです。

1827年 – 36歳「相次ぐ死別」

妻子や父との死別

最愛の人たちに先立たれてしまう

この年のチャールズは、相次いで不幸に見舞われています。チャールズ・バベッジという天才の原型を育てた父、ベンジャミン・バベッジの死去や、妻であるジョージアナも病に倒れて帰らぬ人に。さらに次男と末の子も病によって失いました。

チャールズは相次いだ死別に相当参ってしまったらしく、4人との別れを済ませた後に、1年ほどの間ヨーロッパ中を旅行して傷を癒していたようです。そのため、1年ほどの間、階差機関の開発はストップしてしまいました。

1832年 – 41歳「「階差機関」制作が滞り始める」

「階差機関」制作に暗雲が見え始める

死別の悲しみを乗り越えて、階差機関の制作に尽力するチャールズでしたが、制作に携わっていたエンジニアとの行き違いから起こった仲違いによって、制作が一時ストップするという事態に直面します。

これによりイギリス政府からも、予算の減額や打ち切りを示唆される事態になってしまい、階差機関の制作には暗雲が立ち込めることとなってしまうのです。

1842年 – 51歳「「階差機関」の制作失敗と、「解析機関」への着手」

「階差機関」への金銭サポートが断たれる

この年、徐々に減額されていた階差機関の制作に関する政府からの金銭サポートが完全に打ち切りに。これにより「階差機関」の制作は失敗に終わってしまうこととなりました。この失敗により、チャールズは少しの間研究への情熱を失ってしまうことになります。

チャールズを研究へ引き戻す出会い

そんなチャールズを再び研究へと誘ったのは、エイダ・ラブレスという女性でした。エイダは、偏屈なチャールズも認めるほどに高い数学への適性を持つ、頭の良い聡明な女性だったと伝わっています。エイダはチャールズの思考をよく理解していたらしく、解析機関に関する書物を出版しています。

エイダとの出会いによって新たな研究を行うことを決意したチャールズは、「階差機関」をより簡単かつ自動的に扱えるシステムを考案。この発想が後のコンピューターの原型である「解析機関」でした。

「解析機関」の設計と制作

エイダとの出会いによって研究へのモチベーションを取り戻したチャールズは、新たに考案した「解析機関」の制作に取り掛かります。

解析機関は、計算に必要な数を人の手で入力しなくてはならない階差機関とは異なり、計算式や数列を記録したパンチカードを機関に読み込ませることで、半自動的に計算による数列を出力できるというもの。階差機関の上位互換とも言える機械であり、現在のプログラミングの原型となった機械でもあります。

解析機関

これの制作にはエイダも関わっていたらしく、解析機関に読み込ませるパンチカードや、チャールズにバグを報告している文書などが残されています。また、エイダはチャールズも気付いていなかった解析機関の使用法にも言及しているなど、時折開発者のチャールズを上回る理解をもって、研究に当たっていたようです。

チャールズの解析機関設計は、文字通り死の間際まで続けられていたようで、結局チャールズ自身は解析機関の完成を見ることなくこの世を去っています。エイダも若くしてガンによってこの世を去っているため、コンピューターの原型を作った二人が、その夢の始まりを見ることは、残念ながらできなかったと言えそうです。

1871年 – 79歳「膀胱炎により死去」

道半ばで病により死去

チャールズ・バベッジの墓

20年以上もの間、解析機関の設計と改良に心血を注いできたチャールズでしたが、この年の10月18日に、病によって帰らぬ人となりました。死因は腎臓を患ったことで併発した膀胱炎であると言われています。遺体はロンドンのケンサル・グリーン墓地に葬られ、現在も観光客が訪れることが可能なスポットとなっています。

彼が改良を続けた解析機関は、1910年に彼の息子、ヘンリー・バベッジによって発表されましたが、それはチャールズの設計したものの一部を転用した別の機械であり、厳密な「チャールズの設計に基づく」解析機関は、未だ未完成な状態だと言えます。

チャールズの”脳”

サイエンスミュージアムで展示されている脳

こうして、道半ばでその生涯を終えたチャールズ・バベッジでしたが、彼の脳は現在も標本として保管されています。

彼の脳は二つに分割され、一方はイングランド王立外科医師会に保管され、もう一方はロンドンのサイエンス・ミュージアムに、なんと一般公開されています。倫理的に考えると少々微妙な気分になる展示ではありますが、筆者個人としては一見の価値のある展示です。ロンドン観光に行く際は、サイエンス・ミュージアムにも一度お立ち寄りください。

1991年 – ー歳「チャールズの設計書による「階差機関」の動作が確認」

「階差機関」の動作が確認

ロンドン、サイエンス・ミュージアム館内

ロンドン、サイエンス・ミュージアムの「バベッジ生誕200周年記念事業」により、チャールズの設計書に基づく階差機関が完成。その正常な動作が確認されたことで、細かなミスを除いてはバベッジの設計の正しさが証明されることとなりました。

この階差機関は、チャールズが階差機関を制作していた当時の技術に基づいて行われたため、階差機関が完成しなかったのは、当時の工学技術の不足ではなく、チャールズと技術者たちの間の経済的な確執が原因であった事が証明される形となりました。

2021年 – ー歳「チャールズの設計書による「解析機関」が完成予定」

「解析機関」の完成予定

2010年10月に、イギリスのプログラマーであるジョン・グラハム・カミングによる解析機関制作プロジェクトが開始。「Plan 28」と名付けられたその計画は、2021年までの完成を目標にして現在も解析機関の制作に取り組んでいます。

また、チャールズが設計した計算機は、現在でも一定の評価を受けており、広報車環境や高温環境で動作する点を特に高く評価されているようです。

チャールズ・バベッジの関連作品

おすすめ書籍・本・漫画

完成しなかった蒸気式コンピューター: チャールズ・バベッジと階差機関 レトロハッカーズ

「階差機関」や「解析機関」についての詳細も含めた、チャールズ・バベッジの人生を描いた書籍です。

既にコンピューター知識があり、それらの分野について詳しく知りたい方には物足りないと思いますが、これからそのような分野について学びたい方にピッタリの書籍であると思います。

ディファレンス・エンジン

チャールズ・バベッジの業績が根底にある、「スチームパンク」ジャンルの元祖とも言うべき作品です。文庫で上下2巻。

”もしも”の世界を一から描いているため、かなり難しい作品ではありますが、その分再読性も高く、ハマる人にはとことんハマる作品です。チャールズ・バベッジの思い描いた世界を想像したい方は、まずはこの作品を読むことをお勧めします。

関連外部リンク

チャールズ・バベッジについてのまとめ

「コンピューターの父」であり「スチームパンクの父」であるチャールズ・バベッジ。様々な分野に影響を与えながら、日本ではあまりなじみのない人物でもある彼について、この記事では纏めさせていただきました。

彼の遺した功績は、理系でも文系でもあるため、彼の功績全てを理解するためには、おそらく膨大な量の知識が必要となっています。ガチ文系の筆者は、階差機関や解析機関については未だに理解しきれていません(情報不足でしたら申し訳ありません!)。

しかし、幅広い分野にその名を轟かせる彼が、歴史に名を残す偉大な人物であることは間違いありません。皆さまがこの記事を通じて、身の回りに存在するコンピューターの歴史に興味を持っていただければ幸いに思います。

それでは、この記事にお付き合いいただき、誠にありがとうございました。

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