【悲劇の王妃】マリー・アントワネットとはどんな人?性格や死因、逸話まとめ

マリー・アントワネットの具体年表

1755年 – 0歳「マリー・アントワネット誕生」

オーストリアのウィーンで生まれる

ウイーン ハプスブルク家の宮殿

1755年、オーストリアの名門ハプスブルク家の皇女として生まれました。父は神聖ローマ皇帝フランツ1世、母は女帝マリア・テレジアという生粋のお姫様です。

幼少期は、勉強よりも音楽やダンスが得意で、とても愛らしくお転婆な女の子だったようです。3歳年上の姉マリア・カロリーナと仲がよく、ウィーンの宮殿で両親の愛情をたっぷり受け、自由に伸び伸びと過ごしました。

アントワネットが7歳のとき、宮殿の演奏会にやってきた6歳のモーツァルトと出会います。宮殿ではしゃぎすぎて転んでしまったモーツァルトのところに、駆けよって手を差し伸べたのがアントワネットだったといわれています。そのとき、モーツァルトがアントワネットにプロポーズした話は有名ですね。

1770年 – 14歳「フランスに嫁ぐ」

フランスに嫁ぎ王太子妃となる

アントワネットの母 マリア・テレジア

当時のオーストリアはプロイセンの脅威にさらされており、マリア・テレジアはオーストリアを守るため今まで敵対していたフランスと早急に同盟を結ぶ必要がありました。そこで、フランス王太子ルイ・オーギュストと娘マリー・アントワネットの結婚を画策します。そうしてアントワネットは14歳の時、フランス王室に嫁ぎました。

実は、当初フランスに嫁ぐ予定だったのは、マリー・アントワネットではなく、姉のマリア・カロリーナだったと言われています。しかし、ナポリ王に嫁ぐ予定だったその上の姉マリア・ヨーゼアが急逝したため、マリア・カロリーナがナポリ王に、そして、マリー・アントワネットがフランスに嫁ぐことになりました。

デュ・バリー夫人との対立

フランスに嫁いだアントワネットの最初の試練が、国王ルイ15世の愛妾デュ・バリー夫人との対立でした。母マリア・テレジアが娼婦や愛妾を嫌っていた影響で、アントワネットも元娼婦であるデュ・バリー夫人に嫌悪感を抱きます。

アントワネットと対立を深めたデュ・バリー夫人

当時のフランス宮廷では、身分の低い者から身分の高い者に声をかけることを禁じていました。王太子妃であるアントワネットはフランスで一番身分の高い女性であったため、国王の愛妾とはいえ元娼婦であるデュ・バリー夫人は、アントワネットから声をかけられるのを待たなくてはなりませんでした。そこでアントワネットは、デュ・バリー夫人を無視し続けることにしたのです。

しかし相手は国王の愛妾です。怒ったルイ15世がオーストリアに圧力をかけたことで、ついにアントワネットが折れ、デュ・バリー夫人に声をかけました。この出来事にアントワネットは、「王太子妃が娼婦に敗れた」と大変ショックを受け、後に母マリア・テレジアに宛てた手紙に「この出来事で深く名誉を傷つけられた」と書いています。

1774年 – 18歳「フランス王妃になる」

夫がルイ16世として即位し、フランス王妃となる

フランス王ルイ16世

1774年、国王ルイ15世が天然痘のため崩御すると、夫がルイ16世として即位し、アントワネットはフランス王妃となります。この頃のアントワネットはお忍びで舞踏会に行ったり、賭博をしたりと遊びに夢中になっていました。

ルイ16世とアントワネットの夫婦仲は悪くはなかったようですが、ルイ16世の身体的な理由でなかなか子供に恵まれませんでした。そのことで宮廷中の好奇の目にさらされていたアントワネットは、遊ぶことでその寂しさや孤独感を紛らわせていたのではないか、といわれています。

子供たちの誕生

結婚後7年経った1778年、ようやくルイ16世との間に長女マリー・テレーズが誕生しました。次いで1781年に長男ルイ・ジョゼフ、1785年に次男ルイ・シャルルが生まれます。

子供が生まれてからのアントワネットは、これまでの生活から一変し、プチ・トリアノン宮で子供たちと静かに過ごし、教育熱心な良き母であったといわれています。

アメリカ独立戦争

アメリカ独立戦争

1775年からアメリカ独立戦争が起きます。フランスは、敵国イギリスを弱体化させるチャンスととらえ、1775年独立戦争に参加します。しかし、戦争参加によってもともと財政赤字であったフランスの国庫の状況はさらに悪化し、アメリカにおけるフランスの領土も取り返すことができませんでした。

アメリカ独立戦争への参加は、結果として10億リーブルもの負債による財政悪化と政情不安を招き、絶対王政を揺らがせてしまいます。フランス革命の一つの要因となってしまいました。

首飾り事件

アントワネットが王妃になってから巻き込まれた一番大きな事件が、1785年に起きた首飾り事件です。アントワネットに高額なダイヤモンドの首飾りを売りつけようとして失敗した宝石商が、王妃の親友だと嘘をつくジャンヌという夫人に騙された詐欺事件です。

既に民衆の間で評判が悪かったアントワネットは、事件とは無関係にも関わらず「事件の首謀者はアントワネットである」と誤解され、一層嫌われるようになってしまいました。この事件もまた、フランス革命のきっかけとなったものの一つです。

1789年 – 34歳「フランス革命勃発」

バスティーユ陥落とヴェルサイユ行進

バスティーユ陥落

1789年、重い税金や飢饉に苦しむ民衆は、絶対王政の象徴であるバスティーユ牢獄を陥落させ、ここにフランス革命が勃発しました。その後、民衆は食べ物の供給を訴え、パリからヴェルサイユ宮殿に向かって行進し、暴徒化した民衆の一部はヴェルサイユ宮殿になだれ込みました。

この事件で、マリー・アントワネットたち国王一家は、ヴェルサイユ宮殿からパリのチュイルリー宮殿に移され、議会もパリに移りました。国王一家は、監視下に置かれながら過ごすようになります。それまでアントワネットの周りにいた取り巻きの貴族たちは、王妃を見捨てるかのように次々とフランス国外に亡命していったといいます。

ヴァレンヌ事件

オーストリアへの逃亡を画策

革命の進展に身の危険を感じたアントワネットは、夫ルイ16世を説得し、兄レオポルド2世を頼るためオーストリアへの逃亡を計画しました。1791年6月20日の深夜、平民に扮装した国王一家は宮殿を脱出し、国境を目指します。しかし、数々の不手際が重なり、国境まであと一歩のヴァレンヌという町で見つかってしまい、パリに連れ戻されました。

国民は自分たちを見捨てて逃げようとした国王に対して怒り、同時にルイ16世は反革命派であることが明らかになったことで、これまで国王を養護していた人たちも反国王となり、革命はますます勢いを増しました。

王太子ルイ・ジョゼフの死

1789年、フランス革命が起こる直前、王太子ルイ・ジョゼフがわずか7歳で亡くなりました。生まれた時から身体が弱かったルイ・ジョゼフは、1786年結核に感染します。その後も発熱を繰り返し、結核菌による脊椎カリエスで亡くなってしまいました。ルイ・ジョゼフは、大変聡明な賢い子供で、国王夫妻はルイ・ジョゼフの教育に大変熱心であったと言われています。

1793年 – 38歳「マリー・アントワネット処刑される」

アントワネット38歳の生涯を閉じる

処刑の日のマリー・アントワネット

1793年10月、革命裁判においてマリー・アントワネットに死刑が宣告されました。このとき、夫であるルイ16世は既に処刑され亡くなっています。ルイ16世の裁判では、多くの議員が出席し議論したにも関わらず、アントワネットの裁判に議員の姿はなく、既に決まっていた死刑のための形だけの裁判であったといわれています。

1793年10月6日、髪を短く着られ、後ろ手に縛られたアントワネットは荷車に乗せられ処刑場に連れて行かれます。パリのコンコルド広場において、ギロチンによる処刑がおこなわれました。

マリー・アントワネット の関連作品

おすすめ書籍・本・漫画

マリー・アントワネット 上下

マリー・アントワネットに関する数々の噂や批評などを資料を元に考察しがら、1人の人間としてのマリー・アントワネットについて書かれています。「マリー・アントワネットを知るにはこの本から」というくらいの1冊です。

マリー・アントワネットとマリア・テレジア 秘密の往復書簡

アントワネットが嫁いでからマリア・テレジアが亡くなるまでの間、毎月交わされた手紙の全文が分かります。長い間敵国であったフランスに嫁いだ娘を心配する母親の気持ち、母親に嘘をついてしまう娘の気持ちなどが良く分かり、面白いです。

マリー・アントワネット:華麗な遺産がかたる王妃の生涯

数々の美しい写真から、マリー・アントワネットやルイ16世など当時の人達がどのような生活を送っていたのかが分かります。ヴェルサイユ宮殿やルーブルの学芸員や研究者たちが書いた本というだけあって、おすすめです。

マリーアントワネットをよく知れるおすすめ本12選【入門から上級まで】

おすすめの動画

【歴史ミステリー】マリー・アントワネットが処刑人と交わした最後の言葉とは!?死後の摩訶不思議な目撃談!【摩訶不思議浪漫の館】

処刑直前にあっても王妃としての威厳と美しさを失わないアントワネットに感動します。また、ヴェルサイユで目撃されたというアントワネットの姿が幸せそうであったのなら、アントワネットのファンとしては嬉しいですね。

おすすめの映画

マリー・アントワネット

マリー・アントワネットがヴェルサイユ宮殿でどのような生活をしていたのかが美しい映像とともに描かれています。ただし、あくまでもフィクションとして楽しむ映画です。歴史的な部分はあまり描いていないので、マリー・アントワネットの時代の美しい宮廷生活を知りたい方におすすめの映画です。

マリー・アントワネットの生涯

1937年に公開された映画で、モノクロです。しかし、アントワネットの美しさ、ヴェルサイユ宮殿のきらびやかさは十分に伝わってきます。シュテファン・ツヴァイクの原作を忠実に映画化したもので、タイトル通りアントワネットの生涯を描いています。これからアントワネットを知りたい方におすすめです。

おすすめのミュージカル

マリー・アントワネット

ミヒャエル・クンツェ&シルヴェスター・リーヴァイの大作の新演出版です。マリー・アントワネットと、庶民の娘マルグリット・アルノー、二人の“MA”の物語が描かれると同時に、アントワネットとフェルセンの悲恋が美しく描かれます。

マリー・アントワネットについてのまとめ

今回の記事では、マリー・アントワネットの38年の生涯について解説してきましたが、いかがでしたか?

私は、小学生の時「ヴェルサイユのばら」を読んで、マリー・アントワネットに興味を持ちました。その後多くの本を読み、映画を見てきた中で、本当のアントワネットは優しく愛らしい人だったのではないかと確信し、その魅力にはまってしまいました。

マリー・アントワネットに関しては賛否両論ありますが、今回の記事でアントワネットの魅力に1人でも多くの方が気づいてくれるといいな、と思います。

1 2 3

コメントを残す