ヘミングウェイとはどんな人?生涯・年表まとめ【代表作品や名言、逸話についても紹介】

ヘミングウェイの生涯年表

1918年 – 18歳「第一次世界大戦に参加する」

第一次世界大戦勃発!多くの若者が戦場へ行くなか…

赤十字の職員として戦場へ

1917年、アメリカは第一次世界大戦に参戦します。当時のアメリカ大統領ウィルソンは、第一次大戦を「戦争を終わらせるための聖なる戦争」と形容します。この言葉に国民は奮い立ち、多くの若者が兵士に志願しました。ヘミングウェイもその一人でした。

しかし、左目の視力が弱かったため、兵士としては不合格となってしまいます。落ち込んでいたヘミングウェイは、ある仕事の求人を偶然目にします。それは、赤十字の傷病兵運搬車の運転手でした。1918年、彼は赤十字の運転手としてイタリアの戦場に向かうことになったのです。このとき、まだ18歳でした。

なぜ、ヘミングウェイはここまで戦場に行きたがったのでしょう。祖国アメリカに対する想いもあったでしょうが、ヘミングウェイ自身の作家的探求心もあったといわれています。すでに作家を目指すようになっていた彼は、戦場で見たものを活かしてより良いものを書きたいという意志があったようです。

戦場で重傷を負い、死の恐怖を味わう

ヘミングウェイ(右)

イタリアの戦場に向かったヘミングウェイ。しかし、最前線に送られてから2週間後、敵の砲弾を受けて重傷を負ってしまいます。隣にいた兵士は、即死だったそうです。

この直後に、家族にあてた手紙には「この戦争には英雄など誰もいません。死ぬことはいとも簡単なことです。僕は死というものを見て、死とは何かが本当に分かっています」と綴られています。刷り込まれた死への恐怖は、彼の作品に大きな影響を与えると同時に、終生彼を苦しめることになりました。

無事戦地から帰還したヘミングウェイは、イタリア戦線から負傷して帰国した最初のアメリカ人となりました。地元に帰ったヘミングウェイは英雄として迎えられ、講演を依頼されました。しかし講演会では、戦場での恐怖感を正直には話さず、誇張した武勇伝を話したといいます。

他人から聞いたり、他人が体験した話を、自分のものとして語っていたようです。この時はまだ、自身の死への恐怖感に正面に向き合うことはできなかったのでしょう。それと同時に、「真実と向き合う」というジャーナリズム的姿勢を信条としていたヘミングウェイにとっては、屈辱的な経験だったのかもしれません。これらを克服し生まれたのが、1929年発表の小説『武器よさらば』でした。

1929年 – 30歳「『武器よさらば』を発表」

妻との離婚、友人との決裂

1927年4月にヘミングウェイは最初の妻ハドリーと離婚し、同年5月にハドリーの友人であったポーリンと結婚しました。元モデルだった美しいポーリンにヘミングウェイが激しく惹かれた末の結婚でした。ただ、結果的に、無名時代を支えたハドリーを裏切ることになってしまいました。

ヘミングウェイとポーリン

また、自身初の長編小説『日はまた昇る』をきっかけに、パリの友人との関係も悪化してしまいます。この小説は、スペインを舞台に1人の女性と4人の男性が複雑な関係に陥いるという筋書きです。

しかし、これはヘミングウェイが友人たちとのスペイン旅行をモデルに書いたものでした。客観的かつリアルに描かれた登場人物たちのやり取りは、仲間うちでは誰がモデルにされているかすぐに分かってしまったのです。

プライバシーを暴露される格好になった友人たちは憤り、ヘミングウェイから離れていきました。ただ、ヘミングウェイに悪気はなかったようで、むしろ小説のモデルになれて喜んでいるだろうと考えていたそうです。

『武器よさらば』を発表する

大ヒット作品を世に送り出す

妻と離婚し、友人を失ったヘミングウェイはパリを離れ、アメリカ南部・フロリダ州のリゾート地キーウエストに移住します。この地で、自らの戦争体験を元にした小説に取り組みます。これこそ、『武器よさらば』でした。

これまで戦争で味わった恐怖感を小説にすることはありませんでしたが、『武器よさらば』では戦争のむなしさに正面から向き合っています。

『武器よさらば』は戦争の実体験をもとに書かれた初めての小説として、アメリカではセンセーショナルに受け止められました。結果的にこの小説は、発表から3か月で7万部を超える大ヒットを記録、ヘミングウェイの名声は不動のものとなったのです。

1952年 – 53歳「『老人と海』を発表」

ヘミングウェイ、スランプに陥る

筆がどうにも進まない時期も

1940年に「誰がために鐘は鳴る」を発表して以降、ヘミングウェイはスランプに陥ります。物語が書けなくなったのです。なんとか状況を打開しようと、第二次世界大戦にも従軍記者として参加しています(ただ、死後57年後の2018年に発表された短編小説「中庭に面した部屋」の内容から、ヘミングウェイは私設軍隊を率いて戦闘に参加していた可能性が高いともいわれています)。

しかし、スランプを打開するには至らず、悶々とした日々を過ごしました。

そんな日々を変えたのは、1人の女性との出会いでした。18歳の美少女アドリアーナです。ヘミングウェイは彼女に片思いをしていたそうです(一方のアドリア―ナは、ヘミングウェイを尊敬していましたが、恋愛感情はなかったそうです)。

1950年には、初老の陸軍大佐と18歳の少女の恋を描いた『河を渡って木立の中へ』を発表しました。この作品は不評に終わりましたが、その2年後の1952年、名作『老人と海』を発表しました。

『老人と海』を発表する

最後の傑作「老人と海」

ヘミングウェイの生涯最後の傑作『老人と海』。老いた漁師サンチャゴの大魚との闘いを通じて、人間の逞しさ、自然の厳しさ・美しさをうたった小説です。『老人と海』では、それまでの客観的描写を徹底する姿勢は薄れ、老人の独白が多く見られます。

この小説には、晩年のヘミングウェイが見出した新たなヒーロー像が表現されているといわれています。主人公のサンチャゴは孤独な老人であり、それまでの戦場で躍動する主人公とは一線を画します。ドラマチックな恋愛も一切ありません。そんな老漁師はカジキとの闘いには勝利しますが、サメの群れにはなす術もなく敗れてしまいます。そして彼は言うのです、「人間は滅茶滅茶にやられるかもしれない。でも、打ち負かされることはないのだ」。

ヘミングウェイは、敗者となったサンチャゴを主人公にすることで、勝者・敗者を超越した人間の本質を見出し、あるべき人間の姿を表現したのです。

「俺は漁師に生まれてきた。だから、そのことだけを考えれば良い」、サンチャゴの言葉にこそ、勝敗を超えて己の生を全うする1人の人間の逞しさが凝縮されています。そして、サンチャゴの人生は、肉体の衰えたヘミングウェイの目指した新しい生き方でもあったのです。

『老人と海』は高く評価され、1953年にはピュリッツァー賞を受賞し、翌54年にはノーベル文学賞を受賞します。ヘミングウェイは、遂に作家の頂点に立ったのです。

1961年 – 61歳「ヘミングウェイ、死す」

飛行機事故で瀕死の重傷を負う

不運にも事故に見舞われる

『老人と海』を発表した2年後の1954年、ヘミングウェイは趣味のハンティングためにアフリカを旅していました。しかし、滞在中に2度も飛行機事故に見舞われます。2度目の飛行機事故では、フロントガラスを頭突きで突き破って何とか機内から脱出しますが、頭蓋骨骨折、脊椎損傷、内臓破裂、頭や腕に火傷を負うなど、瀕死の重傷を負ってしまいました。

一命をとりとめたヘミングウェイですが、以後健康に深刻な問題を抱え、思うような活動ができなくなってしまいます。躁鬱状態に陥り、自殺願望を口にするようになります。また、身体的な苦痛から逃れるために大量の飲酒をしていたようです。

晩年も、文章を書くことは続けていましたが、物語がまとめられず、執筆は滞ってしまいました。小説家として生きることが難しくなったヘミングウェイの精神状態は、悪化の一途をたどっていきました。なお、これらの膨大な遺稿はヘミングウェイの死後に取りまとめられ、『海流の中の島々』などの作品が遺作として発表されています。

自殺

最後は自分で人生の幕を下ろした

1960年、ヘミングウェイはアメリカのアイダホ州ケチャムの山荘に移り住みます。療養のためでした。不安定な精神状態に加え、長年の不摂生による糖尿病にも苦しんでいたため、ミソネタ州のメイヨウクリニックに入院します。

しかし、症状は改善せず、死ぬまで入退院を繰り返しました。1961年7月2日朝、ヘミングウェイは愛用の猟銃で自らの頭を撃ち抜きました。享年61歳。

アメリカ社会のヒーローであり続けたヘミングウェイ。しかし、肉体的な衰えによって、屈強で逞しい男として生きることが難しくなりました。その中で見出した新たな生き方が、『老人と海』のサンチャゴのような『淡々と己の生き方を貫く」ことでした。

『人間は打ち負かされることはない』…ヘミングウェイは本気でこの言葉を信じていたのだと思います。しかし、身体が思うように動かなくなり、小説家として愚直に生きることさえできなくなった彼に、新たな生き方を模索する気力は残されていませんでした。なにより、「文章が書けない」という小説家としての死刑宣告は、彼の最も重要なアイデンティティを奪い去るものでした。

ヘミングウェイの関連作品

おすすめ書籍・本・漫画

ヘミングウェイと猫と女たち

彼が愛した「猫」と「女性」をキーワードに、ヘミングウェイの人間的本質を紐解いていきます。「誰がために鐘は鳴る」「武器よさらば」などの名作も丹念に分析されているので、ファンには必見の学術本です。

パパ・ヘミングウェイ

ヘミングウェイの伝記です。14年にわたってヘミングウェイと親交があった作者が、ヘミングウェイ本人の言葉を交えながら綴っています。ヘミングウェイの晩年を知るうえでは貴重な資料とされています。

おすすめの映画

パパ:ヘミングウェイの真実

1950年代のキューバを舞台に、実在のアメリカ人ジャーナリストと文豪ヘミングウェイの友情の実話を映画化したもの。実際にキューバで撮影が行われています。

老人と海

『老人と海』からインスパイアされた映画です。沖縄・与那国島を舞台に、巨大カジキの一本釣りに挑み続ける老人の姿をとらえたドキュメンタリーです。小説「老人と海」さながらに、厳しい自然に挑む老人の勇敢さが印象的ですね。

おすすめドラマ

私が愛したヘミングウェイ

2012年に製作されたテレビ映画です。日本では2013年にWOWOWで放送されました。ヘミングウェイと彼の三番目の妻マーサとの恋愛を描いた作品で、ニコール・キッドマン演じるマーサの逞しさが印象的です。

関連外部リンク

ヘミングウェイについてのまとめ

【稀代の作家】ヘミングウェイの生涯!作品や名言、カクテルも紹介屈強さと繊細さを併せ持った男、ヘミングウェイ。

彼は強い人でしたが、強靭な人ではなかったのでしょう。そんな男がヒーローを目指し続けた結果、待っていたのは破局であったことには教訓を感じざるを得ません。

しかし、彼の遺した作品は、我々に生きる勇気を与えてくれます。これからも、彼は「人間として生きること」の意味を我々に教えてくれるでしょう。

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2 COMMENTS

なおみ

老人と海を読みました。
読後感がいいです。人生ってこんなものではないでしょうか?大抵の人は大成功しません。せいぜいプチ成功をいくらか。大成功の影には結構な犠牲や苦労があります。
それでも人は希望や夢を抱いて毎日を送るのだと思います。

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京藤 一葉

> なおみさん

コメントありがとうございます!
老人と海の「読後感がいい」という感想、とても共感します。

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