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【年表付】ザオ・ウーキーとはどんな人?代表作品や特徴、値段など紹介

ザオ・ウーキー(趙無極)は、中国・北京出身で、中国とフランスに国籍を持つ現代美術家です。彼の作品は、彼の出自でもある中国という東洋の美意識と、彼が活躍したヨーロッパを中心とする西洋の美意識が独自に混ざり合った、自然と風景をテーマにした抽象画です。彼の画風は、これまでの欧米洋式であった抽象画の世界に、新たな風を吹き込んだのです。

ザオ・ウーキーの織りなす抽象画は、中国の伝統芸術である水墨画を基調としています。さらに彼がフランス・パリへ移住を果たしたのちにヨーロッパで得た知見によって、オリジナリティのある抽象画を数多く制作していきました。ザオ・ウーキーの独特の抽象画は、パリでの影響が色濃いということも、本人の口から明らかとなっているくらいです。

ザオ・ウーキー

また、個人的にも日本へしばしば足を運んでいます。そのため、ザオ・ウーキーの作品を所蔵・展示する美術館は日本にもあるのです。

そんなザオ・ウーキーの作品の保有数日本1と言わている旧ブリヂストン美術館が2020年1月18日にアーティゾン美術館へと名称変更しリニューアルオープンします。これを機に、是非ザオ・ウーキーの作品に注目してみませんか?

今回は、元美術部で美術館訪問が趣味でかつ、歴史に名を遺す偉人たちの人物史について非常に深堀をしやすい傾向にある筆者が、ザオ・ウーキーについてご紹介します。

ザオ・ウーキーの来歴は?

名前ザオ・ウーキー
趙無極(Zao Wou-Ki)
誕生日1921年2月13日
没日2013年4月9日
生地中国・北京
没地スイス・ニヨン
配偶者 1人目:謝景蘭(Xie Jinglan)(Lan-lan)、息子:趙嘉陵(Zhao Jialing)
2人目:陳美琴(Chan May-Kan)
3人目:フランソワーズ・マルケ(Françoise Marquet)

ザオ・ウーキーの作品の特徴は?影響を受けた人は?

ザオ・ウーキー《81-18》

ザオ・ウーキーの画風は、冒頭でもお話の通り、中国水墨画と西洋の現代美術との融合体です。

ザオ・ウーキーは中国で書道や中国絵画だけでなく西洋絵画について学び、戦後にフランスへ渡り、ここでさらに独自の西洋絵画に対する知識や技術を身に付けていくのです。
それはまるで、抽象表現主義などというような欧米で発展し続けている現代芸術を踏襲しながらも、若き日に学んだ書道や中国絵画の伝統を色濃く感じさせるものとなりました。

ザオ・ウーキーが作品制作にあたって影響を受けたのは、印象派の作品をはじめ、セザンヌ・ピカソ・マティスなどの作品であるとされています。

ザオ・ウーキーの女性事情は?

3回もの結婚生活を経験したザオ・ウーキー

ザオ・ウーキーは、最後の妻フランソワーズ・マルケと結婚するまで、彼女を含め3名の女性と結婚をしています。結婚を繰り返していると、ザオ・ウーキーは女性事情が明るくないのか!?と思いがちですが、実はそうではありません。

最初の妻である謝景蘭とは1935年に知り合い、1941年に結婚。1948年に共にフランス・パリへ行っていますし、息子と共に一緒に中国でキャリアを追求しています。残念ながら、謝景蘭とは離婚しています。さらに不幸なことに、謝景蘭は1955年に自動車事故で亡くなっています。

2番目の妻は、香港出身の映画女優の陳美琴といいます。しかし、陳美琴は精神病を患っていました。1972年に精神病を再発し、自殺してしまいます。この時ザオ・ウーキーは非常に悲しんだとされて、制作意欲を喪失するほどでした。

しかしその翌年、ザオ・ウーキーはフランス人のフランソワーズ・マルケと知り合い恋に落ち、1977年に2人は結婚するのでした。

ザオ・ウーキーの作品一覧

「Bonne année」 – 1953年 

「30.09.65」 – 1965年 

「22.07.64」 – 1964年 

「Untitled」 – 1981年 

「 18.06.2001」 – 2001年 

「20.01.69」 – 1969年 

「アンドレ・マルローに捧ぐ-1.4.76」 – 1976年

「05.06.63」 – 1963年

「Untitled」 – 1979年 

「Untitled (Golden City)」 – 1951年 

ザオ・ウーキーは一体何がすごいのか

すごさ1「鑑賞する側の意向も踏まえた作品作り

ザオ・ウーキーの代表作品について注目していただきたいのが、作品に題名のないものが増えてくる、ということです。絵画といえば、表題がついていることがほとんどで、理由があって作品に題名を付けなくなってくるというのは、非常に珍しい傾向なのです。

これは、ザオ・ウーキー本人の意向でもあるようです。ザオ・ウーキーの意向は、作品を観る私たちに、作品について自由に感じてもらいたい、ということだからだそうです。

さらに、ザオ・ウーキーの絵画は、なにもすべての作品に題名が無いというわけではないというところが、ザオ・ウーキーが未来と鑑賞者を見据えた作品を生み出していた、というところに当たります。

すごさ2.「同じような絵画が描かれていない」

ザオ・ウーキーの絵画のすごいところは、もうひとつあります。それは、ザオ・ウーキーの描く抽象画には、同じような絵が一枚もないというところです。

抽象画というのは、どうしても観る側からすれば似たような表現で描かれているというような錯覚に陥りがちで、観ていても違いがわらない!ということが多くあります。

ザオ・ウーキーの親友ピエール・スラージュが同じような作品ばかり描いていたのとは対照的に、ザオ・ウーキーの表現力は絶えず広がっており、それが作品を通して顕著に表れているのです。これまでに観たことのない抽象画を、ザオ・ウーキーは描いています。

すごさ3.「アジア人アーティストの油彩画では初、作品が史上最高金額で落札される」

ザオ・ウーキー《1985年6月-10月》

ザオ・ウーキーの絵画が破格の金額で落札されたというニュースがあります。2018年9月30日、サザビーズ香港で落札されたザオ・ウーキーの抽象絵画三連作《1985年6月-10月》(1985年)が、ザオ・ウーキーの絵画史上最高額の6.500万ドル(約74億円)で落札されているのです。

また、様々な面での最高額等を記録したというのですから、驚きです。下記にまとめてみました。

  • ザオ・ウーキー最大の細工品(幅10メートル、高さ2.8メートル)
  • ザオ・ウーキーおよびアジア人アーティストの油彩画における史上最高の落札額
  • 香港のオークションでも最も高額となった絵画

この落札された《1985年6月-10月》という作品は、ルーブル美術館のガラスのピラミッド建築でも有名な中国系アメリカ人の建築家イオ・ミン・ペイ(貝聿銘)が、シンガポールでの建築プロジェクトに際してザオ・ウーキーに委託し、制作されたものだそうです。

作品の依頼主イオ・ミン・ペイ

今でもこの記録は打ち破られていないようで、このオークションでの最高記録は、ザオ・ウーキーという芸術家の制作した作品が、同世代の戦後アメリカの芸術家達と並ぶ価格帯に入ってきたことにもなったということです。

これだけアジアの美術品コレクターたちも、ザオ・ウーキーを筆頭としてアジアや西洋の現代美術に興味を持っていることがわかったニュースとなります。

ザオ・ウーキーの生涯歴史年表

1921年「ザオ・ウーキーが生まれる」

北京の歴史地区

ザオ・ウーキーは、1921年2月13日に、北京に生まれます。ザオ・ウーキーの家は古くからの中国の名家で、ザオ・ウーキーは、7人兄弟の長男で、彼の父は銀行員でした。

ザオ・ウーキーが生後6か月の時に、家族は上海に移っています。

1935年「杭州の国立美術学校で学ぶ」

世界遺産に登録されている抗州西湖

幼少期に書道を学んだザオ・ウーキーは、1935年から1941年にかけて杭州にある美術学校で中国絵画だけでなく、西洋絵画についても学びました。

1935年「杭州の国立美術学校で学ぶ」

幼少期に書道を学んだザオ・ウーキーは、1935年から1941年にかけて杭州にある美術学校で中国絵画だけでなく、西洋絵画についても学びました。

1941年には同校で講師として教鞭を取っていました。この時にザオ・ウーキーは、初の作品展も行っています。

1948年「パリへ移住」

アカデミー・グラン・ショミエー

ザオ・ウーキーはこの年に最初の妻と子供と共にパリへ移住しています。アカデミー・グラン・ショミエーに通いながら、翌年の1949年には、パリ・クルーズ画廊で初の個展を開催しています。

ザオ・ウーキー初の個展は大成功をおさめます。それもそのはず、ジョアン・ミロとピカソから作品の称賛を受けています。

1948年「パリへ移住、西洋芸術の影響をどんどん受けていく」

ザオ・ウーキーはこの年に最初の妻と子供と共にパリへ移住しています。アカデミー・グラン・ショミエーに通いながら、翌年の1949年には、パリ・クルーズ画廊で初の個展を開催しています。

ザオ・ウーキー初の個展は大成功をおさめます。それもそのはず、ジョアン・ミロとピカソから作品の称賛を受けています。

その翌年1950年には、ピエール・ルーブ画廊と契約をし、アンリ・ミショー、ピカソ、ミロ、スーラージュ・マチューと知り合いになり、以降はザオ・ウーキーが制作したリトグラフにアンリ・ミショーが詩をつけるという作品展示方法を行います。

1964年「フランス国籍取得」

フランス国籍取得

ザオ・ウーキーは、アンドレ・マルローの協力によって、フランス国籍を取得します。

1972年「2番目の妻の自殺」

1972年、二度目の結婚相手だった2番目の妻である陳美琴が、精神疾患で自殺してしまいます。
ザオ・ウーキーはこれを深く悲しみました。その悲しみは、彼の創作意欲を喪失させるほど。

これを機に、ザオ・ウーキーは24年ぶりに祖国・中国後を踏むことになります。

1977年「最後の妻フランソワーズ・マルケと再婚」

陳美琴の自殺での悲しみを乗り越えたザオ・ウーキーは、フランス人のフランソワーズ・マルケと知り合い、再婚をします。

2013年「自宅で死去」

最後の地となったスイス・ニヨン

以降は、中国や日本、ヨーロッパで個展を行ったり、レジョン・ドヌール・コマンドゥール章受章や、高松宮殿下記念世界文化賞・絵画部門受賞などを受賞したり、勲章や名誉が与えられます。

そんなザオ・ウーキーは2013年4月9日、スイス・ニヨンにある自宅で亡くなりました。

ザオ・ウーキーの関連作品

おすすめの動画

ブリヂストン美術館 追悼 ザオ・ウーキー

アーディソン美術館(旧ブリヂストン美術館)が、ザオ・ウーキーの亡くなった年に追悼として配信した動画です。
旧ブリヂストン美術館には、数多くのザオ・ウーキー作品が展示されています。動画でその雰囲気を感じてみてはいかがでしょうか。

動画を見た感想を2.3文にで簡単に書く。実際に見なくても、コメントを確認したり、早送りでも見たりしてどんな事が解説しているか簡潔に説明して頂ければ問題ありません。簡潔に書いてください。

Zao Wou Ki peint dans son atelier parisien

フランス語の動画ですが、ザオ・ウーキーがアトリエで作品を制作している様子の動画です。

残念ながら字幕はなく、ザオ・ウーキーもフランス語でインタビューに答えているためわかる人にしかわかりませんが、ザオ・ウーキーが、どの様に作品を描いているのかがわかる動画です。

関連外部リンク

ザオ・ウーキーについてのまとめ

今回は、ザオ・ウーキーについてご紹介してきました。

知れば知るほど奥深い作品を描く人物であり、その人柄も生前の映像から伝わってきましたよね。
筆者も、改めてザオ・ウーキーの作品をこの目で鑑賞してみたい、と思うようになりました。

欧米とアジアを繋いだ偉大なアーティスト、ザオ・ウーキーについて、あなたも興味を持っていただけたのなら幸いです。