グスタフ・マーラーの生涯歴史年表
1860年「グスタフ・マーラーの誕生」
グスタフ・マーラーは、1860年7月7日に14人兄弟の次男として誕生しました。
この時すでに長男がいたものの早世しており、グスタフ・マーラーは長男として育てられます。
父母はユダヤ人で、チェコのボヘミアと呼ばれる地域で育ちながらも、父の教育もあり幼いころからドイツ語を話していました。
1870年「ピアノのコンサートを開く」
3歳でアコーディオンに触れ、4歳でアコーディオンを弾きこなしたマーラーは、9歳でピアノを学び、10歳でピアノの独奏コンサートを開きます。
すでに幼少のころから音楽の才能を開花させていたのです。
翌年71年にはプラハへ音楽留学をするも、いじめが原因で1年後に帰国しています。
1875年「ウイーン音楽院(現ウィーン国立音楽大学)入学」
マーラーは15歳でオーストリア・ウィーンへ音楽院への入学を果たします。ウィーンでの学生生活は、マーラーにとって貴重な経験となったようで、卒業時には作曲賞を受賞し、卒業しています。
さらにこの時に、マーラーの代表作品であるカンタータ『嘆きの歌』の歌詞が完成しています。
1880年「初めての指揮経験」
マーラーはこの時にから指揮者としての活動を開始しています。
83年にはドイツ・カッセル王立劇場の楽長としても働き始めるなど、活動を幅広く行っていきます。
一方でマーラーが楽長として働き始めたのは、生活のためであるとされています。
そのさなか、カッセル王立劇場での指揮活動で大成功を収めたマーラーは、トップ指揮者として着実にキャリアを形成していくのです。
しかし、それでも貧困生活が彼を襲います。
1886年「貧困からの脱出」
しかし、マーラーにまたも転機が訪れます。
86年にドイツ・ライプツィヒ歌劇場で楽長を務め、翌87年にようやく貧困を脱出します。
この時に出会ったのが、生涯の友となるリヒャルト・シュトラウスです。
1889年「大成功の影にあった両親と妹の死」
28歳のマーラーは、さらにはワーグナーの「ラインの黄金」「ワルキューレ」をカット無しの模範的演奏を行ったことで高い評価を得ただけでなく、ブダペスト王立歌劇場の芸術監督を務め、大成功を収めていました。
しかし、この時に父と母、そして妹を立て続けに亡くしています。
翌年、もう一人の妹と保養旅行へ足を運んでいます。
1897年「宗教を改宗する」
もともとユダヤ人のマーラーですが、時代はユダヤ人に対してどんどん風当たりの悪いものとなりました。
結婚の準備もあいまって、マーラーはユダヤ教からローマ・カトリック教へ改宗しています。
1902年「生涯の伴侶アルマとの出会い」
前年01年に運命の女性アルマと出会い、恋に落ちたマーラーは02年に結婚し、一人娘を設けています。
翌年には次女も誕生しています。
1907年「長女の死と疾患」
長女がジフテリアを発症し、若くして亡くなってしまいますが、マーラー自身も同じ年に心疾患の診断を受けています。
心疾患の診断を受けながらも、招待されたコンサートのために満を持して渡米するも、翌年には帰国します。
以降は再度渡米を果たすも帰国というような具合で、アメリカとウィーンを行き来する生活が続きます。
1911年「精神疾患とグスタフ・マーラー死去」
マーラーはこの時、幼児体験がきっかけの精神疾患を患っていると診断を受けています。
フロイトの診断と治療もあって劇的に回復したものの、感染性心内膜炎の診断を受けるのでした。
感染性心内膜炎の診断を受けたときマーラーはアメリカにいましたが、病気の身体をおして帰国。
51歳の誕生日を目前にした暴風雨の夜、「モーツァルト!」という最期の言葉を残し、敗血症が原因で亡くなりました。
グスタフ・マーラーの関連作品
おすすめ書籍・本・漫画
マーラーを識る
マーラーの間違った認識を覆す本書籍は、すべてのマーラーファンはもちろんのこと、これからマーラーを深く知りたい人にも読んでほしい1冊です。
マーラーについて色眼鏡で見ないための1冊でもあります。
決定版 マーラー (河出文庫)
マーラーの評論となるこちらの書籍は、近現代の指揮者としてその名を残すカラヤンや、同じ作曲家のブルックナーとの対比を記述しています。
マーラーの音楽性や指揮性をトコトン比較、追及したマーラー上級者向けの1冊です。
マーラーの交響曲 (講談社現代新書)
本書は指揮者である著者がマーラーの交響曲を切り口に話を展開していく内容です。
著者と同じ指揮者であるマーラーを、指揮者目線で解説しているため、非常に読みごたえがあります。
マーラーの入門書としてもおすすめできる1冊です。
おすすめの映画
マーラー(1974年)
本作品は、ケン・ラッセル監督によるマーラーの生涯を描いたイギリスの映画です。1974年に世界的に有名な映画祭のカンヌ国際映画祭で上演された実績があります。
作中の各所で、マーラーの作曲した交響曲が使われているのにも注目です。あなたはいくつ見つけられますか?
ベニスに死す(1971年)
本作品は、マーラーがモデルのトーマス・マン著作の小説を実写映画化した作品です。
本作品によって、マーラーに対する人気が現代に復活したとされおり、アカデミー賞など数々の映画書を受賞したことでも話題となっています。
関連外部リンク
グスタフ・マーラーについてのまとめ
今回はグスタフ・マーラーについて、彼の人生や人物像を中心に紹介しました。
マーラーの楽曲は冒頭でもお話の通り、「長い!難かしい!大袈裟!」のオーケストラの中でも聴く側が苦しくなってしまうイメージを持ってしまう楽曲を作った人!というイメージが付けられがちですが、このイメージは崩れたでしょうか。
もしあなたが本記事でマーラーについて興味がわきましたら、一度彼の楽曲に耳を傾けてみてください。
もしかしたら、気づかないうちにあなたもマーラーの交響曲で鼻歌を歌っているかもしれませんよ。