坂本龍馬の子孫は健在!?子供はいた?家系図や歴史的事実から解明

皆さんは歴史上の人物の子孫について、ふと知りたくなることはありませんか?

また身近な友人や親戚などが偉人の家系だった、という話をきくと急に歴史上の人物が身近に感じられてワクワクしたことなどもあるかと思います。

今回は江戸時代末期の志士・坂本龍馬の子孫について、今わかっていることをなるべく簡潔にお伝えしたいと思います。

坂本龍馬とはどんな人?何をした人?わかりやすく解説

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

坂本龍馬に子孫はいるのか?

そもそも、坂本龍馬には子孫はいるのか?というお話からさせていただきます。結論から言うと、子孫は存在していますが直系の子孫はいません。彼自身が31歳という若さで亡くなっていることもあり龍馬自身の子どもはいないのです。

しかし現在でも坂本家を継ぐ方々は存在しており、活躍されています。どうして家系が存続し、子孫の方々はどのような生涯を送ったのでしょうか?

まずは家系図をチェック

直系の子孫はいない

坂本龍馬は楢崎龍という女性と正式に結婚していましたが、31歳という若さで亡くなってしまったということもあり自身の子どもはいませんでした。ですので、龍馬本人の知を引く子孫はいません。

そのため龍馬の姉・千鶴の息子「直」を養子として迎えしばらく家系も続いていたようですが、5代目で途絶えてしまっています。そのため、坂本龍馬直系の子孫はいないというのが現在の認識です。

直系の子孫はいないが、坂本家は存続している?

さて龍馬の血を引く子孫はいないということですが、坂本家は存続しており、現在は北海道で暮らしているとのことです。生まれた地の高知県や、実際に活動していたた京都府などではなく、どうして北海道なのでしょうか?

龍馬は生前蝦夷地(当時の北海道)開拓を構想しており、一説には自らも移住するという夢があったと言われています。安政4年(1857)に土佐藩が箱館(函館)の視察を請け負ったことをきっかけで蝦夷地の存在を知った龍馬は、自らも何度か蝦夷地に赴こうと必死に画策していました。しかしさまざまな条件が重なって全て失敗してしまいます。そしてその後は皆さんもご存知の通り明治維新の前に龍馬は暗殺されてしまうのですが、彼の遺志は維新志士たちに引き継がれていくことになります。

1869年6月27日(明治2年5月18日)、箱館戦争の終結を以て戊辰戦争が終結すると明治政府は蝦夷地を北海道へと改名し、開拓を進めていくことになります。開拓使、屯田兵といった言葉を教科書で見た方も多いのではないでしょうか。

どうして北海道へ?個性豊かな坂本龍馬の子孫

龍馬の子孫は北海道に?

それにしても、どうして坂本龍馬の子孫は北海道へと移住し、そこへ住み続けたのでしょうか。順を追って一緒に確かめてみましょう。

冒頭でも簡単に説明した坂本龍馬の甥・直は龍馬亡き後その遺志を継いで蝦夷地経営に関する書を明治政府に提出していました。箱館戦争の折には政府軍として参戦し軍功をあげましたがキリシタンだったことを理由に免職となりました。その後は東京の官公庁で職を転々としますが同じ理由で仕事は長く続かず、実家のある高知県で病没します。

その後は坂本家は高知県で暮らしていたようですが、5代目の坂本直寛から北海道へ根を下ろすようになりました。まず直寛は高知県の県議会議員として当選し、自由民権運動を進める政治家として活動します。しかし激しい幕藩体制批判運動のために投獄されてしまいました。その間に北海道北見市の開拓事業を画策し、刑期を終えた2年後に家族で北海道に移住します。その後は酪農の開拓とキリスト教の牧師として生涯を捧げたようです。そして坂本家が北海道に根を下ろし今に至るといわれています。

あのお菓子のデザインを担当していた?意外な子孫の存在

坂本家代8代目の坂本直行(なおゆき)は今でもファンなどに「チョッコウさん」と呼ばれて親しまれている有名な画家です。彼は様々な職業を経験した後に画業に専念し、北海道銘菓で有名な「六花亭」の包装紙のデザインも担当しました。

彼は北海道大学を卒業後、園芸を学ぶために一旦東京に就職しますが、その後十勝・広尾で牧場を経営する傍ら北海道の豊かな自然を描きはじめました。

直行は生涯坂本龍馬の子孫であることを語るようなことはせず、土佐に足を運ぶこともありませんでした。あくまでも北海道の一農民、一画家として自らを人生を生きたと伝えられています。しかしその自己意識や反骨精神の強さはむしろ坂本龍馬の意志の強さを彷彿とさせるものがあります。

坂本龍馬の11代目子孫が健在!?

出典:Chuo Online

そんな坂本直行とはまた違った活躍をしている龍馬の子孫が生存しているようなので簡単にご紹介したいと思います。第11代目の坂本龍哉さんは2016,17年の取材で法学部の大学生であることがわかっています。彼の父親・第10代目の国弘さんは「龍馬ファンの集い」などの活動をしており、龍哉さんもいずれはそのように子孫としての活動をするであろうと、出身大学のインタビューで語っていました。

それから数年経った現在の龍哉さんがどのような活動をしているかは不明ですが、一般の方ですので新たな情報が出るまで静かに待ちたいと思います。「優しい法曹人」を目指すということをインタビューで語っていた龍哉さんですが、歴史的に有名な人物の子孫であることを自覚しつつ日本の未来のために頑張る若い人がいるということに勇気付けられます。

坂本龍馬の家系の噂・あの戦国武将の末裔?

坂本龍馬のご先祖は、安土桃山時代の武将・明智光秀ではないかという噂があります。結論から言うとこの説は単なる噂だと言うことで結論付けられていますが、どうしてそんな噂が出たのでしょうか。

龍馬の先祖である才谷直海は、郷士として召し出され名字を名乗ることを許された際、家伝にあった明智家とのつながりをもとに坂本城から「坂本」という名字をつけたと言われています。また家紋も明智家と同じあの桔梗紋であったことから実しやかにその噂が囁かれたのでしょう。他にも土佐国にはそういった落人伝説が今でも数多く残されているようです。

しかし明智光秀本人は山崎の戦いで敗れて亡くなっており、その子どもの秀満も坂本城で自害しており、土佐を訪れていません。実際に坂本龍馬の家が明智光秀の末裔であることは考えにくいでしょう。

一説には龍馬の仲間の維新志士たちが「坂本龍馬は明智光秀の子孫に違いない」と思いたかったのではないかという説もあります。明智光秀は織田信長を謀反で討ち取った人物ですので、打倒江戸幕府という大きな目標があった志士たちには、「龍馬ならやってくれるに違いない」という期待があったのでしょう。

坂本龍馬の子孫に関するまとめ

いかがでしたでしょうか?龍馬の子孫の生涯も、先祖の噂 も魅力的で、更に夢が膨らんだような気がしますね。筆者個人的には、六花亭の包装紙デザインが坂本龍馬の子孫によるものだと知って驚きました。

ご紹介した以外にも魅力的な子孫の方々が多くいらっしゃいますので、もしご興味がありましたら是非調べてみてくださいね。