坂本龍馬の身長と体重は?当時の平均身長からみた大きさも解説

坂本龍馬といえば、幕末志士の中で知名度も人気も非常に高いスター的な人物です。他の偉人に比べると、有名な写真もいくつか残っていることもあり、その姿や体型についてはなんとなくイメージできる部分も多いと思います。

では実際のところどうだったのでしょうか?

今回は知られざる龍馬の体格にフォーカスを当てて調べてみました。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

坂本龍馬の身長は大きかった?

龍馬近影

175.74cmという説

龍馬の身長は「175.74cm」くらいだったという説が濃厚です。江戸時代では、身体測定のように体の特徴を記録する習慣がなく、詳細なデータが残っているわけではありません。しかし、明治時代になってから、龍馬と共に過ごしたことがある人々が、自分の背格好と比較したときの龍馬の頭の位置などから、およその身長を推測して証言しています。

その中の一人で元海援隊士の関隆二(関義臣)は、龍馬の身長について「5尺8寸」と述べています。1尺は現在でいう30.3cm、1寸は3.03cmですから、およそ175.74cmということになりますので、現在の成人男性の身長(約171cm)と比べても高い方だったようですね。

そもそも江戸時代の平均身長は?

江戸時代の平均身長は男性が155〜156cm、女性が143〜145cmと言われています。当時の人々には、龍馬は相当大柄に見えたのではないでしょうか。

江戸時代では徳川綱吉の「生類憐れみの令」以降、動物の殺生が禁止されていました。それ以降、民衆の間では動物の肉を食べることはタブーとされ、公の場で獣肉を口にする機会は減ってしまいました。動物の肉には動物性タンパク質が豊富に含まれており、このタンパク質は骨が成長するのに必要な軟骨細胞の材料の一つとして知られています。これが不足したことにより江戸時代の人々は身長があまり伸びなかったという説があります。

ちなみに体重は?

龍馬の体重はおよそ80kgだったと考えられています。体重については龍馬以外の人物ももちろんのこと、龍馬本人も知る方法がありませんでした。そこで研究者たちは、龍馬が着ていたとされる紋付のサイズからおおよその数値を推定しています。

このデータを元に、京都東山にある『霊山歴史館』では龍馬の等身大シリコン人形を制作しています。NHKの大河ドラマ『龍馬伝』の撮影の際、坂本龍馬役の福山雅治さんもこの人形を見学し、かなり筋肉質な体型だったことに驚いたと言います。

龍馬の姉、乙女も大きかった!?

龍馬の姉・乙女も非常に大柄な人物として知られています。一説には、その身長は175cm、体重は111kgだったと言われています。あまりに大きいため「坂本のお仁王様」という異名までつくほどでした。

その体格を味方につけたおかげもあって、薙刀や剣、馬、弓などの武芸も相当な腕前でした。土佐藩の正月恒例行事である乗初式(のりぞめしき)ではわざわざ男装して参加し、十尺(およそ3m)の薙刀を振り回して演舞するなど、相当にパワフルな人物だったようです。

他の偉人たちの身長はどれくらい?

フルベッキ群像写真

中岡慎太郎の身長

龍馬の盟友である陸援隊隊長・中岡慎太郎の身長は約153cmだったという説があります。剣術が苦手だったとも言われているので、運動能力の差が身長に現れているのかもしれません。それでも当時としては平均身長よりやや低い程度ですが、身長の高い龍馬と行動を共にする際には、身長差が目立ってしまって隠れて行動するのが大変だったのではないかと考えてしまいます。

西郷隆盛の身長

龍馬が仲を取り持った薩長同盟の薩摩藩代表・西郷隆盛。上野公園にある銅像を見ても、かなり恰幅の良い人物であったことは想像できますが、身長はおよそ179cmと予想通りのスケールだったようです。さらに体重は100kgを超えていたと言われていますので、面と向かって対峙したときの威圧感は相当なものだったのでしょう。

木戸孝允の身長

薩長同盟の長州藩代表・木戸孝允。その身長は174cm程だったと考えられています。西郷隆盛と比較しても、身長差はそこまで変わりませんが、体型はかなり細身だったようです。そのスラリとした立ち姿は、岩倉使節団で渡航したアメリカで市長の娘がプロポーズしたという伝説まで残るほどです。

徳川慶喜の身長

龍馬と同時期を生きた江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜の身長は、約150cmとかなり小柄だったという説があります。徳川歴代将軍はあまり背の高い人物がおらず、一番身長が高かった二代将軍・徳川秀忠でも160cm程度と考えられています。これまで紹介してきた武士たちと比べて、修行や鍛錬を積む機会が少なかったことも影響しているのではないかと考えられます。

坂本龍馬の身長についてのまとめ

今回は幕末を生き抜いた坂本龍馬の身長を中心に、江戸時代の人々の体型についてまとめてみました。写真を見るだけではわからない龍馬の「肉体美」を想像することができたでしょうか?幕末においては、身長や体重などの体格は、交渉の場面や剣を合わせる際に、有利にも不利にも働く重要な要素だったかもしれませんね。

今まで知らなかった龍馬の隠れた一面を知ったことで、龍馬や幕末にさらに興味を持っていただけたら嬉しいです。