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芥川龍之介と太宰治の関係がよくわかる3つの逸話・エピソード

太宰治は走れメロスや斜陽など中高生の現代文の教科書にも作品が載り、現代でも多くのファンに愛されていて昭和を代表する文豪の1人でもあります。

太宰治というと生涯に5度の自殺を経験していて、薄幸でネガティブ思考というイメージを持たれがちです。そんな太宰治は大正時代の文豪である芥川龍之介の大ファンというのは有名な話ですね。

この記事では芥川龍之介がどのようにして太宰治の人生に影響を与えたのか、2人の人物像と太宰治の芥川龍之介大好きエピソードを3つご紹介します。この3つのエピソードから太宰治の知られざる素顔を覗いてみましょう。

芥川龍之介と太宰治の関係は?

椅子に座る太宰治

太宰治は中学生時代から芥川龍之介の作品を読み、講演を聞いて熱狂するほどの大ファンでした。しかし、当人同士は直接会話を交わしたことはなく、芥川龍之介にとっての太宰治は自分の作品の一読者でしかありません。

なぜなら、芥川龍之介は太宰治がまだ高校生の頃の昭和2年7月に服毒自殺をしていて、太宰治が作家になる前に彼は亡くなっているからです。そのため、2人に直接的な関係性はなく、太宰の一方的な憧れであったことが伺えます。

芥川龍之介ってどんな人?

芥川龍之介

芥川龍之介は鼻や藪の中、羅生門などの多くの短編小説を執筆し多くの傑作を残していて、日本の文学の発展に大きく貢献した人物です。

芥川龍之介は生後数か月で実の母が亡くなるなど幸せな生い立ちとは言い難く、本人も繊細な性格であったことが知られています。

また、東京帝国大学英文学科に進学できるほどの秀才で気難しい印象を持っている方も多いのではないでしょうか。しかし、後年多数の女性に向けられたラブレターが発見されていることから実際は好色であったことも伺えます。

そんな芥川龍之介は昭和2年、服毒自殺を行い35歳という若さでこの世を去りました。自殺の原因は諸説ありますが、生前の本人は「将来へのぼんやりとした不安」と述べています。

太宰治ってどんな人?

太宰治

太宰治は走れメロスや人間失格などが代表作として知られていて、昭和22年から連載された斜陽はベストセラーを記録しています。

太宰治は地方議員を務める父の許で裕福な家庭の6男として育ち、学生時代は小中と成績優秀な秀才として知られていました。また、太宰治は自身の体験を下地に書かれた作品が多く残されており、病弱で薄幸なイメージが付いています。

しかし、実際の彼は知人や実家に借金を繰り返したり自殺や心中未遂を起こす、複数の女性と同時に交際するなど乱れた生活を送る遊び人でもありました。そんな太宰治は昭和23年愛人と玉川上水に入水自殺をしてこの世を去ります。

芥川龍之介が太宰治に与えた影響は?

芥川龍之介の名前が書かれた太宰のノート

生前の太宰治は芥川龍之介の大ファン。芥川龍之介に心酔していて、志賀直哉に対する悪口を書き連ねた如是我聞では「芥川の苦悩がまるで解っていない。」と批判しています。こちらではそんな太宰治の芥川龍之介大好きなエピソードを3つご紹介します。

太宰治の中高生時代のノートには芥川龍之介の落書きが!

太宰治の芥川龍之介大好きエピソードの中でも特に有名なのは、後年発見された彼の学生時代のノートに書かれた落書きです。

大学ノートの隅にはいくつも「芥川龍之介」と尊敬する芥川龍之介の名前が何度も書き連ねられています。このことからも、太宰治は学生時代から芥川龍之介に心酔していることがわかりますね。

さらに、このノートには芥川龍之介と思われる男性の似顔絵もいくつか残されています。

また、芥川龍之介と言うと顎に人差し指と親指をあてているポージングの写真が有名ですが、太宰治の高校時代の写真にもこのポーズを真似たものが残されています。

「刺す。」太宰治、芥川賞選考委員に受賞を直訴!

太宰治が佐藤春夫に送ったとされる書簡

なるほど、道化の華の方が作者の生活や文学観を一杯に盛っているが、私見によれば、作者目下の生活に厭いやな雲ありて、才能の素直に発せざる憾うらみあった。

これは芥川賞に応募して落選した太宰を選考委員である川端康成が評価した時の言葉で、「才能はあるが、私生活の悪さが作品に現われている。」と酷評しています。これに対して太宰治は激怒し「小鳥を飼い、舞踏を見るのがそんなに立派な生活なのか。刺す。そうも思った。」と反論して炎上しました。

さらに、太宰治は尊敬する芥川龍之介の賞をどうしても受賞したくて同じく選考委員の佐藤春夫に「私を見捨てないでください。」と書かれた4メートルもの長さに及ぶ長い手紙で選考を直訴しています。

しかし、芥川賞は一度候補に上がるとその後は候補にしないという当時の決まりがあったため、太宰治は芥川賞受賞ができないまま終わりました。

芥川龍之介に影響を受け生涯に5度の自殺を図る

太宰治と言えば自殺未遂を繰り返すというエピソードもよく知られています。

芥川龍之介の死を知った時、太宰治はまだ学生でしたが大変なショックを受けて自分の部屋に引きこもりがちになってしまいました。そして、そんな彼を心配する友人に「作家の死はこのようにあるべきなのかもしれない」と零します。

この発言だけでも太宰治が芥川龍之介の大好き加減が伺えますが、実際に彼はこの出来事の後芸者遊びや学生運動に明け暮れる様になりました。

そのうち、勉強も疎かになり何度も自殺を繰り返す投げやりな生き方をするようになってます。このような理由から太宰の死にたがりな気質も芥川龍之介の死にざまに影響を受けているのではないかという説があります。

芥川龍之介と太宰治に関するまとめ

いかがでしたでしょうか?

この記事では芥川龍之介と太宰治の関係性についてご紹介しました。太宰治は芥川龍之介に多くの影響を受けていることは確かです。しかし、芥川賞のエピソードに関しては借金で困窮していてどうしても賞金が必要だった、最後の自殺も狂言自殺のつもりが本当に死んでしまったなど様々な説があります。

また、太宰治はダメ人間というレッテルを貼られがちですが、複雑な家庭環境や裕福な家庭と自身の思想の乖離により苦悩していたことも事実です。このように自分の理想と現実のギャップに苦しみ上手に生きていくことができない人間臭さが彼の魅力の一つと言えますね。

このように、太宰治の作品を読む時は彼の意外な一面や芥川龍之介との関係性も理解して読むと新しい発見が得られるのではないでしょうか。