クレオパトラとはどんな人?生涯・年表まとめ【性格から逸話、功績や死因も紹介】

クレオパトラの功績

功績1「有力な政治家を次々と魅了」

絨毯の中から現れるクレオパトラ

プトレマイオス朝の女王クレオパトラは、地中海世界に対して強い影響力を持っていたローマにおける、有力な政治家であるカエサルやアントニウスを次々と魅了していきました。そして、彼らと接近して愛人関係を築くことで、プトレマイオス朝の味方を増やしていったのです。

カエサルがエジプトに上陸した頃、クレオパトラは対立するプトレマイオス13世派によってアレクサンドリアから追放されていました。そのため、彼女はエジプトに入国する際に、自らの身体を絨毯に包み、贈り物としてカエサルの部屋へ侵入するという奇策を図ります。

その結果、カエサルはクレオパトラの大胆なアプローチに魅了されてしまい、2人は愛人関係に至ったのです。

その後、クレオパトラはアントニウスとも愛人関係を築きます。当時、東方のパルティア王国への遠征を計画していたアントニウスは、プトレマイオス朝の協力を得ることで戦いを有利に進めることを目論んでいました。

しかし、アントニウスはクレオパトラに接近した結果、見事に誘惑されてしまったのです。

功績2「女性君主としてエジプト王国に君臨」

美貌と知恵を活かして大国を統治したクレオパトラ

250年以上の歴史を持つプトレマイオス朝において、クレオパトラは18歳の若さで女王としてエジプト王国に君臨しました。そして、不安定な情勢下にあった国を立て直すべく、自身の美貌と知恵を活かして政治を行ったのです。

プトレマイオス朝の慣習上、クレオパトラは1人でエジプトを統治していたわけではなく、弟であるプトレマイオス13世と姉弟婚を行って共同統治としていました。しかし、プトレマイオス13世はまだ幼かったため、実権を握っていたのはクレオパトラでした。

また、クレオパトラは人類史上で初めて艦隊を率いた女性君主であるとされています。紀元前31年、ローマのオクタウィアヌスによって宣戦布告されたクレオパトラは、アクティウムの海戦においてエジプト軍の艦隊を率いて強大なローマ軍と戦ったのです。

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功績3「ローマ世界と東方世界の仲介役となった」

カエサル統治下における共和政ローマの版図

クレオパトラの功績の1つとして、ローマ世界と東方世界を繋ぐ役割を担ったことが挙げられます。それまでのローマは、軍事的な侵略行為以外で東方世界との関わりがありませんでした。

しかし、クレオパトラとカエサルが接触したことをきっかけに、イタリアを中心とした国家であったローマは、小アジア諸国やパルティア王国などの東方世界の文化的な面を知ることになります。そして、双方の宗教において神々が交わることになったのです。

また、カエサルは東方遠征で世界に名を轟かせたアレクサンドロス大王に対して幼い頃より憧れを抱いており、パルティア王国やペルシアの地へ行くことを夢に見ていました。そして、その媒介者となったクレオパトラは、かつてアレクサンドロス大王に仕えた将軍プトレマイオスの子孫だったのです。

クレオパトラの名言

悲しさは世界共通。笑いは文化によって異なる。

国を支配しているのは男。その男たちを支配しているのは私。

お金では幸せは買えない。だが、お金は、あなたが不幸である間、何不自由ない生活をさせてくれる。

クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、大地の全表面が変わっていただろう(フランスの哲学者・パスカルの言葉)

ねえ、おねがい、この身を辱めと不幸せから救い出してほしいの。
一緒に連れていって。
いままで生きてきたうちには、ずいぶんと苦しい目にもあったけれど、あなたから遠く離れて過したこの短い間ほど、怖ろしいことはなかったわ。(クレオパトラが残した最後の言葉)

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クレオパトラの人物相関図

クレオパトラにまつわる逸話

逸話1「美への飽くなき追求!貝を絶滅に追いやる」

ヒメサラレイシ貝(貝紫)と染め物

クレオパトラの美への探究心が、貝を絶滅に追いやった?!ヒメサラレイシ貝という貝から採れる染料で染められた色を「貝紫」色といいます。

貝の中でも貴重な部位から採れるため、ごくわずかの人しか手にできなかったことやその高貴な色合いから、「力が宿る」として一般人には禁じられるようになり、「王族の色」として古代より王侯貴族に愛されてきました。

当時カエサルもマントに使っていたことで有名ですが、クレオパトラは船の帆をこの貝紫色に染めていたと言われています。いつしか王族の色は「ロイヤルブルー」に変わっていきますが、その背景には暇サラレイシ貝が乱獲で減少したことが囁かれています。

帆のように面積の広いものにまで染料を使っていたクレオパトラが、貝を絶滅に追いやった張本人かもしれないと言われています。

逸話2「1回の化粧で20万円?!」

メイクへのこだわり

クレオパトラというと、黒髪に切れ長の目、ゴージャスなアクセサリーを身につけたエキゾチックなイメージがありませんか?特に印象が強いのはその目元です。眼力を強調するアイライン、妖艶さをプラスするブルー系のアイシャドウは、見るものを圧倒させます。

当時、目元の美しさが男性を魅了すると言われ、クレオパトラはエメラルドなどの宝石を砕いた粉末をアイシャドウにつかっていたといいます。

他にも毎日のようにバラの香水風呂に使ったり、貴重だった乳香を美肌を保つのに使ったりと、美への追求に余念のなかったクレオパトラ。その化粧に金額は1回あたり400デナリ、日本円で約20万円にもなるといわれています。

逸話3「あまりの魅力にローマ人たちから恐れられた」

クレオパトラは魅力的なあまりに人々から恐れられ、神話のように語り継がれた

複数の有力なローマの政治家を誘惑し、操り人形としてきたクレオパトラは、魔性の女としてローマ人から恐れられました。そして、彼らによるクレオパトラの評価は厳しいものであり、差別的な表現を使われたこともあったのです。

ローマ帝国時代の歴史家たちは、クレオパトラは魔法を使ってローマ人を魅了した憎き外国人女であると表現しました。また、ローマの詩人ホラティウスは、クレオパトラに魅了されたアントニウスを、エジプト女に身を売ったローマ人であると非難しています。

このように、当時のローマにおける東方世界への敵意は凄まじく、その世界を治めていたクレオパトラは悪い魔法使いであるかのように伝えられました。その結果、彼女の魅力は神話のように後世へ語り継がれていきました。

逸話4「クレオパトラの墓は見つかっていない?」

クレオパトラの墓があると言われているタップ・オシリス・マグナ神殿

クレオパトラ7世の墓は、エジプトのアレクサンドリアにおいて発見された遺跡であるタップ・オシリス・マグナ神殿にあると言われていますが、実は現在においても彼女の遺体は見つかっていません。

アクティウムの海戦において敗北した後、クレオパトラは自らの命を絶ちました。そして、彼女は死の間際に夫のアントニウスと共に葬られたいという言葉を遺したのです。その後、遺言を聞き入れたオクタウィアヌスは、2人の遺体をアレクサンドリア近郊に埋葬させました。

現在、タップ・オシリス・マグナ神殿跡において発掘作業が続いています。この遺跡は、既にプトレマイオス朝時代の建造物であることがわかっており、今後クレオパトラの墓が発見されることがあるかもしれません。

クレオパトラの簡単年表

紀元前51年 – 18歳
クレオパトラ、弟と共同統治の形で即位
女王クレオパトラのはじまり

クレオパトラが18歳のとき、父王の遺言によって弟プトレマイオス13世との共同統治がはじまります。当時エジプトは、先代の父王が遊び好きで政治に疎かったあまり、危機にさらされていました。反乱に乗じてローマに亡命したりして王朝の弱体化を招いたために、クレオパトラが生まれたときにはすでに身内で骨肉の争いがおきていました。

クレオパトラが弟との共同統治をはじめたときも情勢は不安定なまま。これを回復しようとクレオパトラは幼い弟の代わりに実権を握り、ローマとの同盟を提案しました。しかし彼女の政策を恐れる弟の側近たちとの間に亀裂が入り、ついには王国を追われてしまいます。

紀元前48年 – 21歳
カエサルとの運命的な出会い、ファラオに返り咲く

当時プトレマイオス13世とその一派とクレオパトラとの間には亀裂が入り、クレオパトラはエジプトを追放されていました。カエサルは先王の遺言に従い、プトレマイオス13世とクレオパトラとを和解させる場をつくるため、エジプトを訪れます。

召集をかけられたものの、クレオパトラは追放されているためエジプトへの入国も危険な状態でした。そこで、カエサルへの貢物として絨毯にくるまって入国するという大胆な手法をとります。もちろん、カエサルの目にどう映るかも意識して、きちんと王族衣装を身にまとった状態でくるまれていました。飛び出してきたクレオパトラの美しさ、その賢さに、カエサルはたちまち魅了されたといいます。

紀元前30年 – 39歳
自ら死を選び、王国そのものの歴史とともに生を終える
クレオパトラの死

紀元前31年、クレオパトラとアントニウスの連合軍とオクタウィヌスの軍とが戦ったアクティウムの海戦は、オクタウィヌス側の大勝利となりました。敗戦したアントニウスとクレオパトラはそれぞれ監禁されることになり、アントニウスはクレオパトラが死んだという嘘の情報を受けて自害してしまいます。

クレオパトラは監禁されても、これまでと同じようにオクタウィアヌスを誘惑し、なんとか味方につけようとします。しかし、オクタウィアヌスは決して応じませんでした

。諦めたクレオパトラは、このまま生き続けて恥をかくくらいなら、と隠し持っていた毒蛇に胸を咬ませて、自害したといわれています。実質クレオパトラの独裁政治だったプトレマイオス朝エジプトの歴史も、同時に幕を閉じることになったのです。

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5 COMMENTS

syunsei

クレオパトラ七世フィロパトルのことが詳しく知れてうれしかったです、そして詳しく分かりやすく書いていたのでとてもありがたかったです!

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