日独伊三国同盟とは?経緯や各国の目的、与えた影響を分かりやすく解説

日独伊三国同盟に対する連合国の動き

国際連盟本部

日独伊三国同盟が終結されたことにより、連合国は日本・ドイツ・イタリアの3国を「ファシズム国家」が手を結んだと位置付けました。国際連盟から脱退した、周辺国への侵略を企てる警戒すべき存在と認識したのです。結果的に第二次世界大戦の勃発を誘発してしまいました。

日独伊三国同盟はアメリカへの牽制だった

日ソ中立条約締結の様子

上にも述べましたが、特に日本はアメリカへの牽制が一番の目的でした。ドイツ・イタリアを味方につけることによって、アメリカが日本への対外政策に手を出しにくくなるのではないかという思惑があったのです。

ですので1941年に日本は、ソ連と日ソ中立条約を結びます。相互不可侵及び第三国から攻撃を受けたら中立を守るという内容です。できれば4か国(ユーラシア枢軸)で、国力に有利であるアメリカに対抗しようとした結果でした。

同盟は失敗だった?

独ソ戦でのドイツ兵

結論から言うと、日独伊三国同盟は失敗だったといえるでしょう。日本はソ連と中立条約を結んで南方へと進出したかったと思いますが、日ソ中立条約締結の2ヶ月後ドイツはソ連に侵攻。独ソ戦が始まります。日本は中立の立場だったので、参戦しませんでした。そもそもそれぞれの思惑が違い、同盟は一枚岩とは言い難かったのです。

共同海戦で使用されたドイツの軍艦

また日本とヨーロッパは余りに遠く、同盟の一つにある共同の戦闘というのがほとんど行われませんでした。隣国である独伊間の陸空軍の共同作戦は行われましたが、両国本土から数千キロ離れた日本とは、同盟中一度も共同で戦線したことがないのが実情です。インド洋で海軍が共同作戦を行った程度だったといいます。そういったメリットは活用されずに結果、戦闘に巻き込まれる方に作用されることが多かった同盟でした。

同盟締結によって何が変わったのか

世界恐慌時のアメリカ―ウォール街の様子

最悪の選択をしたと揶揄される日独伊三国同盟ですが、そもそもどうしてこの三国が同盟を結ぶことになったのか。そこには世界恐慌による経済の混乱がありました。そこから立ち上がろうと、遅れた帝国主義を掲げた3国が手を結ぶことになったのです。終結前と終結後の状況を見ると、この3国は手を結ばざるえなかったのが浮かび上がってきます。

締結前はヨーロッパ戦線が激化していた

ヨーロッパ戦線の連合国兵士

終結前、ヨーロッパの情勢は乱れていました。1939年ドイツがポーランドに進攻し、それに伴ってイギリスとフランスがドイツに宣戦布告しました。独と英仏の戦争が始まったのです。ドイツ軍は資源を求めて北欧に進攻し、フランスを占領しついにはイギリスへの進出を目論んでいました。最終的にはヨーロッパを制したいドイツは、アメリカがイギリスを援助することを恐れていました。イタリアも国際連合を脱退し、英仏と険悪であり結果的にドイツと親密になることとなりました。

満州事変で洛陽に入る日本軍

また、日本も日中戦争が泥沼化しており、重慶の蒋介石政府を屈服させられずにいました。そこで資源を求めフランス領インドシナに入り、石油、ゴムなどの資源を得ようと考えていました。そこで、1940年にドイツがフランスを降伏させると、南進の好機と判断しアメリカの侵入も抑えたいそういう意図もあり、ドイツと親密な関係を築こうとしていたのです。

締結後は第二次世界大戦のきっかけに

真珠湾攻撃

結果として日独伊三国同盟を終結することにより、第二次世界大戦に突入するきっかけを与えてしまいました。1941年12月日本は真珠湾を攻撃し、アメリカとの戦闘状態に突入しました。この時日独伊三国同盟に加盟していたため、ドイツとイタリアもアメリカに宣戦布告せざるえませんでした。そのため孤立(モンロー)主義を掲げていたアメリカが、連合国として参加することになってしまい、東西巻き込んだ世界大戦となってしまったのです。

まとめ

いかがでしたでしょうか?最大の過ちだったと後世言われる日独伊三国同盟は、世界恐慌の影響からなかなか立ち直れない3国が、遅れた帝国主義を目指し手を組んだ同盟でした。結果として他の国が宣戦布告した国に連帯して宣戦布告してしまう、負の三つ巴的な連鎖を起してしまったのです。

私たちはこの歴史を振り返ることによって、同じ歴史を繰り返さないようにすることが大事なのではないでしょうか。この記事で少しで、多くの人に第二次世界大戦の歴史に興味を持っていただき反省していただけたらと願っています。長い記事を最後まで読んでいただきありがとうございました。

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