今年は待ちに待ったオリンピック・イヤー。しかも花の都・パリで開催されるとあって、早くから注目を集めてきました。観光地としても世界有数の都市であるだけに、さまざまなイベントも並行して企画されています。最近ではスポーツ観戦の新しい楽しみ方としてスポーツベットが利用者を増やしていると言われています。オリンピックでも多くのファンを熱狂させること間違いなしなのではないでしょうか。また、今大会ではブレイキン、スケートボード、スポーツクライミング、サーフィンの4種目が新しく加わり、期待を集めていますが、実はパリでオリンピックが開催されるのは今大会で三回目。ここでは、意外に知られていない、花の都・パリとオリンピックの歴史を振り返ってみたいと思います。
初のパリオリンピック・1900年大会
1900年のパリオリンピックは、第2回近代オリンピック夏季大会として開催されました。この大会は、同時に1900年のパリ万国博覧会の一環として行われたこともあり、開催期間は、なんと、1900年5月14日から10月28日と、5か月にも及ぶ長期のものとなりました。競技は、陸上競技、自転車競技、ボート競技、フェンシング、体操、射撃、テニス、水泳などが行われました。しかし、当時はオリンピックの概念がまだ確立されておらず、競技日程や結果の扱いが不明瞭であったため、大会運営も混乱をきたし、メダルが与えられたのは近代オリンピックの創設者とも言われているクーベルタンが運営に関わった陸上競技のみ。しかも、このメダルが実際に選手に届いたのは2年後の1902年のことであったとも伝えられています。さらには、後に大会開催に関する正確な記録が失われてしまったため、1900年のパリオリンピックは歴史的な意味を持つ大会でありながら、詳細な情報が不明瞭な部分も多い大会として知られています。
戦後の1924年大会
第一次大戦後の1924年に開催されたパリ大会では、数々のスポーツ競技が行われ、多くの国から選手が参加しました。特にアメリカ合衆国が強い成績を収め、総合メダル数で他国を圧倒しました。この大会では、陸上競技や水泳、ボクシング、自転車競技など、多くの競技が行われました。さらに、この大会で初めて冬季オリンピックの開催が決定され、オリンピックの歴史に新たな章が刻まれました。また、第一次大戦後のフランス社会は、大衆文化が発展を遂げた時代でもありました。第一次大戦で受けた精神的なダメージを癒すものとして、人々は娯楽を求めたのです。そして、そうしたなかでスポーツも多くの人々のあいだに広がっていったとされています。そもそも、スポーツは第一次大戦までは一部の人に限定されていたものでしたが、戦後はそのプレイヤー数が増加したのはもちろんのこと、「スポーツを観戦する」という概念が浸透していったのも͡この頃からだったと言われています。
新たな時代へ向けての2024年大会
そして前大会からちょうど百年後の今年、2024年、再びパリでオリンピックが開催されます。開催国となるフランスは、今大会を『共有とサステナビリティ』を念頭に置いた、革新的で思いやりのある大会にすることをめざすと発表しています。例えばパリでは、既存のインフラを最大限に活用し、地域住民が本当に必要とする施設だけを建設することが計画されています。また、二酸化炭素の排出を補い、特に輸送、食品、エネルギーの分野で環境に配慮したソリューションを採用することで、持続可能なオリンピックの実現に徹底して取り組むなど注目を集めています。さらに完全なジェンダーバランスを徹底するとともに、選手だけでなく一般市民も大会をより身近に感じられる取り組みも計画されているのが、今大会の特徴でもあります。
その反面、観光地としての魅力を余すところなく活用した競技場でも注目を集めています。例えば、エッフェル塔の下でのビーチバレー、アンヴァリッド(廃兵院)で行われるアーチェリー、コンコルド広場でのBMXフリースタイル、1900年のパリ万国博覧会の展示会場として建てられたグラン・パレでのフェンシングやテコンドー、そしてヴェルサイユ宮殿では馬術など、オリンピック競技だけでなく、選手をはじめ、観客や訪れる人たち全てがその開催地の魅力も充分に味わえるような内容となっています。
今大会が未来にも語り継がれるようなオリンピックになるのか、熱い夏に向けて世界中から注目が集まっています。