山下裕二『日本美術の底力』でアート作品の見方が変わる

「日本美術をわかるようになりたいけど、どこから取り掛かっていいかわからない!」
「日本美術は「わびさび」が大事っていうけど、よくわからなくて敬遠してしまう…」

このように、日本美術についてもっと知りたいけれどわかりづらくて敬遠してしまうという人は多いのではないでしょうか。「日本美術」と聞いて大多数の人が思い浮かべる屏風画や水墨画、枯山水の庭園などは、現在の私たちの生活様式からはあまりにもかけ離れた存在となってしまいました。とっつきにくいと感じるのも無理はないことです。

そのような人にこそおすすめしたいのが、この記事でご紹介する書籍『日本美術の底力 「縄文×弥生」で解き明かす』です。

著者の山下裕二は、室町時代の美術を中心に縄文時代から現代までの日本美術を幅広く論じている美術史家です。後で詳しくご紹介しますが著書もたくさんあり、展覧会のプロデューサーとしても活躍しています。

この『日本美術の底力』を読むと、今まで日本美術に対して感じていた「とっつきにくい」という気持ちが実は感じる必要のないものだったことがわかります。それは、著者の山下がとにかく「自分の目で観る」ということを大切にする美術史家だからです。この記事では、日本美術をこよなく愛するライターがこの『日本美術の底力』の魅力をお伝えします。

日本美術は「縄文と弥生の『ハイブリッド』」

著者・山下裕二

『日本美術の底力』は、次のような構成になっています。

  • 序章 日本美術の逆襲
  • 第1章 なぜ独創的な絵師が締め出されたのか
  • 第2章「ジャパン・オリジナル」の源流を探る
  • 第3章「縄文」から日本美術を見る
  • 第4章「弥生」から日本美術を見る
  • 第5章 いかに日本美術は進化してきたか
  • 終章 日本美術の底力とは何か

今でこそ日本美術の企画展は大盛況で、大きな美術館では入場するのに何時間も並ぶことがありますが、著者の山下が研究を始めた40年前はまったく違う様子でした。当時は西洋絵画だけがもてはやされていて、日本美術の展示はいくら有名な作品が並んでいてもガラガラだったそうです。

その状況が変わったのが2000年、京都国立博物館で開かれた伊藤若冲(いとう じゃくちゅう)の特別展からです。2000年といえばインターネットが普及し始めたころ、若冲の細かな描写と鮮やかな色彩、大胆な構図に魅了された来場者たちは「これはすごい!」とネット上に書きこみ、瞬く間に人気を呼んだことから来場者は9万人を超えました。

伊藤若冲「動植綵絵 老松白鳳図」

伊藤若冲は、日本史や美術の授業で習うことの少ない「忘れられた絵師」でした。歴史の授業で若冲の生きた江戸時代の美術や文化を習うとすれば、京都の「元禄文化」と江戸の「化政文化」くらいではないでしょうか。学校で習う美術史は「流派の歴史」なので、画派に所属しなかった若冲のような絵師たちは歴史から取りこぼされていきました。

また、日本美術史は長く「洗練されていて、抑制のきいた」ものとされてきました。著者の山下はそうした美意識を「弥生的美」と述べています。弥生土器のように、無駄のないミニマリズムのような美しさを日本美術史は至高としてきたのです。

けれども、日本には「弥生的美」とは正反対の美しさをもつ「縄文的美」がありました。装飾的でエネルギーに満ちあふれた縄文土器のような美しさは確かにあったのですが、「弥生的美」を至高とする日本美術史の世界には受け入れられませんでした。「縄文的美」の作品たちは長く隅に追いやられていたのです。

縄文土器の代表・火焔型土器

そんな不遇だった作品たちに目をつけたのが現代美術家・岡本太郎と美術史家の辻惟雄(つじ のぶお)です。岡本太郎は偶然訪れた東京国立博物館で、縄文土器や土偶と出会いました。そしてその衝撃と情熱を伝えるべく書かれた「縄文土器論」はそれまでの美術史研究を一変させたのです。

岡本の論文に衝撃を受けたのが、まだ学生だった辻惟雄でした。辻はこの本の著者・山下裕二の師匠にあたる美術史家で、『奇想の系譜 江戸のアヴァンギャルド』を書いた人物です。この『奇想の系譜』では、それまでの美術史からは締め出されていた伊藤若冲や曾我蕭白(そが しょうはく)のような異端の絵師たちが取り上げられました。

このように紹介すると、いかにも著者が「縄文的美」の信奉者であるかのようですが、山下は「縄文と弥生の『ハイブリッド』であることが日本美術の特質」であり、豊かさであると述べています。

「縄文的」「弥生的」という視点をもつと日本美術の見方は格段に変わります。では、どのようなものが「縄文的」「弥生的」なのでしょうか。

「縄文×弥生」とはどういうこと?

曾我蕭白『群仙図屏風』は本書の表紙に採用されている

「縄文的美」というのは、ダイナミックな動きが感じられたり、過剰なほど細かく描きこまれていたり飾られていたりする作品に表れています。先に挙げた伊藤若冲の作品などはまさに縄文的美の代表です。若冲の細かく線を重ねていく塗りこみ方は執念すら感じられます。

ほかにも、この『日本美術の底力』の表紙になっている曾我蕭白の『群仙図屏風』もグロテスクなほど描きこまれていて縄文的な美が表れています。この本の第3章では、縄文的美の作品がオールカラーで19点紹介されているのですが、解説がとにかく読みやすいです。シンプルでわかりやすい言葉で画家の魅力をあますことなく伝えてくれるので、それまで知らなかった画家のことにも一気に親しみがもてます。

長谷川等伯「松林図屏風」は本書の裏表紙にも使われている

縄文的美の作品に対して、「弥生的美」の作品も第4章で12点紹介されています。「弥生的美」というのは、静かな雰囲気が漂っていたり、余白を効果的に使っていたり色数が少なかったりして抑制のきいた作品に感じられるものです。本書の裏表紙に使われている長谷川等伯の「松林図屏風」などによく表れています。

弥生的美の作品が早くから国宝や重要文化財に認定されてきたのに対して、縄文的美の作品はまだまだその価値が認められていない、と著者は述べています。

著者・山下裕二は「日本美術応援団」団長

2000年に出版された赤瀬川原平との対談
『日本美術応援団』

著者の山下裕二は40年ほど日本美術の研究をしてきた美術史家です。その40年間の研究生活のなかで「仕事の方向性が決定づけられた」というのが、2000年に出版された赤瀬川原平との共著『日本美術応援団』です。

赤瀬川原平は1937年生まれの前衛美術家です。2014年に亡くなるまでに日本美術から純文学、カメラまで幅広いテーマを扱った200冊以上もの著書を残し、「路上観察学」や「超芸術トマソン」の提唱で知られています。

『日本美術の底力』の「おわりに」で、著者は赤瀬川に出会ったころ美術史をアカデミックに研究していくことを窮屈に感じていたといいます。一般の人々に向けて日本美術を伝えたいと考えていたところに赤瀬川との出会いがあり、2人で全国の日本美術作品を観て6冊の対談集を出しました。

赤瀬川が亡くなった後、日本美術応援団には俳優・井浦新などが加入し活動を続けています。応援団としての対談本もとても面白く、読みやすいのでぜひ読んでみてください。

『日本美術の底力』に関するまとめ

山下裕二『日本美術の底力』をご紹介してきました。「縄文的」「弥生的」という視点をもつと、アート作品を「自分の目で見る」ということがしやすくなります。今まで「日本美術はとっつきにくい…」と感じていた人も、一気に親しみやすくなるのではないでしょうか。

まずは、この『日本美術の底力』に収録されている図版をじっくり見てみてください。この本は新書版ですが、国宝や重要文化財クラスの作品が61点もオールカラーで掲載されています。図版を鑑賞することから始めて、それから美術館に足を運んでも遅くはないと思います。

さらに、日本美術を既に大好きな人にもこの本はおすすめです。一般にはあまり知られていない画家の紹介も多く、この記事を書いている私もたくさんの発見がありました。日本美術の新たな扉を開くのに最適な1冊です。

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