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エリザベス1世とはどんな人?生涯&功績まとめ【家系図や名言、年表も紹介】

エリザベス1世とは、16世紀後半のイギリスを統治していた女王です。王族では珍しく生涯独身を貫き、その身をイギリス国家に捧げた女王としても知られています。そのため「処女王」という通称で呼ばれ、イギリスの人々にはとても人気の高い女王の1人です。

エリザベス1世が行った善政の中でも、特に有名な政策は、スペイン艦隊との戦いである「アルマダ戦争」。無謀と思えた戦争でしたが、エリザベス1世は優秀な指揮官を起用し、自ら前線に立って兵士を勇気づけるスピーチをします。これにより兵士の士気が高まり、イギリスは戦争で奇跡の勝利を納め、世界の海洋国家へと歩みを進めました。

エリザベス1世

その他にも、彼女は国民のために宗教問題の解決や経済政策、外交政策を積極的に行いました。また、貧富の差を無くすために救貧法という法律も制定し、できる限り国民の生活と心に寄り添ったのです。その結果、彼女は国民に強く愛され、小さな島国だったイギリスは世界的に栄光を極めていきます。

このように、エリザベス1世はイギリスという国に一途に尽くした女王でしたが、その反面私生活では普通の女性らしい一面も見受けられました。結婚はしなかったものの恋愛関係にあった男性が幾人か存在し、その男性と親しい女性には強い嫉妬心を抱きます。国と国民のために生きた「女王」には、誰かに愛されたい「エリザベス1世」という一人の「女性」の顔もあったのですね。

「女王」としての姿と「女性」としての姿を持つエリザベス女王。そんな彼女の生涯について、イギリスが大好きすぎて本棚1つ分イギリス書籍で埋まっている筆者が紹介します。

エリザベス1世とはどんな人物か

名前エリザベス1世
通称処女王、善き女王ベス、
栄光ある女人
誕生日1553年9月7日
没日1603年3月24日
生地グリニッジ宮殿
(イングランド)
没日リッチモンド宮殿
(イングランド)
配偶者なし
埋葬場所ウェストミンスター寺院
(イングランド)

エリザベス1世の生涯をハイライト

着飾ったエリザベス1世

国民に愛され生涯を国に尽くした女王、エリザベス1世。そんな彼女の生涯は一体どのようなものだったのでしょうか。まずは、簡単に要約してご説明します。

エリザベス1世は、ヘンリー8世と彼の愛人であったアン・ブーリンとの間に誕生します。そんな彼女の幼少期は波乱に満ちていました。1536年に母アン・ブーリンが不義密通(不倫)で処刑され、彼女はわずか2歳で王族の地位を剥奪されます。そして、10歳で王位継承権を取り戻すまで庶子として扱われました。

ロンドン塔のアン・ブーリン

その上、継母の再婚相手との仲を疑われ、14歳で屋敷を追い出されます。また、父ヘンリー8世の死後は王位を継いだメアリー1世への反乱を企てたとされ、ロンドン塔に収監。このような辛い10〜20代を経て、1558年にエリザベス1世は25歳でイギリスの女王の座に就きます。

スコットランド女王
メアリー・スチュワート

王位を継いだ彼女は社会問題となっていた宗教対立や経済政策、外交政策に様々な策を講じました。また、スコットランドの女王メアリー・スチュワートの反乱も鎮圧させます。そして、35歳の時に起こったアルマダ戦争では兵士たちを鼓舞させ、勝利を導きました。

生涯結婚せず、イギリス国家と国民に尽くしたエリザベス1世。晩年においても様々な国政問題に取り組み、1603年に69歳でこの世を去りました。死因は肺炎だったという説が濃厚です。彼女の棺は、4頭の馬に引かれた霊柩車によって厳かにウェストミンスター寺院へと運ばれました。

エリザベス1世は強かで慈悲深い性格?

優しいまなざしのエリザベス1世

王位に就いたエリザベス1世は、強かでありつつも慈悲深い性格を国政において遺憾なく発揮させました。例えば、諸外国との外交戦略において、彼女は自分が「女性」であることを積極的に利用したのです。自身は豪華なドレスを身に纏いつつ、自分以外の女性たちには地味なドレスを着せて、自分の偉大さを貴族たちに見せることもありました。

また、エリザベス1世の政治に対する姿勢は、「私は見る、そして語らない」。彼女は常に議会を尊重し、民衆の意見を大切にしていたのです。

その他にも、経済が発展に伴った貧富の差を解決するため、議会を通じて「エリザベス救貧法」を制定するなど慈悲深い一面も見せています。ちなみに、この法律は近代の社会福祉制度の始まりとなりました。

エリザベス1世の肖像画に込められた秘密

真珠を着飾ったエリザベス1世

エリザベス1世の肖像画は数多くありますが、それには当時の宗教問題が大きく関係しています。キリスト教の分派対立によって国が分裂しかけていたため、国をまとめるために女王を神格化する必要があったのです。

エリザベス1世の肖像画によって女王崇拝を高め、国民の気持ちをまとめていきました。元々、当時の君主は国民から崇拝されるべきだと考えられていたため、エリザベス1世の肖像画の制作はスムーズに進んだのです。

そして、エリザベス1世の肖像画には彼女の治世を象徴するものがよく描かれています。例えば、「美、清潔、完全、処女性」を意味する真珠は必ず描かれており、「処女王」としての彼女の立場を表していました。

他にも国民のための自己犠牲、英国国教会の母、国民の庇護者などを様々なもので表現しています。その他、エリザベス1世は太陽にも喩えられており、晩年の肖像画「虹の肖像」には「太陽なくして虹もなし」と書かれているほどです。

人々を魅了したエリザベス1世の化粧

エリザベス1世の化粧

陶器のような白肌が特徴的なエリザベス1世の化粧。16世紀では濃い化粧が好まれておらず、肌の白さを美しさの基準としていました。そのため、エリザベス1世は下地に蜜蝋を使い、その上から白粉を塗り肌を白く見せていました。

女王の美しい白い肌に魅せられて、貴族女性たちはエリザベス1世の化粧を真似するようになります。しかし、この化粧には蜜蝋を溶かさないように真冬でも暖房を使えないという欠点がありました。

また、当時の化粧道具である白粉は鉛や水銀を含んでおり、とても危険だったのです。それでも、エリザベス1世は化粧にこだわりました。彼女は天然痘を患ったことがあり、その時の醜い痕を隠すために化粧は必須だったのです。

また、肖像画や外交戦略のためにも、常に化粧をして外見に気を配っていました。水銀中毒などの危険があったにも関わらず、エリザベス1世は化粧に関して類稀なる努力をしていたのです。

エリザベス1世の功績

功績1「イギリス国教会の法律として統一法を制定」

カンタベリー大聖堂

エリザベス1世が即位した時、イギリス内は父ヘンリー8世の時代から続くカトリックとプロテスタントの対立が問題となっていました。そんな中で、エリザベス1世が行なったのは、中庸を取るということ。

彼女はカトリックとプロテスタントのどちらかに偏らず、両方の儀式を取り入れた「統一法(礼拝統一法)」を制定したのです。そして、この法律を基にイギリス国教会を国家の宗教として定めました。

どちらかの宗派を極端に推進しようとする者は弾圧しましたが、急激な改革はせず、穏健派の教徒は積極的に迎え入れたのです。これは、絶対王政を強化しつつも国民の負担を減らした政策であり、エリザベス1世らしい政策とも言えますね。

功績2「アルマダ戦争で無敵と言われたスペインに勝利して海外へ進出」

アルマダ戦争

エリザベス1世は16世紀ヨーロッパで最も繁栄を極めていたスペインに対して積極的な外交政策を取りました。スペインからの独立を目指すオランダを支持し、スペインの財宝船を狙う海賊行為も容認します。そのため、スペインとは険悪な仲に。

そして、スペインとスコットランド女王メアリーが自分の暗殺計画を企てたことをきっかけにスペインと海戦することを決意しました。

当時のスペイン艦隊は無敵と言われており、イギリスの勝利は難しいかのように見えましたが、エリザベス1世は自ら前線へ赴いて兵士たちを鼓舞し勝利を勝ち取ります。そのおかげで、イギリスは海外へ進出。エリザベス1世は大英帝国への一歩を踏み出したのです。

功績3「毛織物などの産業発展と貧困対策として救貧法を制定 」

羊たち

エリザベス1世は経済政策や国民の生活に対しても、有効な策を講じます。16世紀イギリスの産業は毛織物工業が中心的でした。エリザベス1世はこの産業をより発展させるべく、毛織物を海外への貿易品として使用し、国内の富を増やします。また、アメリカへの進出や東インド会社の設立など、海外での活動を活発に行いました。

しかし、イギリス国民への関心も忘れてはいません。16世紀において、イギリス階級の一つとされる貧困層の労働者階級が増え、貧富の差が拡大したことにも気づいていました。

そのために、エリザベス1世は貧困者を支援する「救貧法」を制定します。これは、現在の社会保障制度の始まりとされているのです。

エリザベス1世の名言

私はイギリスと結婚した

これはエリザベス1世が王位を戴冠した後、議会で述べた言葉です。これはイギリスをヨーロッパ各地の戦争から守る政治的戦略でもありました。

しかし、それ以上にエリザベス1世は配偶者に尽くすようにイギリスという国とその国民を愛したのです。

確かに、私はか弱く華奢な女のからだを持っていますが、国王の心と勇気をも持ち合わせております

スペインの無敵艦隊との「アルマダ戦争」の時に行ったスピーチでの言葉です。エリザベス1世は自ら戦闘部隊の先頭に赴いて、この言葉で「心は皆と共にある」ことを伝え、兵士たちを鼓舞しました。

その甲斐あってか、世界一最強と言われたスペインの艦隊を破り、イギリスはアルマダ戦争に勝利します。

国民の愛情とともに国を統治できたことが、私の王冠の栄光なのです

これはエリザベス1世が晩年の時に行ったスピーチの言葉です。彼女はこの言葉とともに、国民の生活を苦しめていた貿易独占権(独占特許状)の撤廃を約束しました。

イギリス国民の生活と幸せを第一に考えた心温まるスピーチは、今でも「黄金のスピーチ」として知られています。

エリザベス1世の人物相関図

エリザベス1世にまつわる都市伝説・武勇伝

都市伝説・武勇伝1「国のために結婚しなかった」

若きエリザベス1世

エリザベス1世といえば、冒頭でも述べたように生涯結婚をしなかった「処女王」として知られています。実は、エリザベス1世が結婚しなかった裏側には国のための国家政策がありました。つまり、結婚せずに独身を貫く方が利点が多かったのです。

第一に、「私は国と結婚した。生涯国と国民に尽くす」と宣言すれば、国民の信頼を勝ち取りやすくなります。第二に、配偶者がいないことで諸国の政治問題や国内の争いに関して中立の立場になり、国を守ることになるのです。そして、第三に婚姻を盾にして外交上で有利に動くことができました。

エリザベス1世にとって、自分が独身であることは最大の武器であり、立場を守るための最大の防御でもあったのです。

都市伝説・武勇伝2「外国語と弁論術を習得していた」

英語の本

エリザベス1世は幼少期の優れた家庭教師のおかげもあり、とても教養に満ち溢れた女性に育っていました。特に際立ったのは語学の才能。エリザベス1世は母語の英語はもちろんのこと、ラテン語からフランス語、イタリア語、ギリシャ語まで流暢に話せました。この才能は外交政策において最大限に発揮されたのです。

また、人々を惹きつける演説を行う技術である弁論術も身につけていました。戴冠式やアルマダ戦争の時なども見事なスピーチを行ったとされていますが、それにはこの弁論術が役立っていたのですね。

都市伝説・武勇伝3「晩年は鬱病になった」

晩年のエリザベス1世

エリザベス1世の晩年は幼少期と同じく、非常に暗く辛いものでした。親しい友人達が次々と亡くなっていき、国政も度重なる戦争により財政難となります。また、結婚はせずとも愛人はいたエリザベス1世ですが、その愛人たちも死別や政治的トラブルにより彼女から離れていきました。

このようなことが重なり、晩年の女王エリザベス1世は鬱病になっていたという説があります。それが原因で体を壊し、健康状態も悪化しました。そして、1603年に69歳でこの世を去ったのです。

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