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天動説とは?地動説との違いや唱えた人、歴史を分かりやすく解説

天動説、地動説にまつわる宗教裁判とは

当時のキリスト教と世界観

現代のバチカン市国・サンピエトロ大聖堂

当時のキリスト教の世界観では、天動説こそ教会の説く世界に相応しく、地動説は容れられるものではありませんでした。また、異端審問が厳しく行われる時代でもあり、この時代の学問は常に厳しい目を向けられる存在でもありました。

しかし、ある時期において比較的地動説に寛容であった時代がありました。つまり、時代性、地域性の2つの要因により地動説が広く知られ、新たな研究の下地となったのでした。

暦問題

正確な時間を刻むことは、
キリスト教にとっても至上命題であった

1500年代、キリスト教国は一つの難題を抱えていました。暦です。当時用いられていた暦は、紀元前45年1月1日から採用されたユリウス暦でした。

ユリウス暦は、共和制ローマのガイウス・ユリウス・カエサルの名に由来しています。一年を365.25日とするこの暦が、1500年代には10日ほどズレてしまっていました。このことは、神の神子であるイエスの誕生、復活、降臨などを司るキリスト教会としては死活問題でした。

このため、地動説を含む天体観測や暦計算に多少なり寛容になる必要があったのです。その後、1582年10月15日にグレゴリオ暦が採用されます。ユリウス暦の問題を解消するため、100年に97回の閏年を設け1年の平均日数を365.2425日に修正しています。

異端審問所「検邪聖省」

異端として処刑されたジョルダーノ・ブルーノの銅像(ローマ・カンポ・デ・フィオーリ広場)

1542年、当時のローマ法王パウルス3世がローマに異端審問所「検邪聖省」を設置します。この異端審問所は、現在のイタリア国内のみならず各国の異端審問を監視する機能もありました。しかし、実際の権限はイタリア国内にほぼ限定していたと考えられています。

ガリレイ宗教裁判とはどんなものだったか

異端審問所で審理を受けるガリレイ

第1回裁判

1616年、ガリレイは裁判にかけられます。焦点となったのは、ガリレイのものとされていた次の2つの命題が異端なのかどうか、という点でした。

  • 命題1:太陽が宇宙の中心で静止している
  • 命題2:地球は宇宙の中心にあるものではなく、不動でもなく、全体として動いており、日周運動もしている

これに対する検邪聖省の判断は、愚かでばかげており哲学的にも形式的にも異端というものでした。しかし、この裁判では「被告・ガリレイ」という色彩はうすく、<コペルニクス地動説を「宇宙の実際である」とし、それによってカトリック教会の『聖書』に対する解釈に変更を迫るとすれば異端だ>と明確にした点に特徴があります。

教皇の命を受けてガリレイを召喚したベラルミーノ枢機卿は、ガリレイに対し判決ではなく「訓告」によってこの学説を撤回するよう求めています。ベラルミーノは、ガリレイの名誉のために「単に教令を知らされ、これに服したのみ」と擁護する証明書まで書いたのでした。

裁判の直後、ローマ教皇庁はコペルニクスの『天球の回転について』を一時閲覧禁止とします。その後部分的な修正(地動説が単に数学的な仮説であることの明示)を経て閲覧は許可されますが、再版は許されませんでした。

第2回裁判

1633年、ガリレイは二度目の裁判にかけられることになります。直接的な原因は、1630年にガリレイが出版した『天文対話』です。天動説、地動説を両論併記するかたちで、ガリレイとしてはベラルミーノとの約束を守ったつもりでした。

ところが、この裁判で検邪聖省側が提出した1616年の裁判記録には「太陽中心説をいかなる方法でも抱かず、弁護せず、教えないよう禁止命令を受けた」旨が記されており、ガリレイがこれに背いたとの主張が繰り出されました。この裁判記録には裁判官の署名がなく、ガリレイもベラルミーノの証明書(教えることの是非には触れていない)を提出するなど反論しますが、退けられてしまいます。

有罪となったガリレイには、次の判決が突きつけられました。『天文対話』は禁書とすること生涯にわたり投獄されること贖罪のために3年間、毎週七つの悔罪詩編を唱えることなお、この2回目の裁判の判決書には、関与した10名の委員のうち7名が署名、残る3名は署名を拒んでいます。

教会側は誤りをみとめた?その後の対応とは

ガリレイ裁判について、教会側の手法が強引なものだったとの批判は当時からあったと考えられます。ただ、教会側はその後も天動説支持を変えることはありませんでした。流れが変わったのは、ヨハネ・パウロ2世、ベネディクト16世という二人のローマ教皇の登場によります。

結果として、教会側はガリレイ裁判の誤りをみとめ、ガリレイに謝罪するとともに、地動説を承認することとなりました。以下、二人の教皇についてご紹介します。

ヨハネ・パウロ2世(1920年~2005年、教皇在位1978年~2005年)

ヨハネ・パウロ2世

1971年11月、時のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世は、アルベルト・アインシュタイン生誕100年記念祝典の講演「ガリレイの偉大さはすべての人の知るところ」において、ガリレイ裁判に関して言及し、注目を集めました。「再審に関する調査委員会を発足させる」と言ったのです。

1983年。再審についての調査委員会の結論は「無罪」。ガリレイはおよそ350年ぶりにようやく無罪を勝ち取ることができました。ヨハネ・パウロ2世はローマ教皇として正式に裁判の誤りをみとめ、謝罪しています。1992年には正式にガリレイの名誉を回復することに繋がりました。

ベネディクト16世(1927年~、教皇在位2005年~2013年)

ベネディクト16世

ベネディクト16世は、枢機卿であった1990年当時、ガリレイ裁判について教会側の判断を支持する演説を行い、批判を受けました。2008年1月には「教会はガリレイよりも理性に忠実だった」と発言、ローマ大学での講演が中止となる事態に発展しています。

しかし、同じ2008年12月にはローマ教皇庁にて「ガリレイの研究は、キリスト教の信仰に反するものではなかった」とし、公式に謝罪するに至りました。

文明ごとの世界観

人類には文明の数だけ世界観・宇宙観が広がっていました。文明の発達がなかった頃、人類は想像力をもって世界観を形成してきたといえます。そしてその世界観を筋道立てて考えるために、哲学、天文学をはじめとする科学を発展させたのでした。

以下は、人間の描く世界観の一例です。

古代エジプトの世界観

古代エジプトの描く世界は、天空、大気、大地に分けられ、それぞれに神が司るとされていました。下図中央が世界を示しており、天を覆う天空の女神・ヌト、横たわる大地の神・ゲブの間にはさまれるように大気の神・シューがヌトを支えています。

古代エジプトの描く世界

古代バビロニアの世界観

最古の地図「バビロニアの世界地図」は、紀元前700年頃に描かれました。素材は粘土板で、アッカド帝国サルゴン王の物語に挿入されています。上部を北とし、二重の円の内側が陸地(バビロニア)、円と円の間が海、二重円の外側が対岸(想像)となっています。

「バビロニアの世界地図」中心の窪みは(円を描くため)コンパスを使用した跡とされる

古代インドの世界観

古代インド最古の宗教文献「ヴェーダ」にあらわれている世界観。ヴェーダはインドにおける哲学、文学そして宗教の根源ともよばれています。宇宙を天・空気・地の3層に分け、それぞれを3層に区分することで合計9区分の世界と把握していました。

古代インドの世界観。亀の甲羅に像が乗り世界をささえ、蛇が天蓋となっている。

その他の世界観

星々の位置する天上界、大地と海の地上界、霊的な地下界の3層が描かれている
  • アステカ文明における世界観
中央の太陽が現在の太陽、周りの4つの絵が既にほろんだ4つの太陽を表現している

天動説の始まりから終わりまでの流れ

1万年~2万年:ラスコー壁画に最古の星座?

ラスコーの壁画。右の牛の肩ちかくにプレアデス星団とおぼしき星が描かれる

ラスコー洞窟(フランス)の壁画に、星と思われる点が描かれています。この壁画と実際の星座の位置(おうし座とプレアデス星団)とが酷似していることから、点描された星はプレアデス星団と考えられています。

紀元前370年頃:天動説はじまる

エウドクソスも魅了されたであろうエジプトの星空

この頃、エウドクソスにより同心球による天動説が説かれます。さらに紀元前340年頃には、アリストテレスが『天体論』『宇宙論』を著します。エウドクソスの天動説を取り込み独自の哲学体系の一部として発展させています。

同じ頃、アリスタルコスにより地球の自転と公転が主張されます。しかし、地動説は定着しませんでした。

紀元前150年頃:天動説、確立

プトレマイオスの世界地図

この頃、プトレマイオスが『アルマゲスト』を著しています。アリストテレスの宇宙モデルを中心に、周転円によって天動説を補完・強化しました。

紀元前45年:ユリウス暦制定

紀元前45年、ローマ共和制末期の独裁者カエサルはユリウス暦を採用しています。従来の太陰暦に替えることで実際の季節との間に生じていた大幅なズレを修正しました。

1054年:超新星の出現

超新星1054を再現した星空

1954年7月、おうし座に超新星(SN 1054、かに超新星とも呼ばれます)が現れました。世界各地で観測され、中国では『宋史』に、日本では藤原定家が『明月記』に記録を残しています。その輝きは、日中でも23日間に渡り観測されました。

1095年:十字軍の遠征はじまる

1095年、セルジューク朝トルコに侵攻された東ローマ帝国が、ローマ教皇に救援を求めたことが発端となり、聖地・エルサレムの奪還を目的に十字軍の遠征がはじまります。第1回(1095年)~第9回(1271年)まで9次に渡る遠征が行われましたが、その内容や成果はまちまちでした。

1542年:異端審問所、設置される

1542年、ローマ教皇・パウルス3世が異端審問所「検邪聖省」を設置します。

1543年:コペルニクス、自説を出版

コペルニクスの地動説は斬新すぎる考え方とされた

1543年、コペルニクスは『天球の回転について』を出版しました。惑星の逆行や光度の変化を太陽中心とする理論体系(地動説)で説明しています。出版と時を同じく死去していることから、コペルニクスは(出版により)異端視されることを恐れていた考えられています。

1575年:ジョルダーノ・ブルーノ処刑

1975年、ジョルダーノ・ブルーノが火あぶりの刑により処刑されました。「地動説を唱えたこと」が直接の原因ではないにせよ、異端に対する苛烈な措置は多くの学者に影響を与えました。

1582年:グレゴリオ暦採用

グレゴリウス13世

1582年10月15日、ローマ教皇・グレゴリウス13世がユリウス暦の改良を命じ、新たにグレゴリオ暦が採用されています。

1596年:ケプラー、『宇宙の神秘』を出版する

1596年、ケプラーは『宇宙の神秘』を出版します。その後、プラハの天文学者であるティコ・プラーエに師事し、天体観測の膨大なデータを集めながら研究しました。

1610年:ガリレイ、木星に衛星を見つける

木星の衛星

1610年、望遠鏡による観測でガリレイは木星の周りを回る4つの衛星を発見しました。トスカーナ大公となったメディチ家のコジモ2世への経緯から「コジモ星」次いで「メディチ星」と名づけています。

1616年:ガリレイ、第一次裁判

1616年、ガリレイは検邪聖省の呼び出しを受け、裁判が開始されます。しかし、この時点ではガリレイ本人の咎めはほとんどなく、コペルニクスの命題が焦点となりました。

1632年:ガリレイ、『天文対話』を出版

1632年、ガリレイは『天文対話』を出版しています。天動説と地動説をどちらも取り上げて、議論をたたかわせる内容でした。

1633年:ガリレイ、第二次裁判

1633年、ガリレイは2度目の裁判への呼び出しをうけたました。1616年の裁判記録によって有罪とされたガリレイですが、その心の中では地動説への確信を捨てることはできませんでした。

1687年:ニュートン、『プリンキピア』を出版する

ニュートンが著した『プリンキピア』

1687年、ニュートンは『プリンキピア』を出版します。ニュートンの「万有引力」の発見によって天動説・地動説の論争は終局へと傾いていきます。

天動説における関連作品

書籍

天動説の絵本 (安野光雅の絵本)

天動説の歴史について描かれた絵本です。絵本ですので、非常に「お話」としての側面が強く、なんとなく眺めていてもなんとも不思議な魅力に溢れています。

絵本でありつつ、中身は大人向けです。人類の知の限界を超えたときの恐れや悲しみまでもがテーマとなっているからです。もし子どもに読み聞かせる場合は、相当注釈を加える必要がありますが、チャレンジする価値のある一冊だと思います。

星の使者―ガリレオ・ガリレイ

ガリレイの生涯を描いた絵本です。その絵のうつくしさがなんといっても最大の魅力です。文章の向きが変わってゆくのは、回転する星の動きを意図してのものでしょうか。ネットのレビューでは「読みにくい」という声がありました。細かいところですが、購入時には留意が必要でしょう。

個人的には、ガリレイの人生を象徴しているように感じました。信仰心と真理の探究が、ガリレイの中では両立しているのに、(当時の)世間ではそれが許されない。やるせない思いと科学者としての情熱が渦巻いていたに違いない……と。こちらもまた親子でふかく味わえる一冊です。

天空の地図 人類は頭上の世界をどう描いてきたのか

人類が、歴史の中でこの世界をどのように把握し、描いてきたのかを知ることができる貴重な一冊です。当時の人びとにとってこの世界はさぞかし不思議だったのだろうと感じさせられます。西に日が沈み、夜空に星々が輝き、夜が明ければまた太陽が東から昇る。天動説がごく自然なものとして受け容れられたのも分かる気がします。

この本を読んでいると「知識を得ることが人間を自由にする」ことについ懐疑的になってしまいます。だって何も知らない昔の人の方が、現代人よりも自由な発想で世界を認識できたわけですから。眺めるだけでも時を忘れてしまうほどの一冊です。

星界の報告 (講談社学術文庫)

ガリレイが1610年に著した書物の邦訳版文庫です。ガリレイの製作した望遠鏡や望遠鏡を用いて観測した月や惑星についての解説がなされています。もちろん、現代のわれわれからすれば学校で習うことばかりですから、斬新さはあまり感じられません。

しかし、ここで感じるべきは、この書物が1610年のイタリアで刊行されているということです。特にイタリア国内は異端審問の目も厳しく、天動説批判はまさに命がけの行為でした。そういった目線で読むと鳥肌ものの怖さを感じることができます。

映画

アレクサンドリア

4世紀のアレクサンドリアで活躍した女性数学者・天文学者・哲学者のヒュパティアを主人公とした映画です。正義感が強く、真理の探究に妥協しないヒュパティアは、その美貌もあり多くの人から慕われる存在でした。

非常に合理的な考えの持ち主で、物事の神秘性を取り除き学術的に紐解こうとする姿勢は、キリスト教徒からは神の冒涜ととられてしまいます。当時のローマ皇帝・テオドシウス1世により異教と異端に対する迫害が本格化し、暴徒と化した群衆が津波のようにアレクサンドリアを襲います。古代アレクサンドリアの美しい街並みや再現された当時の星空が、悲しいほどに魅力的にうつる作品です。

動画

小3生でもわかる、天動説と地動説(前編)

小学生を対象に天動説、地動説のちがいを解説している動画です。オンライン学習塾の授業を受けているような感覚で見ることができます。話す速度は聞きとり易く、使用する教材も非常に分かり易く工夫されています。後編もあります。

地動説と天動説の違いを表したGIFが面白い【c】

天動説と地動説を同時に画面上に並べたCGで再現し、比較をしている動画です。惑星の逆行運動を説明するために天動説が採用した「周転円」も、こうして動きとしてみると理解しやすいです。そのあまりの複雑さに「神がこんなに複雑なものをつくるのか」といった疑問がでてくるのも無理のないことだと思いました。

地球は平らだと言いはる人々を説得する方法

最後に一風変わった動画として「地球平面説」に関する動画をご紹介します。「南極大陸は存在せず平面地球の外側を覆う氷の壁」「平面地球の東の端まで進むと、西の端にワープする」など、こうした事柄を信じる人がいることに驚きですが、これも独自の世界観として趣味の範囲で考えてみるのは面白いかもしれませんね!

天動説に関するまとめ

今回は、天動説について反対説である地動説に関する情報も加えながら解説をしました。天動説はまちがいで地動説がただしい―、そのように理解をしてしまいがちですが、現代ではもう少し複雑な宇宙像が明らかになっています。例えば、太陽は宇宙どころか銀河系の中心ですらなく、銀河系もまた多くの銀河の中のひとつに過ぎないことが分かっています。

肝心なことは「正しいのはどちらか」というような単純なことではありません。人類はその歴史の中で、目に見えるものを説明することに徹してきました。天動説も地動説もどちらもその解として(完全ではないにせよ)じつによく考え抜かれたものといえます。

この記事を読まれた方が星空を見上げたとき、「紙と筆をもってその謎を紐解こうとした人びとがいたこと」を思い出していただけたら嬉しいです!

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