ラテン人と他民族の関係
ラテン人とローマ人
ラテン人は、イタリア半島に建国したローマ人と2度に渡るラティウム戦争を行いました。
第一次ラティウム戦争は、ラテン人の都市国家であるアルバ・ロンガの主導で結成した、ラティウム同盟によって引き起こされました。ローマ王タルクィニウスが共和政ローマから追放された際に、ラティウム同盟がタルクィニウスの援軍となったのです。
激戦の末、ローマ軍がラティウム同盟を撃退し、停戦となります。
第二次ラティウム戦争は、共和政ローマからの自立を図ろうとしたラテン人達が引き起こしました。最終的にはローマが勝利し、ラティウム同盟は解体。ラティウム勢力はローマの影響下に入る結果となりました。
ラテン人とゲルマン人
ゲルマン人は、ラテン人と同じくインド=ヨーロッパ語族に属しています。
ラテン人がイタリア半島に定住したのに対し、ゲルマン人は元々ユトランド半島、北ドイツ、スカンジナビア半島に住んでいました。
ゲルマン人が大移動した際には、多数が南下してローマ帝国に侵入。ラテン人を取り込んだローマ帝国はゲルマン人に脅かされました。
ラテン人の歴史年表
紀元前10世紀頃 – 「インド=ヨーロッパ語族の大移動」
紀元前10世紀頃に、インド=ヨーロッパ語族の大移動が始まりました。インド=ヨーロッパ語族に属するイタリック語派の古代民族であるラテン人は、イタリア半島に定住します。
ラテン人の移動は、古代イタリアに鉄器が伝来した紀元前900年頃に完了したと言われていますが、起源については様々な仮説が立っており、黒海・カスピ海の北方やアナトリア半島を起源とする説などがあります。
イタリア半島のラティウム地方に定住したラテン人は、後に世界帝国となるローマ文明の礎を築き上げることになります。
紀元前8世紀頃 – 「ラティウム文化の形成」
紀元前1000年頃から紀元前700年頃、イタリア半島に移住したラテン人はラティウム文化という独自の文化圏を造り上げました。
ラティウム文化圏を形成したのと同じ頃、自分たちはイタリック人であるという民族意識に変化が現れ、ラテン人という新たな帰属心が誕生したのです。
ラティウム文化における最大の特徴として、小屋型の棺桶を使用していたということが挙げられます。この文化は初期には部分的な伝統でありましたが、時代が進むと一般に浸透していきました。
紀元前5世紀頃 – 「ラティウム戦争」
ラティウム戦争は紀元前5世紀から紀元前4世紀にかけて、共和政ローマとラテン人を中心としたラティウム同盟の間で2度に渡って起きた戦争です。
1度目の第一次ラティウム戦争は、紀元前498年に始まり、紀元前493年に停戦。最大の激戦となったレギッルス湖畔の戦いでローマ軍が勝利したことで勝負が決まりました。
2度目の第二次ラティウム戦争でも共和政ローマが勝利を収め、ラティウム同盟はローマの影響下に入ります。それ以降、ラテン人はローマ人と同化していくことになります。
ラテン人に関するまとめ
今回はラテン人について解説しました。
ラテン人は起源も様々な説に分かれており、詳細がわからないことも多い民族です。しかし、彼らの流れを汲む言語を使用するラテン民族は、現在も世界中に存在します。
この記事ではラテン人の特徴や歴史について紹介しましたが、彼らが築いた文明の礎の上に立つローマ帝国について詳しく調べてみるのも面白いかもしれません。
それでは長い時間お付き合いいただき、誠にありがとうございました。