ルシタニア号とは、20世紀初頭に建造されたイギリス船籍の旅客船です。
2000人もの旅客を乗せることができるほどの規模を誇ったルシタニア号でしたが、第一次世界大戦中に凄惨な事件に巻き込まれて沈没してしまいます。
この記事ではルシタニア号の特徴や歴史について迫っていきます。
この記事を書いた人
一橋大卒 歴史学専攻
Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。
ルシタニア号とは
ルシタニア号はいつ造られた?
ルシタニア号は、1904年6月16日に建造が開始され1906年6月7日木曜日に進水した、当時のイギリス船の中でも最大の旅客船です。
イギリスの海運会社キュナード・ラインによって発注され、同国のジョン・ブラウン・アンド・カンパニーによって造船されました。ルシタニア号の姉妹船であるモーリタニア号もキュナード・ラインによって建造が発表されています。
また、イギリス政府はルシタニア号に対して、有事の際に軍が徴用し仮装巡洋艦として使用することを条件に維持費として15万ポンドを援助しました。
ルシタニア号の性能・特徴
ルシタニア号最大の特徴は、当時最速を記録した航行速度です。ルシタニア号のスピード記録はそれまでの客船の歴史を塗り替えました。
1907年9月7日に行われた処女航海では、わずか6日でリヴァプールからニューヨークまで航行し、大西洋を最速で横断した船に与えられる賞であるブルーリボン賞を獲得。同年10月には、東回り航路でもブルーリボン賞を手に入れます。
また、巡洋艦としての性能も求められていたため、当時ではかなり進歩的な防水隔壁が整備されていました。旅客定員に対して十分な数の救命ボートが搭載されていたのもその影響の1つでしょう。
ルシタニア号の名前の由来は?
ルシタニア号という船名は、古代ローマの属州の1つであった「ルシタニア」という地名が由来となっています。現在でいうポルトガルとスペイン西部の位置です。
ルシタニアに最初にやって来た人種はルシタニ族と呼ばれています。ルシタニ族は、紀元前6世紀にアルプスから移動してきたインド=ヨーロッパ語族という説が有力です。
ルシタニ族はローマ人の支配に抗いますが、最終的にルシタニアの地は古代ローマ帝国の支配下に入ることになりました。
ルシタニア号事件とは
ルシタニア号事件の背景
ルシタニア号の処女航海から僅か7年後、1914年に第一次世界大戦が勃発しました。
第一次世界大戦が始まると、イギリスはルシタニア号を仮装巡洋艦として運用することを検討しました。しかし、ルシタニア号はあまりに大きいため攻撃の標的にされやすいという理由から、仮装巡洋艦として採用されず、イギリスとアメリカの間を結ぶ豪華客船として運用されることになります。
ルシタニア号が航海を続ける中、イギリス、フランスによる海上封鎖に不満を持っていたドイツ政府は、1915年に敵国に関係する船を無警告で攻撃する「無限潜水艦作戦」を宣言しました。
ルシタニア号は客船でありながら、ドイツが主張したとおりイギリス向けの武器を積んでいた。2008年に同船を調査したダイバーがアメリカ・レミントン社製の弾丸400万発を発見したそうです。 ご参考になれば幸いです。渡辺 惣樹さんの本からですが。