インド帝国とは、イギリスが南アジアに建てた植民地帝国です。この時代は、ヨーロッパの列強諸国が自国の植民地を求めて積極的に海外進出していました。
「インド帝国と現在のインドはどう違うの?」
「インド帝国の特徴や歴史を詳しく知りたい!」
この記事を見ているあなたはこのように思っているのではないでしょうか。そこで、当時のインド帝国と現在のインドはどう違うのか、また、インド帝国の歴史などについて詳しく紹介していきます。
インド帝国の特徴や制度、重要人物について迫っていきますので、ぜひ最後までご覧ください。
この記事を書いた人
一橋大卒 歴史学専攻
Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。
インド帝国とは
インド帝国はいつ成立した?
インド帝国は1858年に成立しました。イギリス領インド帝国は、世界政策を推進していたイギリスにとって最大の植民地となります。
当初は副王の称号を持ったイギリス人総督がイギリス領インドの統治に当たっていました。その後、1877年にはイギリス国王であるヴィクトリア女王がインド皇帝を兼任することになります。
インド帝国は、1858年に成立してから1947年に独立するまでの89年間をイギリスの植民地として過ごすことになったのです。
インド帝国はどこにあった?
イギリス領インド帝国は、インド洋に面する南アジアのインド亜大陸に位置していました。主にイギリスのアジア貿易における中心地となります。
イギリスによる植民地政策が始まる以前、インドにはムガル帝国やマラーター同盟、シク王国など様々な勢力が存在していました。これらの領土を植民地化しようと企むイギリスやオランダ、フランスの間では抗争が起こりますが、最終的にイギリスがインドの覇権を握ることになります。
また、イギリスは3度に渡るイギリス=ビルマ戦争においてインドシナ半島西部に位置するビルマを占領し、イギリス領インド帝国に併合しました。
インド帝国は現在のインドと違うの?
インド帝国と現在のインドでは政治体制に大きな違いがあります。
20世紀半ばに解体されたインド帝国はイギリスの支配下にありましたが、イギリスの支配から独立した現在のインドは共和制国家となっているのです。議会の上下両院と州議会議員で構成される選挙会によって選出された大統領が、内閣の助言に従って国務を行います。
また軍事的な面に関しては、隣接するパキスタンや中華人民共和国と対立していく過程で、世界で6番目の核兵器保有国となりました。
インド帝国はなぜ滅んだ?
第二次世界大戦後において戦勝国となったイギリスでしたが、国力が疲弊した結果、インド帝国を解体することになります。
しかし、国内におけるヒンドゥー教徒とイスラム教徒の対立は収まりませんでした。最終的に、解体されたインド帝国はインド連邦とパキスタンの2つに分離独立することになります。
共和政へと移行したインドとイスラム教国家であるパキスタンの対立は今も続いており、国境では紛争や混乱、難民の発生など様々な問題を抱えているのです。
インド帝国の特徴・制度
イギリスによる支配
インド帝国では、1858年からイギリスによる本格的な支配が開始されました。イギリスによる統治は、第二次世界大戦後にインド帝国が解体され、インド連邦とパキスタンとして分離独立するまで続くことになります。
インド帝国は、イギリス植民地の中でも経済的な意味で特に重要な場所となりました。イギリスによる帝国主義政策の経済的な基盤となったインド帝国では、綿花や茶、アヘンなどの商品作物が栽培されていきます。
しかし、イギリス領インド帝国の支配体制は搾取構造を作り上げ、民衆の間に深刻な飢饉を引き起こしました。この時代に多くの人々が飢えで命を落としています。
藩王国を利用した分割統治
イギリス政府はインド帝国において、藩王国を利用した分割統治を実行しました。
藩王国とは、イギリスの統治下において一定の支配権を認められていた藩王の持つ領土です。藩王国はイギリス政府と結んだ軍事保護条約により、防衛・外交権を除いた自治権を保有していました。
しかし、藩王国はあくまで傀儡勢力として保護された形であり、イギリスが派遣した政治顧問による内政干渉を度々受けることになります。
インド帝国の歴史上重要な人物
ヴィクトリア女王
ヴィクトリア女王とは、イギリスのハノーヴァー朝第6代国王であり、インド帝国の皇帝を兼任した人物です。1877年にインド帝国の初代皇帝になりました。
ヴィクトリア女王は、世界に植民地帝国を築いたイギリスを象徴する女王として知られています。その在位は63年7か月に及び、2020年現在のイギリス女王であるエリザベス2世に次いで2番目の長さです。
ヴィクトリア女王の統治下にあったイギリスは強力な軍事力と工業力をもって、「パックス=ブリタニカ」と呼ばれる繁栄の時代を築き上げ、国際社会に相対的な平和をもたらしました。
マハトマ・ガンディー
マハトマ・ガンディーとは、インド北西部のグジャラート州出身の弁護士であり、インド独立の父とも呼ばれる政治指導者です。インドでは親しみを込めて「父親」を意味する「バープー」と呼ばれることもあります。
インドの独立運動を指揮したガンディーは非暴力・不服従を提唱し、イギリス製品の不買運動や、塩の専売に反対して行った抗議運動である「塩の行進」などの平和主義的手法で、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒が融合した統一国家の独立を目指しました。
第二次世界大戦後に念願の独立を達成しましたが、宗教的な対立は収まらず、インドはパキスタンとの分離独立の道を歩みます。その後もガンディーは両教徒の融和を目指して活動を継続しましたが、最終的にはヒンドゥー原理主義者に暗殺されてしまいました。