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マリーアントワネットの子供たちはどんな人?革命後の末路を紹介

「マリー・アントワネットに子供いたの?」
「マリー・アントワネットの子供は可哀そうだったって聞いたけど…」

マリー・アントワネットは18世紀のフランスの王ルイ16世の王妃です。恐らく日本では最も知られているフランスの女性の一人であり、浪費を行い最後はフランス革命で悲劇的な最後を遂げたことでも有名です。そんなマリー・アントワネットは現在でも映画や、ミュージカルの題材で多く取り扱われます。

マリー・アントワネット王妃とマリー・テレーズ王女とルイ・ジョセフ王太子

そのマリー・アントワネットには早世した子供を含めると4人の子供がいます。その中でフランス革命を経験したのは二人の子供ですが、革命時に過酷な扱いを受けています。華やかで憧れる人も多いフランスには、悲惨な歴史も潜んでいます。この記事では「マリー・アントワネットの子供」に焦点を当ててフランスの歴史を振り返ってみます。

この記事を書いた人

フリーランスライター

高田 里美

フリーランスライター、高田里美(たかださとみ)。大学は日本語・日本文学科を専攻。同時にドイツ史に興味を持ち、語学学校に通いながら研究に励む。ドイツ史研究歴は約20年で、過去に読んだヨーロッパ史の専門書は100冊以上。日本語教師、会社員を経て結婚し、現在は歴史研究を続けながらWebライターとして活躍中。

革命に翻弄されたマリー・アントワネットの子供たち

ルイ16世とマリー・アントワネットには4人の子供がいました。そのうちの二人が早世しています。革命を経験したのは、長女「マリー・テレーズ」と王太子「ルイ・シャルル」です。

マリー・アントワネットの子供たちはフランス革命の渦に巻き込まれ、今までの王子女とまったく違う人生を辿らざるえませんでした。そんな子供たちを簡単に紹介していきます。

ルイ17世(ルイ・シャルル)

ルイ17世

ルイ16世とマリー・アントワネットの次男であり、兄が早世した為にドーファン(王太子)となりました。テュイルリー宮殿を襲撃され、家族と共にタンプル塔に監禁されました。父ルイ16世の処刑により、王党派には名目上のフランス国王として即位したものとされていました。

幼少ながら目鼻立ちも整い、赤みがかったブロンドの髪に碧眼を持つ美しい少年で、母マリー・アントワネットからは「愛のキャベツ」と呼ばれ愛されていました。活発で宮廷の人々を魅了したそうです。しかし6歳の頃にタンプル塔に閉じ込められ、劣悪な環境の中病に侵され、自身が即位していたことも知らずに10歳で短い人生を閉じています。

マリー・テレーズ

マリー・テレーズ

ルイ16世と、マリー・アントワネットの長女であり、祖母である「マリア・テレジア」をフランス語形にした名前が付けられました。幼少時はプライドが高く、こまっしゃくれた性格だったと伝わっていますが、「マダム・ロワイヤル」と呼ばれ愛されました。

しかし11歳の時にフランス革命でタンプル塔に閉じ込められ、2年近く1人で生活させられました。弟の健康状態を気にかけて弟に治療を施すように、国民公会に何度も手紙を送っています。回想によると、マリー・テレーズは下の階の弟の泣き声がよく聞こえてきたといいます。

タンプル塔から救い出されたころのマリー・テレーズ

後に国民の同情感情も高まり、比較的待遇は良くなりましたが、その頃には2年近く言葉を発していないために発声異常を起こしてしまい、「がりがりしたしゃべり方」は生涯治ることはなかったそうです。

早世した二人の王子女

ルイ王太子

王と王女には、フランス革命を迎える前に早世した「ルイ=ジョセフ・ド・フランス」という王太子と、「ソフィー・ド・フランス」という王女がいました。王太子のルイは待望の男子の誕生に、フランス国内は非常な喜びに包まれたそうです。しかし、7歳半の時に脊椎カリエスにより、早世してしまいました。

ソフィー王女

そして娘のソフィー王女は、1986年に生まれますが、ルイ王太子や、マリー・テレーズ王女のように盛大な祝賀はなかったそうです。その背景には、国民の怒りが王家一家に集中していたために、民衆に関心を持たれず、宮廷もそれどころではなかったという背景があります。既にこの頃にはフランス革命の序章が始まっていたのです。ソフィー王女も10か月で結核により早世しました。

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