シモ・ヘイヘは20世紀のフィンランドの軍人です。天才的な射撃の腕を持ったスナイパーであったことから、ソビエト兵に“白い死神”といわれ恐れられたといいます。彼の人間技と思えない射撃能力には、数多くの伝説が残っておりシモ・ヘイヘの動画や漫画の影響で一躍有名になった人物でもあります。
この記事をご覧のあなたは、そんな「シモ・ヘイヘ」について、
「シモ・ヘイヘってどんな人?なぜ顔が歪んでしまっているの?」
「どんな伝説や逸話を残しているの?」
といった疑問を抱いているのではないでしょうか?
そこでこの記事では、自然豊かなフィンランドから生まれた天才スナイパーがどのような人物だったのかに迫っていきます。残した名言や功績、関連する作品なども紹介するので、ぜひ参考にしてください。
この記事を書いた人
フリーランスライター
フリーランスライター、高田里美(たかださとみ)。大学は日本語・日本文学科を専攻。同時にドイツ史に興味を持ち、語学学校に通いながら研究に励む。ドイツ史研究歴は約20年で、過去に読んだヨーロッパ史の専門書は100冊以上。日本語教師、会社員を経て結婚し、現在は歴史研究を続けながらWebライターとして活躍中。
シモ・ヘイヘとはどんな人物か
名前 | シモ・ヘイヘ |
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誕生日 | 1905年12月17日 |
没日 | 2002年4月1日 |
生地 | フィンランド大公国 ヴィープリ州ヤウトヤルヴィ |
没地 | フィンランド南スオミ州 南カルヤラ県ルオコラハティ |
配偶者 | なし |
最終階級 | 少尉 |
シモ・ヘイヘの生涯をハイライト
天才スナイパー、シモ・ヘイヘの生涯を、簡単にダイジェストします。非常に慎ましい人で目立つことを嫌い、あまり詳しい生涯は伝わっていませんが、わかる範囲で以下のようになります。
- 1905年:フィンランド大公国のヤウトヤルヴィで生まれる
- 1925年頃:民兵組織“白衛団”に加入
- 1925年:フィンランド国防陸軍に加入
- 1939年:ソ連との“冬戦争”で活躍する
- 1940年:赤軍の攻撃で左顎に重傷を負う
- 終戦後:第1級自由十字褒章とコッラー十字章を受勲される
- 2002年:フィンランド国ルオコラハティで死去する。享年96歳
伝説的な射撃能力があった
シモ・ヘイヘは、1939年から1940年にかけてのフィンランドとソ連の間に起こった“冬戦争”で狙撃手として活躍しました。そしてスナイパー史上最多の、542名射殺するという世界最高記録を残しています。これは戦争開始から負傷するまでの、1年間の間での数字です。
フィンランド国防陸軍第12師団第34連隊第6中隊に所属し、白いギリスーツに身を包み活躍したといいます。射撃の正確さからソ連兵は“白い死神 ”“災いをなす者”と呼び恐れたといわれています。
ヘイヘが使っていたボルトアクション式モシンナガンM28は120センチもあるものでしたが、ヘイヘの身長は152センチと小柄でした。しかし自分の身長近くある銃を、自由自在に操っていたといいます。そして小柄なのは戦場においては身を隠しやすく、狙撃手として有利に働いたといいます。
またヘイヘは、兵隊になるまでは猟師兼農民として働いていました。その時のケワタガモ猟が、ヘイヘの銃の腕を鍛えたといわれています。ヘイヘは射撃が根っから好きな人で、仕事の休憩中は皆昼寝するのですが、彼だけは起きていて森の端に付けておいた目標に、建物の窓から空砲で射撃練習をしていたといいます。皆が起きるまで撃ち続けていたそうです。
赤軍の銃撃で歪んでしまった顔
冬戦争終戦直前の1940年の3月にソ連軍兵士による抵抗狙撃を受けて、左下顎部が吹き飛び治療後も顔が歪んでしまうほどの大怪我を負っています。意識不明の重体で友軍に発見されたときは、ヘイヘを収容した兵士曰く「彼の頭は半分無くなっていた」と振り返っています。
軍の病院に運ばれる際は、仰向けに寝かせると出血で窒息してしまう恐れがあったために、うつ伏せで搬送されたといいます。負傷してから1週間後に意識を取り戻しますが、その時にはフィンランドとソ連は講和条約を結んでおり冬戦争は終結していました。その後、継続戦争への参戦を希望していたといいますが、度重なる手術により叶わなかったといいます。
寡黙で愛国心が強かったシモ・ヘイヘ
ヘイヘの性格は、非常に寡黙な人だったといいます。写真を写るときも出来る限り目立たないように後列にいるか、人の陰に隠れて写っているそうです。ヘイヘ博物館に3人で写った写真が収められていますが、「自分の写真部分は切ってしまってかまわない」と書くほどだったといいます。
会話も非常に少なく、戦場に上官が現れても「シモです」もしくは「ヘイヘ兵長です」ぐらいしか返事しなかったといいます。そのため彼の活躍が世間に知れたのは、上官のユーティライネン中尉が従軍記者にヘイヘの活躍を伝えたからだといわれています。
そして愛国心は強く、フィンランド国民の魂の故郷であるカレリアを取り戻したいという気持ちを終生持ち続けていたといいます。そのため遺族に「もしフィンランドがカレリアを取り戻したら、戦後に国からもらった土地は返上し、我が一族の使っていた土地を手に入れること」という内容の遺書を残していたといいます。
晩年は猟師に戻っていた
2002年にヘイヘは、ロシア国境近くのルオコラハテイという街で静かに息を引き取ったそうです。死因は不明ですが、96歳という年齢を考えると大往生だったといえるでしょう。戦後は猟師に戻り、この世を去るまでヘラジカ狩り猟師と猟犬ブリーダーとして余生を過ごしたといいます。
シモ・ヘイヘの功績
功績1「フィンランドの英雄となったこと」
ヘイヘは伝説的なスナイパーとして、現在もフィンランドで人気があります。2004年のフィンランドの国営放送が発表した“最も偉大なフィンランド人”ランキングで、視聴者の投票結果は74位でした。これは軍人では3番目の順位です。
そもそも“冬戦争”はフィンランドを全占領したいソ連が、フィンランドから攻撃を受けたとでっち上げて始まった戦争でした。その上ソ連軍は45万人という大軍を送り込み、対してフィンランド軍は16万人とどう考えてもフィンランドが不利な状況でした。
しかしヘイヘも活躍したフィンランド軍のゲリラ作戦に、ソ連兵は苦しめられます。結局3日で終わると思っていた戦争は4か月も続き、フィンランドは全土占領を免れています。ヘイヘの活躍は今も、フィンランド国民の愛国心を掻き立て、英雄となっているのです。
功績2「エンターテイメントで人気が出たこと」
シモ・ヘイヘは雪国特有の独特な戦闘服を着た天才スナイパーとして、漫画や小説などの題材になっています。有名な所では神々と人間が戦う格闘漫画“終末のワルキューレ”や、ヘイヘを女体化させた小説“白い魔女”などではないでしょうか。
“終末のワルキューレ”は2021年アニメ化も決定し、制作者やヴィジュアルも公開されています。当然シモ・ヘイヘも登場するはずなので、ファンは待ち遠しい限りです。このようにエンターテイメントに登場し、世界中の歴史上の人物に並んで登場したりするのも、ヘイヘの活躍があったからこそではないでしょうか。
シモ・ヘイヘの名言
「練習だ」
天才的な射撃技術はどのように身に着けたら良いかという取材に答えた返答です。寡黙なヘイヘらしい返答ですが、ヘイヘ曰く銃撃が上手くなるには、「猟師になると良い」ということだそうです。
「やれといわれたことを、可能な限り実行したまでだ」
たくさんの犠牲者を出したことに対して、取材での返答です。罪悪感がないのかという少し意地悪な質問に対する返事です。ヘイヘは戦争における自分の役割を全うしようとしたのがわかります。
「嫁ならもういるよ、二人ももらってどうするんだ?」
女性の写真を見ていたヘイヘに、軍の仲間が「その娘を嫁にもらってはどうか」とからかったそうです。それに対してヘイヘの返答が、自分の銃が嫁だといったといいます。本当に漫画のような、ヘイヘにとって銃がどのようなものなのかわかる一言です。
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