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センメルヴェイスイグナーツはどんな人?生涯・年表まとめ【功績や死因紹介】

センメルヴェイス・イグナーツとは、19世紀に活躍した医者であり、世界で初めて消毒法の重要性を唱えた人物です。Googleのロゴなどで見た人もいるでしょう。

センメルヴェイス・イグナーツ

今では子どもからお年寄りまで毎日当たり前に行っている「手洗い」。しかし、170年前には「手洗い」が「消毒」になるという概念すらありませんでした。

センメルヴェイスは、医師たちに手洗いを徹底させ、産婦の死亡率を大幅に下げることに成功した名医なのです。当時は功績を認められずに批判され続けましたが、死後20年経ってから、その功績は高く評価されました。

現在の習慣に位置付けられた手洗いによる消毒。この手法を生み出したセンメルヴェイス・イグナーツとはどのような人物だったのでしょう。批判にも挫けず自分の信念を訴えて続けた彼の力強い生涯について、風邪にかかりやすく日々の手洗いが欠かせない筆者が紹介させていただきます。

センメルヴェイス・イグナーツとはどんな人物か

名前センメルヴェイス・イグナーツ
別名母親たちの救い主
誕生日1818年7月1日
没日1865年8月13日
生地ハンガリー王国
没地オーストリア帝国
配偶者マーリア・ヴェイデンホフェル
埋葬場所ウィーン(オーストリアの首都)

センメルヴェイス・イグナーツの生涯をハイライト

テヘラン大学(イランの首都にある大学)にあるセンメルヴェイス・イグナーツの胸像

センメルヴェイス・イグナーツは父ヨージェフと母テレーズとの間に誕生。20歳から医学を学び始め、28歳でウィーン総合病院第一産院で働き始めます。

第一産院での産婦の死亡率の高さに疑問を持ったセンメルヴェイスは独自に研究し、細菌の伝染よって病気が広まるのを発見しました。そして、これには除菌が1番効果であると考え、医師たちに手の消毒を推奨したのです。その結果、患者の死亡率は大幅に減っていきました。

しかし、19世紀の医学界では「手洗い法」が重要だと信じる人はおらず、センメルヴェイスは批判され続けます。彼の功績が認められたのは死後20年経ったのち、「細菌」の概念が認められてからでした。

そして、現代では習慣となっている「手洗い法」が世の中に正しく広まったのです。

10人兄弟の真ん中っ子

12歳のころのセンメルヴェイス・イグナーツ

センメルヴェイス・イグナーツは1818年にハンガリーで生まれ、10人兄弟の真ん中っ子として育ちます。大家族でしたが父の商売が成功し、彼は必要な学問を学びウィーン大学へ入学できました。

当初は法学を学んでいましたが、翌年から医学を学ぶようになり26歳で博士号を取得。産科を専門に医者の道を歩むようになったのです。

批判されてもめげない強い気性の持ち主

センメルヴェイス・イグナーツの著書(1861年)

センメルヴェイス・イグナーツは、どんな批判を受けようともめげない気性の持ち主でした。「病原体感染防止のために手の消毒が非常に大切である」という、彼の研究結果は当時の医学界に大きく批判されることとなます。

当時は「体液病理説*」や「瀉血*」が主な治療法であり、センメルヴェイスの消毒法は画期的過ぎるうえに医師たちの不衛生さを認めるのにもつながったため、医学界では到底認められなかったのです。

それでもセンメルヴェイスは、自分の消毒法を世に広めるのを諦めませんでした。赴任した病院では消毒法を徹底させ、研究に関する著書も出版したのです。

*体液病理説
身体に流れる体液が調和することによって身体と精神の健康が維持できるという説
*瀉血
血液を抜く治療法

死因は暴行による膿毒症

センメルヴェイス・イグナーツと妻のマリア・ヴァイデンホーファー

センメルヴェイスの死因は、暴行による膿毒症でした。39歳でマリア・ヴァイデンホーファーという女性と結婚したセンメルヴェイスでしたが、幸せな家庭生活とは程遠い日々を送っています。どれだけ死亡率を下げても著書を出版しても、彼に対する医学界の反応は冷たく批判を浴びていたのです。

晩年にはとうとう心を病んでしまい、酒や女に溺れるようになりました。その結果、精神病院に入れられましたが抜け出そうとしたところを衛兵に殴られてしまいます。

その怪我に細菌が入り身体全体が化膿する膿毒症により47歳の若さで亡くなりました。

センメルヴェイス・イグナーツの功績

功績1「世界で初めて塩素消毒による消毒法を生み出す」

センメルヴェイス・イグナーツの郵便切手

生前は認められませんでしたが、センメルヴェイスは世界で初めて「塩素消毒による消毒法」を生み出した人物です。

彼は勤めていたウィーン総合病院では、分娩期間後に発生する感染症のひとつである産褥熱で亡くなる人が大勢いました。そんな中、センメルヴェイスは第一産院と第二産院では産婦の死亡率が大きく異なるのに気づきます。

技術や気候状態も変わらない2つの産院でなぜ死亡率が異なるのか。疑問に思ったセンメルヴェイスはその原因が解剖に関係していると突き止めます。

当時第一産院では医学生が従事しており、産婦の診察と同時に解剖の教育も受けていました。センメルヴェイスは解剖時に死体から細菌の微粒子が付着し、それが患者に感染すると考えたのです。

ブダペストにあるセンメルヴェイス像

そこでセンメルヴェイスは消毒液として次亜塩素酸カルシウム*を用いて、医師たちの手を消毒するよう試みました。その甲斐あって、第一産院の産婦死亡率は激変したのです。

産褥熱を恐れていた産婦たちは、健康な状態で赤ちゃんを育てられるようになり、センメルヴェイスは「母親たちの救い主」と呼ばれるようになりました。

*次亜塩素酸カルシウム
プールなどの消毒に用いられる化学粉末

功績2「現代の手洗い習慣の祖」

手洗いの習慣はとても大切!

センメルヴェイスは、世界に手洗いの習慣をもたらしました。現在では当たり前となっている手洗い。しかし、これまで紹介してきたようにセンメルヴェイスが手洗いの重要性を唱え始めた19世紀以前まで、手洗いの習慣などありませんでした。衛生を保つべき医者さえもです。

今では考えられないことですが、死体を解剖したまま手を洗わずに産婦を診るのも普通でした。しかし、センメルヴェイスが手洗い消毒を広めたことで、徐々に手洗いの習慣が出来上がります。19世紀末には医療の世界から一般社会へと手洗い習慣が広まっていきました。

関連外部リンク

センメルヴェイス・イグナーツについてのまとめ

この記事では消毒法の生みの親であるセンメルヴェイス・イグナーツについて紹介しました。現代に生きる私たちの感覚では「手洗い」は日々の習慣であり、特別なことではなくなっています。しかし、センメルヴェイスが生きていた19世紀では手を洗うか洗わないかで人の命が左右されたことが分かりましたね。

皆さんもたかが「手洗い」などと思わず、センメルヴェイスが見つけた大発見だと思いながら毎日しっかりと手を洗って健康に過ごしましょう!

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