エドゲインは、20世紀を代表するアメリカの殺人鬼です。遺体を墓場から掘り出し「記念品」として作り出す。その異常性は当時のニュースで大きく話題になりました。ゲインが世間に与えた影響は大きく、彼を主人公した作品や、モデルになったキャラクターも多く生み出されていますね。
ゲインはその異常性が目立つものの、生涯に殺害した人数は確認できるだけでは2人。犯罪者を擁護するつもりはありませんが、シリアルキラー(連続殺人者)と呼ぶには遥かに少ない人数です。どうしてゲインは死体で記念品を作ったのでしょうか。
ゲインは幼少期の母親の偏った教育で精神的に追い詰められた一面もあり、ある意味で気の毒な人でもありました。今回はゲインの生涯や殺人を犯した経緯について迫っていきたいと思います。
この記事を書いた人
Webライター
Webライター、吉本大輝(よしもとだいき)。幕末の日本を描いた名作「風雲児たち」に夢中になり、日本史全般へ興味を持つ。日本史の研究歴は16年で、これまで80本以上の歴史にまつわる記事を執筆。現在は本業や育児の傍ら、週2冊のペースで歴史の本を読みつつ、歴史メディアのライターや歴史系YouTubeの構成者として活動中。
エドゲイン とはどんな人物か
名前 | エド・ゲイン (本人によるとエド・ギーン) |
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誕生日 | 1906年8月27日 |
没日 | 1984年7月26日 |
生地 | ウィスコンシン州バーノン郡 |
没地 | ミネソタ州立精神病院 |
配偶者 | なし |
埋葬場所 | プレインフィールドの敷地 |
エドゲインの生涯をハイライト
- 1906年 0歳 エドゲイン誕生
- 1914年 8歳 父がプレインフィールドに農地を買う
- 母からゆがんだ教育を受け続ける
- 1940年 35歳 父の死
- 1944年 39歳 兄の死
- 1945年 40歳 母が死去し、天涯孤独となる
- 1947〜1954年 42歳〜49歳 墓から死体を掘り起こし記念品を作る
- 1954年 49歳 最初の殺人
- 1957年 52歳 2度目の殺人を経て逮捕
- 1968年 63歳 精神障害として無罪となる
- 1984年 77歳 呼吸不全で死去
逮捕の時に見つかったもの
1957年11月16日、アメリカを震撼させる事件が起こりました。プレインフィールドという小さな町で雑貨店を経営するバーニス・ウォーデンが行方不明になったことから事件は始まります。
彼の金庫があった場所には血だまりがあったため、事件に巻き込まれたのは明白でした。
バーニスと最後に会っていたのがゲインだったため、警察はゲインの経営する農場を家宅捜査。見つかったものは、あまりにおぞましいものだったのです。
- バーニスの胴体
- 人間の皮で作ったランプシェード
- 女性の胴体の皮膚で作られた胴着
- バーニスを含む5〜6個の生首 などなど
同時期にゲインは別の場所で発見。「バーニス殺害の犯行をほのめかす証言」をしたため、ゲインは署に連行されています。激しい尋問の末にゲインは犯行を自供。アメリカを震撼させる事件が明るみに出たのです。
引きこもりがちな礼儀正しい気性の持ち主
異常性を持つゲインですが、地元社会での印象は悪くありませんでした。ゲインは結婚はせず自宅や農業に引きこもりがちでしたが、礼儀正しく人の悪口を決して言いません。
ゲインは時折ボランティアやベビーシッター、日雇いの仕事をして慎ましく暮らしていました。ゲインの事を住民は「変わり者だが、善良な隣人」と考えており、地元では受け入れられていたのです。
ゲインの行動は大きな衝撃だった事でしょう。なおゲイン逮捕から1年後の1958年にゲインの家は火事で全焼。放火が疑われており、墓を暴かれた住民達の怒りの声なのかもしれません。
エドゲインが起こした事件
「墓場から遺体を掘り起こし「記念品」を作っていた」
ゲインは1947年から1954年までの間に、地元にある3つの墓地を夜中に訪れています。その回数は実に40回。ゲインが欲したのは、埋葬されてから期間が経っていない中年女性の遺体です。
ゲインは前述した通り、死体で数々の記念品を作りました。遺体の一部はベルト・靴下・食器・家具に加工され、ゲインの日常生活にも使われています。見た目も様々で精巧なものから、一目で遺体と分かるものもありました。
極め付けは「女性の胴体の皮膚で作った胴着」です。この胴着と女性の頭皮を被れば、ゲインは女性になる事が出来ました。ゲインは女性になり、満月の夜に農場を歩き回っていたのです。
更に遺体の一部は食料にしており、冷蔵庫に保存されていました。警察官が部屋に入った時には、殺害されたバーニスの心臓が調理される直前だったのです。
「殺害人数は2人?シリアルキラー(大量殺人犯)ではなかった?」
ゲインは殺害したのは2人と言われます。1人目はメアリー・ホーガン。居酒屋を経営する中年の女性でした。彼女が行方不明になったのは1954年12月8日です。
この日、農夫が居酒屋に入るとメアリーは不在で、カウンターが血だまりになっている事を発見しました。警察も捜査を開始するものの、これといった進展はなく、時間だけが過ぎていきました。
次の事件は3年後の1957年11月16日。被害者は先ほど述べた雑貨店を経営するバーニス・ウォーデンです。この時も床が血だまりになっているのを息子のフランクが発見しています。ゲインが逮捕されたのはその直後でした。
ゲインの殺人の手口はよく似ています。被害者を銃殺し、遺体をそりに乗せて自宅に運んで記念品を作るのです。計画は残忍なものの、血だまりを残して現場を去るなど、極めて短絡的でした。
ゲインはシリアルキラー(大量殺人犯)と呼ばれる事もあります。シリアルキラーの定義の1つは「3人以上の殺人の被害者がいる」事です。400人以上を殺害したアルバート・フィッシュ等に比べると、ゲインはまだ大人しかったと言えるでしょう。
「精神障害(性的サイコパス)として無罪となる!精神病院で77歳で死去」
ゲインは裁判の過程で「統合失調症により出廷する能力がない」と判断されます。ゲインは1958年11月に、治療のためにマディソン郡のメンドータ州立精神病院に送られました。
ゲインの裁判が再び始まったのは10年後の1968年11月。医師が裁判を受けるには十分健全であると判断したからでした。ゲインは第1級殺人罪の判決、そして慢性的な精神障害(性的サイコパス)の診断が下るのです、
結果的にゲインはメンドータ州立精神病院に再度収監されました。ところがその後のゲインは温厚な模範囚となり、職員や患者とすぐに打ち解けています。呑気で屈託なく話をする姿は、猟奇的な犯罪者には見えませんでした。
その後、ゲインは1984年7月4日に肺癌に伴う呼吸不全で死去。77歳のことでした。
エドゲインが殺人犯になった3つの背景
背景1「母親の歪んだ宗教観と教育」
ゲインの性格形成には母親の影響が非常に大きいのです。母・オーガスタはキリスト教・ルター派の一家に生まれました。オーガスタの父は狂信的なしつけや体罰をオーガスタに繰り返し、オーガスタを独善的な人物に育てます。
オーガスタはゲインと兄・ヘンリーに歪んだ宗教観を植え付け、異常な性教育を施したのです。そのエピソードは挙げればキリがありません。
- 男性器を「悪の象徴」とし、自分の性器に唾を吐くよう強要
- 若い女は全て不潔で穢れた存在と主張
- 女性との関わりや友達を作る事を一切禁止
- 大雨が降るたびに「世界の終わりがきた」と語り聞かせる
オーガスタは「外の世界は悪徳と堕落」に満ちたものと考えていました。また夫婦仲も悪かった為、オーガスタは平気で夫・ジョージを罵倒。ゲインとヘンリーにも「父が早く死ぬように」と祈らせています。
ゲインは社会生活や人間関係を学ぶ上で、最も重要な時期に外部との接触を断たれました。結果的にゲインは人間関係の構築の仕方がわからないまま、大人になったのです。
背景2「父・兄・母の死により天涯孤独になる」
歪んだ教育を施されたゲインですが、母親の事は愛していました。社会と隔絶された環境の中、異性への愛情を向ける相手が母・オーガスタしかなかった為かもしれません。
しかし1940年に父・ジョージが祈りの末か、心臓発作で死去します。その後1944年に農場の近くで野火が発生し、兄・ヘンリーが亡くなりました。不幸は立て続けに起こります。ヘンリーの死から間もなくオーガスタは脳卒中になるのです。
ゲインは必死に看病をするものの、オーガスタは翌年に死去。この時のゲインは40歳。ゲインを待っていたのは完全なる孤独だったのです。
背景3「 カルバニズムや解剖に興味を持ち始めた」
ゲインは少しずつオカルト的なものに興味を示し、現実と妄想の区別がつかなくなりました。この頃にゲインはナチスのイルゼ・コッホという看守の行動に興味を持ちます。それは人間の皮でランプシェードを作るというものです。
その他にも第二次世界大戦の英雄で、性転換したクリスチーネ・ヨルゲンセンという軍人にも興味を持ちます。ゲインは母親の教育で自分が男性である事にコンプレックスを持っていました。性器を切り落としたい衝動を持っていたのです。
ゲインの自宅からは無数のホラー関係書や性的な雑誌が発見されました。母親の教育で発散できる場所のなかった様々な欲望は、具体的な行動として発散されます。
ゲインはコッホのように遺体から記念品を作り続けました。しかし性転換の為に性器を切り落とす事は出来ません。ゲインは切り取った女性器で、自分の男性器をくるみ、乳房のついたベストを着て形だけでも女性になったのです。
ゲインの行動は妄想だけでなく、現実のニュースから着想を得たものも多かったのでした。
エドゲインの名言
彼女はいなくなってなんかいないよ。いまもうちにいるよ
1人目の犠牲者メアリーが行方不明になった時、ゲインが述べた言葉です。当時のゲインは善良な隣人と思われており、この言葉を聞いた住民は「ゲインが珍しく冗談を言った」と思いました。
実際はメアリーはゲインの家で解体されており、ゲインの言った事に間違いはなかったのです。ゲインの猟奇性がよく分かる名言です。
シカをさばいていたんだよ
2人目の犠牲者ウォーデンが行方不明になった日、ゲインは血まみれになった両手を住民に目撃されています。その時にゲインはこのように述べて、言い訳をしました。
別にどうでもいいさ
ゲインは逮捕後に住民から恨まれます。自宅は火事で全焼し、母親の部屋などもなくなってしまいます。火事の事を知らされた時にゲインは肩をすくめてこのように述べました。
逮捕された時点で、母や遺体への執着は失われていたのかもしれません。
エドゲインにまつわる逸話
逸話1「子供たちからは人気者だった」
事件が明るみに出るまで、ゲインは「善良な隣人」と思われていました。ゲインは生計を立てる為に町の便利屋として働いており、仕事の一環としてベビーシッターをしています。
ゲインは母親の教育のせいで対人関係をうまく構築できませんでした。大人よりも子供の方がゲインにとっては近い存在だったのかもしれません。優しいゲインは子供にも人気があり、ベビーシッターとして引っ張りだこでした。
このエピソードだけを聞けば「実はゲインはいい人だったんだ」と思うかもしれません。ただゲインは子供達にとんでもない事をしています。それは「しなびた人間の頭」を見せる事です。
事件が発覚するまでこの行動は明るみには出ていません。ただ、ゲインの異常な行動はこの時には既に現れていたと言えるでしょう。
逸話2「兄の不審な死」
ゲインが生涯に殺害したのは2人とされていますが実は「犠牲者がもう1人いたのでは?」とも言われます。ゲインの兄・ヘンリーでした。
1944年5月16日に農場の近くで火事が起こり、兄弟は消火に向かいます。鎮火は出来たものの、ヘンリーは行方不明となり、後に遺体で見つかりました。遺体の頭部には傷があり、死因は窒息による心不全です。
この時にゲインは「消火中に兄を見失った」と証言しつつも、兄の捜索隊を遺体のある場所まで誘導しています。頭部の傷などの疑問点はあるものの、警察はヘンリーの死を事故死と判断しました。
現在ではヘンリーを殺したのはゲインという説が有力です。ヘンリーは母・オーガスタの異常性を見抜いていました。ヘンリーは周囲に「母は病気」と話しており、母親を崇拝するゲインはそれを苦々しく思っていたのです。
なおゲインの裁判は既に終了し、捜査も遥か昔に終わっています。兄の死を再検証される事はおそらくないでしょう。大きな疑惑として残っているのが、兄の死なのです。
逸話3「様々な映画や漫画に影響を与えた」
ゲインの猟奇的な行動は全米のみならず、世界中に衝撃を与えました。ゲインは世界的に有名になり、ゲインを題材にした映画や小説が誕生。アメリカでは1974年には「ディレンジド」が、2000年には「エド・ゲイン 」が公開されました。
更にゲインに着想を得たキャラクターも数多くいます。1960年にアメリカ「サイコ」が製作。主人公・ノーマン・ベイツはゲインに着想を得ており、アメリカの映画史に残る殺人鬼でした。
また「羊たちの沈黙」に登場するバッファロー・ビルは女性の皮を剥いで食べる殺人鬼ですが、言うまでもなくゲインをモデルにしています。
ゲインの影響は日本にも及び「ゴールデンカムイの江渡貝弥作」「Fate/Zeroの雨生龍之介」「るろうに剣心の外印」等がモデルです。いずれも死体から人形や記念品を作る点が共通しています。
ゲインの異常性は映画、そしてキャラクターとして現在も生き続けているのです。