花魁道中とは?意味や歩き方、衣装まで解説【現在のイベントも紹介】

花魁道中のしきたり

花魁道中には独特なしきたりあったらしい
出典:Wikipedia

花魁道中では独特なしきたりが存在しました。そんなしきたりがどのようなものだったのか解説します。

花魁は「八文字」で歩いた

明治時代の花魁道中の写真、高い下駄を履いているのが分かる
出典:Japaaan

花魁道中で花魁は三枚歯の重くて高い黒下駄を履き、「八文字(はちもんじ)」という歩き方をしました。「八文字」も遊郭で歩き方が異なり、吉原は踏み出す足が外に回る「外八文字」、京都の島原や大阪の新橋では足が内側に回る「内八文字」で歩いたといいます。内八文字は下駄の裏を見せないように歩き女性らしい印象を与えました。

元々は吉原も「内八文字」で歩いていたそうですが、1655年頃に「勝山」という花魁が派手に見える「外八文字」を考案。それから吉原は「外八文字」が主流になったそうです。外八文字は外側に下駄を蹴りだすような歩き方で、下駄の裏が見えるように歩きました。この外八文字は歩くのが難しく、習得するのに3年ほどかかったといいます。

花魁候補への教育でもあった

花魁と妹分の遊女たち
出典:Wikipedia

花魁は妹分の遊女や禿を従えていますが、これは将来花魁になるための勉強させる意味がありました。遊郭で花魁は、新造や禿などの経費を支払いつつ従えることにより、客のあしらい方や虜にさせるためのテクニックを学ばせていました。

花魁道中も多くの遊女も従えていますが、花魁に必要なしきたりを教える貴重な機会だったのです。現在の組織教育にも通じるシステムが既に遊郭では出来上がっていたのです。

花魁の衣装を7つ紹介

花魁を描いた浮世絵、多くのかんざしに鳥の打掛が印象的だ
出典:Japaaan

花魁道中を彩るものの一つに、花魁が身にまとっている衣装がありました。花魁が着る派手な着物に、前結びの帯。そして多くのかんざしを頭につけた姿は、当時のファッションリーダー的存在だったといいます。そんな花魁の衣装を見ていきます。

黒地に龍の打掛

大きな龍の柄がなんとも鮮やかだ
出典:因果な稼業

振り返る花魁を見ると、黒地の打掛に龍の絵が施されています。打掛全体を占める金の龍と赤い炎は、花魁道中でもさぞかし目だったことでしょう。髪型は高島田に結い、前ざし8本・後ろ刺し8本かんざしをしています。沢山のかんざしをつけているのも、花魁の特徴です。

お正月模様の打掛

お正月を連想する華やかな模様だ
出典:和樂web

黒字の打掛に、お正月の羽子板やしめ縄や凧などが描かれています。いつ着たのかは書かれていませんが、お正月用の衣装だったと推測されます。下から見える菊がちりばめられた裾回しも華やかです。花魁は派手な衣装を幾重にも重ねて着ていました。

富士山と龍の打掛

富士山と龍の組み合わせは斬新だ
出典:和樂web

この浮世絵の花魁の打掛は、紺と黒地に富士山と龍が描かれています。黒地に龍は流行していたのか多く絵が残っていますが、この打掛は富士山と龍がコラボレーションしており、色も金・白・紺・赤などふんだんに使われているため値段も相当したことが想像できます。この花魁も下地に大きな白い花を描いた裾回しを着ており、派手な衣装を幾重にも重ねています。

白無垢に花柄の赤色帯

白無垢を着る日もあった
出典:因果な稼業

八朔白無垢を着ている花魁です。八朔(八月一日)に、吉原の遊女たちは皆白無垢を着たといいます。

ところどころに赤を入れ込み、花柄に鶴と思われる鳥をちりばめた赤色の帯も印象的です。黒や青など派手な色が多い花魁ですが、白無垢でもお洒落は失わず上品に仕上がっているのが流石と感じてしまいます。

市松模様(ギンガムチェック)の帯と花柄の打掛

花魁と禿がおそろいの着物を着ている
出典:nippon.com

市松模様(ギンガムチェック)の帯が印象的な花魁です。打掛は赤で黄色の花が散らばったものを着ています。龍のような力強い打掛も派手で見栄えがしますが、市松模様のような帯は女性らしい印象を与えてくれます。禿もおそろいの打掛と帯を着ているようです。

鯉の滝登りをイメージした帯

鯉を描いた帯が斬新だ
出典:和樂web

花魁の帯が「鯉の滝登り」をイメージしたもので、かなり斬新な印象を受けます。色も黒地の帯に青の菊を散らした打掛が派手な中に上品さが出ています。花魁は帯の柄が良く見えるように、前に結ぶのが決まりでしたが、この花魁は帯の柄を最大限に活かしてインパクトを出しているのが印象的です。かんざしも前ざし6本、後ろざし8本と計14本もつけており、かなり目立ったことでしょう。

鷹の模様の打掛

鷹の絵が写実的で印象に残る打掛だ
出典:和樂web

青の打掛には、鋭い印象の鷹が描かれています。一見シンプルに見えますが、松に止まった鷹のイラストが映える粋な打掛です。また背中と袖の部分と帯にも「丸に違い鷹の羽」紋があるのも、お洒落です。この紋は、武士に好まれた鷹の羽を描いた家紋で、多くの武士に好まれた家紋でした。鷹の打掛に鷹の羽の紋をつけることにより、武家のイメージを演出していたのかもしれません。

現在も花魁道中を見られる場所がある?

浅草一葉さくら祭りで再現された花魁道中
出典:お一人様のお手軽ランチブログ

花魁道中は現在、遊女の仕事の一部としてではなくショーとして残っています。花魁道中を再現している場所はさまざまな場所で催されていますが、代表的なものは2つあります。

  • すすき祭り(北海道)
  • 浅草一葉さくら祭り(東京)

どちらの花魁道中もお祭りの目玉として毎年恒例となっています。イベントでは花魁の名物「外八文字」の歩き方が再現されており、実際に見てみると想像以上に派手で迫力があります。機会がある方は是非一度見てはいかがでしょうか。

花魁道中に関するまとめ

今回花魁道中というイベントに焦点を置いて執筆しましたが、感想は花魁が練り歩くさまは今でいうアイドル的な存在だったということで当時の活気が偲ばれました。テレビがない時代、驚くような派手な衣装のいで立ちの花魁は、庶民にとっての憧れだったことでしょう。

生まれながらに身分が決まっていた時代で、花魁は数少ない玉の輿に乗れる職業だったといいます。そんな花魁の晴れ舞台、花魁道中がどういったものだったのかこの記事でそうだったのかと感じた方がいたら非常に嬉しく感じます。最後まで読んでいただきありがとうございました。

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