西郷隆盛の死因は自決?それとも腫れ物?最後の様子やその後の影響も紹介

西郷隆盛の最後の様子

西南戦争を描いた浮世絵
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西郷隆盛の死因は「自決」という壮絶な最後でした。西南戦争は非常に苛烈な戦争で、正に「砲煙弾雨」のあり様だったといいます。そんな西南戦争において西郷の最後はどのようだったのか解説します。

西南戦争で不平士族と共に戦う

フランス人が描いた西南戦争、服装が実際よりも古風に描かれている
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西郷隆盛は1877年に起きた「西南戦争」で命を落としました。西郷隆盛を盟主とし、明治時代の待遇に不満な不平士族を率いて政府軍と戦っています。

1871年の廃藩置県で特権階級の廃止を目的とした「四民平等」を掲げ、1873年に「徴兵令」、1876年に「秩禄処分」により士族解体の方針が決定。この反発から各地で元士族の反乱が頻発し、西南戦争と至りました。

熊本城を攻めるも、攻め落とせずに退却している
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西郷は負けることが分かっていながらも、西郷暗殺計画があることを知らされると仕方なく挙兵。旧薩摩と政府軍という構図ができてしまいました。そして西郷率いる旧士族軍がいる熊本城を攻撃。しかし装備に劣る薩摩軍は敗北し熊本城攻略を諦めています。

城山まで追い詰められて自害

西南戦争で西郷がたて籠った西郷洞窟
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その後鹿児島に戻った西郷は、鹿児島住民たちが協力していたことから、鹿児島市街はほぼ制圧してし城山に陣を張ります。しかし2日後には数に勝る政府軍により、形勢が逆転。次の日に西郷も急襲しますが、返り討ちにされてしまいます。

5日後には征討軍の包囲網が完成し、しばらく悶着しますがその間西郷は、征討軍総大将・川村純義海軍中将からの降伏の勧めを無視し、山縣有朋からの総攻撃の前に自決を勧める書状にも返事を返していません。

薩摩軍に投降を促す官軍のビラ
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結局西郷率いる薩摩軍は、総攻撃があった時西郷がいる壕の前に40名が整列し岩崎口に進軍。その途中被弾するものが続き、遂に西郷も股と腹に被弾してしまいます。そして西郷は別府に声をかけ自害。その後西郷の死を見届けた薩摩軍は岩田口に総攻撃をかけ、敵弾に倒れたり自害したりして戦死し、残りのものは降伏して西南戦争は終結しています。

西郷隆盛の死が与えた影響

西郷軍が掲げた旗印「新政厚徳」、厚く徳をもって新しい政を成すをスローガンとした
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明らかに劣勢と分かっている薩摩軍に、住民が味方するほど西郷隆盛は皆から慕われていました。それは征討軍にとっても同様であり、西郷の死は多方面に大きな影響を与えています。そんな西郷の死が与えた影響を解説します。

明治天皇など政府の要人が惜しんだ

束帯姿の明治天皇、西郷を非常に気に入っていたと伝わる
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西郷隆盛は賊軍とされ官位を剥奪されますが、明治天皇が西郷の人柄を愛していたこと、黒田清隆らの働きかけもあり1922年に大赦され正三位を追贈されています。明治天皇は西郷の死を知った際には、

「西郷を殺せとは言わなかった」

と洩らしており、明治天皇が如何に西郷を気に入っていたかがわかります。また政治的に対立していたもののかつての盟友・大久保利通は、西郷の死を知って号泣したそうです。

志士時代の盟友だった大久保利通も西郷の死を悼んだ
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また明治天皇は西郷について「惜しい人を失くした」とし、西南戦争終結直後の宮中歌会で「西郷隆盛」という題を出しています。この時に西郷隆盛の偉大な功績を見過ごしてはならないという意向を伝えられたといわれています。

不平士族の反乱が静まった

明治時代の国会議事堂、西南戦争後は言論で政府と戦う方向に転換していく
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西南戦争を最後に不平士族の反乱は静まります。なぜかというと、西郷が率いた西南戦争の敗北により、「武力で新政府に逆らっても太刀打ちできない」と悟ったからといわれています。

そして徴兵で集められた政府軍が勝ったことにより、士族出身であろうと農民出身であろうと戦闘能力に違いがないことが証明され、徴兵制による国民皆兵体制が定着していきました。そして元士族身分も新政府軍に武力行使を行うのではなく、言論で政府と戦う自由民権運動に参加するようになったのです。

西郷隆盛の死因に関するまとめ

いかがでしたでしょうか?今回西郷隆盛の死因を執筆するにあたり改めに「西郷隆盛」という人物を読み返していたのですが、多くの人が西郷隆盛という人がとても人望がある人だということを改めて感じています。

反乱を起こしてわずか20年で名誉回復し、東京の上野公園や鹿児島の城山公園に西郷像が飾られているのが、西郷という人物の魅力を表しているような気がします。歴史は勝者だけではないと感じると同時に、今も多くの人に愛されているところに西郷の偉業のような気がしてなりません。この記事を読んで少しでも西郷隆盛に興味を持ってもらえると嬉しく感じます。最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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