ポールウォーカーの死因となった事故原因とは?現場や写真、映像をもとに解説

「ポール・ウォーカーの事故原因はなんだったの?」
「映画は、結局どのようにして撮影公開されたの?」
「ポール・ウォーカーの事故の詳しい状況や話を知りたい!」

ポール・ウォーカーは、アメリカ合衆国生まれの俳優です。1973年にカリフォルニア州で誕生し、幼い頃よりキッズモデルや子役として活躍していましたが、徐々に映画にも出演。

2001年「ワイルド・スピード」で大ヒットを獲得し、一躍有名俳優となります。しかし、シリーズ7作目である「ワイルド・スピードSKY MISSION」の撮影期間中に、事故に遭い40歳という若さでこの世を去ったのです。

今回は、人気俳優ポール・ウォーカーの事故について、イケメン好きの著者が深堀りしました。事故の詳細に加え、原因や当時の現場状況、さらに、裁判や映画のその後についてもご紹介します。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

ポール・ウォーカーの事故とは?

事故死したポール・ウォーカー
出典:Wikipedia

ポール・ウォーカーの事故は、2013年11月30日に発生した自動車事故です。同日15時30分ごろ、赤色のポルシェ・カレラGTが、道路をはみ出して街頭や木に衝突する事故が発生しました。

車体はまもなくして炎上、のちに車内から男性二人の遺体が発見されたのです。

ほぼ即死だった

ポール・ウォーカー、いつ見てもイケメンです
出典:moviewalker

ポール・ウォーカーは、事故時「ほぼ即死」と言われています。

事故当時、ポルシェ・カレラGTを運転していたのは、ロジャー・ロダスという男性でした。彼はポール・ウォーカーの友人であり、資産の相談相手でもありました。ロジャー・ロダスの職業はレーシングドライバーで、当日は彼がハンドルを握っていたのです。

事故の当時、2人はフィリピン台風の被害者を救援するためチャリティイベントに参加。ポール・ウォーカーは助手席に座り、運転手のロダスとともに帰路につく途中の出来事でした。

車は突如コントロールを失い、コンクリートの街灯や街路樹に衝突。ロダスは衝撃で即死、ポール・ウォーカーも「ほぼ即死」とされました。しかし、12月3日に行われた検視の結果は、当初の発表とは違うものでした。

検視の結果は、「ポール・ウォーカーの死因は、外傷とやけどによるもの」。つまり、瀕死の状態でありながらも、彼は衝突直後、まだ息があったということになるのです。

これは多くのファンに衝撃を与えました。ポルシェ・カレラGTは衝突後に炎上しており、ポール・ウォーカーは熱に苦しみながら亡くなったからです。しかし発表時の警察は、やけどによって苦しんだ時間は一瞬で、煙によってすぐに亡くなった、つまり「ほぼ即死と言える」と結論づけました。

事故の現場はカリフォルニア州

事故があったサンタクラリタの街
出典:Wikipedia

ポール・ウォーカーの事故現場は、アメリカ合衆国カリフォルニア州にある「サンタクラリタ」という都市の路上でした。ロサンゼルス郡に位置するサンタクラリタは、2000年以降に急成長を遂げています。

事故現場はの4車線道路は、ポール・ウォーカーの死後、彼の死を惜しむファンたちの暴走行為の問題が発生しました。猛スピードで道路を走り抜けたり、タイヤから白煙をふかしたりという行為は危険視され、警察が自粛要請を出すほどだったのです。

また、同道路「ハーキュリーズ・ストリート」では、ファンが改名運動を実施。亡くなった2人の名を取り「ウォーカー・ロダス・メモリアル・パークウェイ」にしてほしいという著名活動まで行われたのです。

しかし、地域住民や市は「2人が亡くなったこと以外に、この街との関わりがない」という点から反対し、結局改名が行われることはありませんでした。

「ワイルド・スピード」メイン俳優の死

ワイルド・スピードSKY MISSIONのビジュアル
出典:coldsleep

人気高い俳優の、突然の死。加えて「ワイルド・スピード」シリーズ7作目は撮影中だったこともあり、ポール・ウォーカーの事故は大きな関心を集めました。

「ワイルド・スピード」は、アメリカのみならず日本でも愛されているカーアクション映画です。2001年に第一作が公開されると、すぐに大人気シリーズとなりました。

ポール・ウォーカーが演じていたのは、シリーズのメインキャラである警官〈ブライアン・オコナー〉。さまざまな状況に苦悩しながらも生き生きと活躍を続ける姿に、多くのファンもいました。

ポール・ウォーカー本人も大の車好きとして知られ、トヨタや日産といった日本車を、愛車として保有していたのです。さらには、試乗のために来日するほどだったと言われています。

ポール・ウォーターとロジャー・ロダスの遺体は損傷が激しく、車体の炎上によって、さらに状態は悪化しました。焼けた遺体のニュースは広く報道され、事故の凄惨さとポール・ウォーカーの死が人々の胸を締め付けたのです。

ポールウォーカーの事故原因とその時の現場状況

事故の衝撃さが伝わります
出典:レスポンス

ポール・ウォーカーが亡くなった後、注目されたのは事故原因でした。事故が起きたのは日中であり、見通しが悪かったことはないでしょう。それにも関わらず、車はコントロールを失い街灯や木に衝突。車は炎上したのに加え、ほぼ真っ二つに割れた状態でした。

スピードの出し過ぎや車両の欠陥、さらに薬物疑惑まで憶測された事故原因。防犯カメラの映像や、証言をもとに下記でそれぞれ解説しますが、この原因が後の裁判に大きく関わってくるのです。

運転手の無謀運転が原因だった?

運転していたロジャー・ロダス
出典:Kinitopi

事件当初、警察は事故の原因を「スピードの出しすぎ」、つまり無謀運転だったとして公表しました。防犯カメラの映像を分析し、当時のポルシェ・カレラGTの走行速度は時速160km以上としたのです。

さらに、匿名の警察関係者は、「スピードの出しすぎ、それだけです」とも証言しています。ポール・ウォーカーとロジャー・ロダスの死は、スピードの出し過ぎによって車体のコントロールが効かなくなり、街頭などに衝突したのではないか?とされました。

さまざまな憶測が飛び交った後、現在でも、一般的には「事故の原因はスピードの出しすぎ」とされています。

周囲は無謀運転を否定

周囲は警察の発表を否定

「事故の原因は、彼らの無謀運転」とされましたが、知人や家族はこれを否定しました。運転していたロジャー・ロダスは、職業こそレーシングドライバーですが、普段無謀な運転をするような人ではないと主張したのです。

加えて、ポール・ウォーカーの一人娘であるメドウは、次のように訴えました。

「彼は映画の撮影中であり、数日の休暇でカリフォルニア州に来ていた」
「休暇があければすぐに撮影に戻るため、危険な行動は取れない」
「そのように契約書にも書いているはずだ」

と。両者の主張は対立し、一時薬物検査まで行われました。しかし、2人の遺体からはアルコールや薬物などの反応は一切出なかったのです。

映画とその後

ワイルド・スピード初期の頃のポール・ウォーカー
出典:HOMINIS

ポール・ウォーカーの事故死によって、メインキャストを失った「ワイルド・スピード」。困惑と悲しみの中、映画の作成は一時中止にまで追い込まれてしまいます。

「ワイルド・スピード」はどのように完成させたのか、事故のその後はどうなったのか、詳しくご紹介します。

「ワイルド・スピード」は一時作成中止に

映画はどうなってしまうのか
出典:navicon

映画「ワイルド・スピードSKY MISSION」の撮影は、事故当時まだ半分も終わっておらず、製作陣は困惑しました。また、メインキャストの訃報に皆が悲しみに暮れ、作成は一時中断となってしまいます。

米ユニバーサル・ピクチャーズは、撮影中だった映画を再開させるか検討しました。ですが、製作陣は映画の完成に意欲を見せ、撮影再開に向けて動き出したのです。

そして、2013年12月には脚本のリライトが開始。撮影続行には、代役をたてるのか?出演シーンを大幅に変更するのか?数々の期待や不安が寄せられました。

代役をたて撮影再開へ

代役を務めた2人の弟、似ていますね
出典:GQjapan

結果として、「ワイルド・スピードSKY MISSION」は、通常通りポール・ウォーカー出演のまま公開されました。一体どういうことなのか?

ポール・ウォーカーが事故死した翌年、2014年に撮影は再開されました。その際、代役として選ばれたのは、アメリカ人俳優のジョン・ブラザートンとカレブとコーディーの3人。カレブとコーディーは、ポール・ウォーカーの実の弟であり、顔立ちがよく似ていたのです。

また、ジョン・ブラザートンは背格好や仕草がポール・ウォーカーと酷似しており、CGを用いて再現されました。ポール・ウォーカーが亡くなった際、撮影は半分ほどしか終わっておらず、少なくとも4つのシーンで代役が出演しています。

代役の協力と、モーションキャプチャーなどの技術を使って、デジタルの〈ブライアン・オコナー〉を生み出したのです。実際に映画を見るとわかりますが、ほとんど違和感なく再現されています。他にも、出演シーンが減る代わりに、セリフやオマージュでカバーしたのです。

そして、映画の撮影再開を経て、日本では2015年4月に公開されました。

多くの追悼映像が公開された

映画のラストシーン
出典:Lawrence

撮影再開後、主演を務めたヴィン・ディーゼルが、自身のFacebookで映画公開日の公開も行っています。そして、公開された映画のエンディングでは、下記の追悼テロップが流れました。

「FOR PAUL」ポールに捧ぐ

多くのファンが、彼の死を改めて実感し涙。その後、長い期間ともに映画を作り上げてきたスタッフからも、追悼コメントが発表されています。事故の5年後である2018年11月30日には、多くの共演者たちがSNS上で追悼メッセージを投降しました。

さらに2017年、ポール・ウォーカーの誕生日である9月12日に、娘のメドウがSNSに写真付きのメッセージを投稿し話題に。写真には、幼い頃のメドウとポール・ウォーカーの仲睦まじい姿が写っていました。

直近では、2020年の命日にも、同様に追悼のメッセージが投稿されています。彼がいかに周囲に愛されていたのか、今でも胸が熱くなりますね。

ポルシェとの裁判

ポール・ウォーカーの娘、メドウ
出典:celeby

ポール・ウォーカーの事故後、世間の悲しみや映画が不安視があった裏側で、親族とポルシェとの裁判が起こっていました。

最初に訴訟が注目されたのは、運転していたロジャー・ロダスの妻であるクリスティン。彼女は事故の原因が「運転手のスピードの出しすぎ」という結果に反論、裁判を起こしました。

クリスティンは、ロジャー・ロダスは事故時、スピードを守って運転していたと主張。そもそも時速300km以上のスピードが出せる車にも関わらず、クラッシュケージが搭載されていないことや、サスペンションの破損が見受けられたこと。これらを総合し、車両に欠陥があったのではないかと訴えたのです。

しかし、ポルシェ側は車両の欠陥を否定。本人らが改造した可能性もあるとして、「自業自得」とまで断言しました。裁判の結果は、クリスティンの敗訴。裁判長は、ポルシェ側の過失疑惑に対して、証拠不十分としたのです。

また、ポール・ウォーカー事故の娘であるメドウも、ポルシェとの裁判を起こしています。メドウの主張は、事故直後の車両の不備について。衝突直後に生きていたはずのポール・ウォーカーが助からなかったのは車両の欠陥があったのではと言うものだったのです。

検死の結果では、事故直後、ポール・ウォーカーはまだ生きていた。にも関わらず、逃げられなかったのは、シートベルトがはずれなかったからだと訴えたのです。しかし、結局この裁判も2017年に合意が決定しています。

合意金額や内容については、詳細は不明です。この裁判の終結によって、ポルシェと遺族との戦いは終わりを迎えました。

ポールウォーカーの事故に関するまとめ

日本でも親しまれ、愛されている「ワイルド・スピード」。メインキャストであるポール・ウォーカーの事故死は、当時日本にも衝撃を与えました。

事故の原因は、意見が分かれているものの、運転手のスピードの出しすぎという結果は変わっていません。裁判でも、証拠不十分という現実から、ポルシェ側の過失は認められなかったのです。

今なお謎の残る事故ですが、ポール・ウォーカーが愛されたという真実は変わりません。今回の記事をきっかけに、死後も多くの人から愛されるポール・ウォーカーと、彼の痛ましい事故の記憶を忘れずにいて欲しいと願っています。

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