明智光秀の子孫・子供はどんな人?現在活躍する末裔も紹介【家系図付】

光秀の末裔は生き延びていた?

坂本城跡、死んだ子供は生き延びたという噂があったようだ
出典:Wikipedia

宣教師ルイス・フロイスの記録から、多数の人が坂本城から逃げ延びたという記述があるため光秀の子供も生き残っているのではないかという説があります。そしてフロイスが本能寺の変後に記した「1582年日本年号追加」に、「死んだことになっている2人の子は生き延びたという噂がある」と書かれているそうです。

光秀の子が生存していたという話は今も噂として残っている

2人の子とは男子だと推定されており、忖度のない宣教師が記していることもあり真実味も帯びてきます。恐らく本当に「実は逃げ延びていた」という噂があったのでしょう。具体的に生存説の内容を挙げると、

  • 妙心寺の住職となった僧・玄琳が実は光慶だった
  • 光秀の肖像画がある本徳寺を開山した南国梵桂(なんごくぼんけい)が光秀の子だった

などです。玄琳は妙心寺の塔頭(たっちゅう)・瑞松院(ずいしょういん)に住んでいたといいます。その塔頭の経営を助けていたのが、光秀の妻・熙子の実家「妻木家」だったそうです。また玄琳は「明智系図」を作製した人物ともいわれています。いわゆる一級資料が存在しないため真相は藪の中ですが、明智家とゆかりが深いことは感じ取れる内容です。

*塔頭
寺院の敷地内にある小院、高僧が亡くなった後、弟子が師を慕って墓のほとり(頭)に建てたためにそう呼ばれた

現在わかっている明智光秀の子孫

明智光秀の子孫は現在も脈々と続いている

ここで現在わかっている子孫(自称を含む)を紹介します。詳細は以下の通りです。

  • 今上天皇
  • 細川護熙(元内閣総理大臣)
  • 細川隆一郎(政治評論家)
  • 細川隆三(テレビ朝日報道局デスク)
  • 細川珠緒(政治ジャーナリスト)
  • 明智憲三郎(作家・歴史研究家)
  • クリス・ペプラー(タレント・ナレーター)
  • 明智ハナエリカ(ミュージシャン)

です。ただしここに記されているのは一部であり、著名でない人を含めるともっと多くいらっしゃることが想定できます。

この中の今上天皇や細川家の方々は、細川ガラシャの血を受け継いでいます。他の方々は記録にしっかり残っていないけれども、明智家の子孫と伝わっている家系のようです。

現存している著名な明智光秀の子孫

現在も明智光秀の血を引く人は全国にいることだろう

明智光秀の子孫は、男系女系を含めると現在も多くの人が活躍しているはずです。ただし現在も光秀の子孫だとはっきりとわかっている子孫は、細川ガラシャの子孫のみです。ここでは現在活躍する子孫の中で、特に著名な人物を紹介します。

今上天皇(第126代天皇徳仁)

今上天皇も細川氏の流れから明智家の血を引いている
出典:Wikipedia

今上天皇は明智光秀の子女で細川忠興の妻、細川ガラシャを通じて天皇家に血を繋いでいます。忠興とガラシャの孫である女子「徳」は公家の名門・西園寺家に嫁いでおり、その血族は孝明天皇の生母・正親町雅子に続いています。光秀の血は女系を通じて名門公家へと受け継がれ、現在の皇室に繋がっているのです。

細川護熙

細川護熙氏は内閣総理大臣も務めた人物だ
出典:Wikipedia

細川家の当主であり、第79代内閣総理大臣も務めています。細川忠興の直系子孫であり、護熙氏の母・温子は近衛文麿の娘であるために、父母を通じて明智家の血が流れていることになります。近衛家は公家の家格でも頂点に立つ「五摂家」であり、天皇家の皇子が養子になって家督を継いだりもしている家です。そのため皇室とゆかりが深い近衛家から見ても血を引いていることがわかります。

現在は政治の第一戦は退いているものの、「脱原発」を唱え東京電力に再生可能エネルギー基地設置要求など現在も精力的に活動されているそうです。

明智憲三郎

明智憲三郎氏
出典:NeeSee

日本の作家であり、歴史研究家です。「本能寺の変」が実は徳川家康が黒幕だったと主張する「本能寺の変 427年 四二七年目の真実」という本を出版しています。この本は複数の歴史学者から成立する余地がないと否定的な意見もありますが、従来の説に一石を投じる説となりました。

ご本人の公式ブログによると、明智光秀側室の子で山城国の神社に匿われた三男「於寉丸(おづるまる)」の子孫で、苗字を明田と変え、明治時代に至った家系だそうです。そして憲三郎氏の曾祖父が内務省に申請して「明智」姓に変更したといいます。現在も明智光秀関係の歴史番組に出演したり、精力的に活動されているようです。

クリス・ペプラー

アメリカ国籍のタレント、クリス・ペプラー氏
出典:Wikipedia

タレントでラジオDJのクリス・ペプラー氏ですが、明智光秀の子孫といわれています。ペプラー氏はドイツ系アメリカ人と日本人の母を持つハーフですが、専門家の調査で「調べうる限り」という注釈がつくものの光秀の子孫である可能性が高いとされています。

クリス氏は母方祖母から「あなたの末裔は明智光秀の子孫なのよ」と聞かされていたそうです。そこでクリス氏はテレビ番組で子孫を名乗る明智憲三郎氏に調査を依頼。そして祖母が明智光秀の氏族「土岐」という苗字であることに着目し、更に祖母のお墓にも土岐家の証「桔梗紋」が入っていたことから、土岐氏の子孫と判明。

400年ぶりに「歴史的な和解」を果たしたという
出典:exciteニュース

また祖母の家系図を照らし合わせると、明智光秀の実子という説もある土岐頼勝の血を引くことが判明したそうです。その後「明智光秀」の子孫と「織田信長」の子孫が会うという企画で織田信長の子孫といわれるフィギュアスケーター織田信成氏と共演を果たしています。

明智光秀の子孫に関するまとめ

いかがでしたでしょうか?今回明智光秀の子孫について焦点を置いて執筆しましたが、明智光秀の子孫は女系まで含めると今上陛下にも繋がるということを知り、家系の枝は広いなと改めて感じています。

男系のご子孫と称している方も、今も調査中ということですので今後新しい発見があるかが気になるところです。この記事を読んで「明智光秀の子孫」が分かったという方がいたらこれ以上嬉しいことはありません。最後までお読みいただきありがとうございました。

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