有名なヤクザ抗争一覧まとめ!最大規模の事件や最近の抗争も紹介

「ヤクザの抗争で有名な事件を知りたい!」
「ヤクザの抗争ってどんな時起こるのかな?」

「抗争」とは、暴力団、政治団体などの同一業界における勢力争いをいいます。特に暴力団(ヤクザ)関係で話し合いでなく、暴力で相手に報復する反社会的騒動を指します。

抗争はヤクザ同士が暴力を使って報復する行為をいう
出典:Cherich

これまでヤクザ同士の抗争は数多く起こってきましたが、この記事ではその中でも有名な事件を時系列順で紹介します。また、そもそもヤクザ抗争が起こる原因や目的も併せて解説します。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

ヤクザの抗争が起こる理由や目的とは?

どうしてヤクザ間で抗争が起こるのか?
出典:シネマトゥデイ

そもそもヤクザとはどういう集団かというと、「暴力や脅迫などの犯罪的手段で稼ぐ集団」を指します。その暴力集団であるヤクザ間で起こる理由は?目的は何なのかをここでは紹介していきます。

抗争の理由は組の利権争い

ヤクザの抗争は自分の「しのぎ」を守る戦いといえる

ヤクザ間の抗争は、簡単に言うと組の利権争いによる喧嘩といえます。ヤクザは「しのぎ」と呼ばれる稼ぎによって成り立っている組織です。誰がしのぎをするという線引きは明確にないために、主に力関係で獲得することになります。要は「ここは俺の勢力圏だ」ということを、抗争で証明することになるのです。

一般的に組の親分が代替わりした時など力が弱った際に、他の組織が勢力範囲内に侵食してきます。この侵食が、ヤクザにとって手っ取り早い方法なのです。当然、侵食された側も自分の組織を奪われたくはないので、喧嘩となり、結果として抗争が起こります。

ヤクザにとって抗争は必要経費

私たちが持つヤクザの抗争のイメージ(写真は映画より)
出典:NIKKATU

ヤクザにとって、「抗争」は必要経費のような感覚だといいます。なぜならば、勢力を拡大し収益を伸ばしたいのが常であり、弱肉強食が根付いている世界といえるからです。万一トラブルがあった場合、合法ではないために「裁判沙汰となる」などの方法が取れません。そのために自分の利権は力で守るしかなく、「腕づくで奪う、守る」という構図ができてしまいます。基本的にヤクザの世界は弱肉強食なので、争いは絶えず抗争は起こってしまうのです。

ヤクザは用心棒代としての「みかじめ料」も貴重な収入源だ

近年はヤクザ間で喧嘩は「間違い」と呼ばれ、喧嘩ではなく金で解決するというケースも出ています。しかしそれは主流とはいえず、やはり相手が侵食してきたならば、力ずくで押し返すのが基本です。ヤクザの世界では「我慢する」という概念がありえない世界であり、自分たちの存続を守るために必要なことといえます。

そのため「抗争」にかかる経費も、必要なこととして準備されます。大きな抗争だと年間「5億円」かかるそうです。具体的にはピストルなどの武器の購入、抗争に備えての住居・食費なども含まれます。それはヒットマン1人に月20万くらいかかるといわれ、単純計算で年240万。10人いると2400万円となり、それも何年続くか分からないといいます。ヤクザにとって「抗争」はとてもお金がかかることなのです。

抗争に勝利したらどうなる?

後はヤクザの会長同士で話し合い手打ちとした
出典:BiBi

ヤクザ抗争もある程度のところで「手打ち」となります。抗争は負けたほうの組長が、勝った方の組長に謝罪して収束させています。そして大体の抗争は、勝利したほうが負けた組の勢力を吸収・統合していくパターンや、組を解散し堅気になったりもしているようです。

山口組組長の棺が運ばれる様子、組長射殺等は根強い怨恨を残すこととなった
出典:withnews

また抗争の長期化を避けるために、抗争していない別の組を仲介にしてある程度お互い譲歩をしたうえで「手打ち」というパターンで終わった抗争もあります。ただし抗争は勢力拡大のみならず、「組の面子を保たなければならない」ということもあり、一度手打ちになっても怨恨が残り再度抗争が起こったりもしています。

ヤクザ抗争の代表的な事件

代表的なヤクザ抗争を紹介
出典:MADAMERIRI

広島抗争:1950年〜1972年

後ろに「打越」「山村」という名前が見える
出典:BiBi

1950~72年にかけて起こったいくつかの事件をまとめていいます。広島における「打越会」と「山村組」の争いが発端で、「山口組」と「本多会」の代理戦争と呼ばれました。ヤクザ映画「仁義なき戦い」のモデルとなった抗争でもあります。

詳しく経緯を説明すると、広島市内で大きな勢力を持っていた岡敏夫と、岡の弟・打越信夫の兄弟が「岡組」を牛耳っていました。そして呉市では、山村辰雄の「山村組」が勢力を持っています。弟の打越は、次期岡組組長となることを目論んでおり、周りもそう思っていました。

山村組長
出典:BiBi

しかし1961年に、神戸の山口組の組員と打越が兄弟分となり、兄の岡が大激怒。理由は山口組が勢力を伸ばしてきていて、多くの組が山口組に吸収されていたからです。そこで岡は呉の山村を次期組長として指名してしまいます。そして山村組は広島市にも進出し、岡組を吸収してしまいました。

しかし将来打越が組長となることを見越して、山口組組員は兄弟となっていたため打越の力が弱まるのは想定外だったのです。そして次第に打越と山村の関係が悪化。打越は山口組の傘下に入り、「打越会」となりました。そこで山村は神戸で山口組と仲が悪かった「本多会」に接触、兄弟分となったのです。

抗争中、警察に追い詰められ自殺した組員もいた
出典:BiBi

そして打越会の子分が山村組の子分に射殺され、抗争が始まりました。最初は打越会の方が押され気味で、山口組が本格的に介入しています。殴る蹴るの喧嘩や、賭場あらし、銃撃戦なんでもありの抗争となり、神戸の山口組本部に爆弾をしかけたりもしました。この頃山村組は、組織強化と警察の横槍を避けるために政治結社「共政会」と名乗るようになっています。

市民の要望により警察も動き出し、双方の幹部を逮捕しまわりました。そのため双方司令塔が不在となり、抗争が困難になり一応収束します。1967年に共政会と打越会は「仲直り会」を実施。打越は引退し、打越会は解散しました。

大阪戦争:1975~1978年

山口組宿敵、大日本正義団の写真
出典:Twitter

1975~78年にかけて起きた「三代目山口組」と「松田組」の抗争事件です。発端は豊中市の喫茶店「ジュテーム」で松田組系溝口組組員が、山口組系佐々木組組員を3名射殺1人に重傷を負わせたことです。事件の背景は、賭場での嫌がらせが原因でした。

一旦溝口組と佐々木組は和解しかけるものの決裂。1か月後には松田組幹部の自宅に銃弾が打ち込まれた直後、佐々木組の本家である山口組本部に銃弾が打ち込まれ大阪近郊の山口組勢力も参戦することとなりました。この後山口組系組員が、松田組系大日本正義団組員に射殺されています。この時に山口組組長・田岡一雄は傘下の組に自重するように厳命しました。

山口組三代目組長・田岡一雄
出典:NeeSee

一旦は静まったものの、76年に大日本正義団会長を、佐々木組系2人組が射殺。組員は警察に逮捕されていますが、前年の死者3名の報復だったといいます。すぐに松田組の報復があると思われましたが、しばし冷戦状態が続き、約2年後の78年に京都のクラブ「ベラミ」に来ていた山口組・田岡組長を大日本正義団組員が狙撃。組長は首に銃弾が命中するも一命を取り留めました。

山口組組長を狙撃した鳴海清
出典:NeeSee

「ベラミ事件」は山口組を怒らせ、公衆浴場や路上などで松田組系組員を7名射殺。田岡を狙撃した鳴海清は、六甲山で激しい暴行を受けた状態で殺害されています。山口組は松田組との手打ちさえ望まず、神戸の田岡邸に報道陣を招き一方的に抗争終結宣言。松田組も抗争終結宣言を大阪府警に提出、終息しました。

山一抗争:1984年~1989年

山一抗争は多くの被害者を出した
出典:withnews

1984~89年に起きた山口組から分裂した「山口組」と「一和会」の抗争です。暴力団関係者が25名死亡、約70名が負傷しています。きっかけは山口組4代目組長・竹中正久が、対立する一和会組員に射殺されたからです。一和会は、四代目竹中組長が跡を継ぐことを反対して分離した組織でした。

ダンプ特攻を受けたという山本組長宅
出典:社長の家~日本豪邸写真集

抗争は当初、一和会が優勢でしたが、脱落者が相次ぎ次第に山口組が巻き返していきました。山一抗争で有名なのが「ダンプ特攻」です。85年に山口組系組員3名が、一和会会長宅にダンプで特攻しました。ダンプ特攻のために、県警機動隊員と打ち合いにまで発展しています。

一和会組長・山本広
出典:MATOMEDIA

結局1989年に一和会の山本広は、稲川会の稲川裕紘に付き添われて山口組本家を訪問。山本は引退と一和会解散を告げて、竹中組長の殺害を謝罪。一和会が消滅して抗争は終わりました。山一抗争があってから、暴力団員の武装化が本格化したといわれています。そして抗争に勝利した山口組は、広域暴力団として勢力が拡大することとなりました。

山波抗争:1990年

山口組五代目組長・渡辺芳則
出典:なんでも書いちゃってます

1990年に起きた5代目山口組と波谷組の抗争です。事件のきっかけは「安井武美」という人物の組織勧誘です。当初安井は波谷組から勧誘を受けていましたが、不服であり山口組系西岡組に打診し舎弟にしてもらっていました。加入を反故された波谷組組員は、福岡市にある安井の自宅を襲撃、射殺しています。同日に報復として、波谷組系の組事務所などが襲撃されました。

山口組NO.2の宅見勝若頭
出典:なんでも書いちゃってます

そして大阪府で元NTT職員が、宅急便を装った山口組系組員に射殺される事件が起きています。この男性は数週間前に引っ越してきたばかりの人で、それまでは波谷組幹部が住んでいる家でした。一般人男性誤射事件は、山口組NO.2・宅見勝若頭から葬儀に参列したい旨が打診されたといいます。そして山口組若頭の代理が通夜に訪れ、1000万円の香典を置こうとしていますが遺族に拒否されました。

波谷組組長、波谷守之
出典:MATOMEDIA

その後たびたび事件を起こしますが、山口組が「波谷守之はヤクザを引退しないが、若衆を手放すこと」という手打ちの条件を伝え、波谷組は了承。抗争は終結し、波谷守之は名古屋市の弘道会本部を訪れて、安井武美を射殺したことを詫びたといいます。

最近の有名なヤクザ抗争

近年起きたヤクザ抗争を紹介
出典:MADAMERIRI

北関東抗争:2003年

住吉一家親和会は栃木県に本拠を置く暴力団だ
出典:JapaneseClass.jp

2003年に北関東などで起きた五代目山口組弘道会と住吉会住吉一家親和会との抗争事件です。弘道会系大栗組と、親和会組員が栃木の運転代行業の利権をめぐって衝突し、話し合いも決裂しています。そして親和会組員が保冷車を大栗組事務所に突入、抗争が始まりました。同日警戒中のパトカーを押しのけて、大栗組事務所にダンプカーを突入。

その後も山形から愛知まで含めて、弘道会と親和会は抗争。親和会で3名が死亡しています。そして抗争が始まった約2か月後に、東京のホテルで弘道会と親和会の和解交渉が行われ、抗争は終息しました。

六本木クラブ襲撃事件:2012年

六本木クラブ「フラワー」で事件は起こった
出典:たむごんの白熊ニュース 原発・政治・時事問題などを分析

2012年に起きた関東連合という、「半グレ集団」と呼ばれる暴走族から始まった組織が起こした殺人事件です。六本木のビルに入っているクラブ「フラワー」で、男性客が10名ほどの目出し帽を被った男に金属バッドで殴られ死亡しました。

この事件は暴走族グループ「関東連合」と、他グループの抗争の末に起こった事件でした。しかし被害者は全く関係のない人物であり、人違いによる犯行だったことも後に分かっています。

関東連合は暴走族の連合体であり東京都内を中心に活動していた
出典:HACHI8

事件を起こした「半グレ」とは簡単に言うと、暴力団に所属はしていませんが暴力団のように悪事を働く、新しい形の犯罪組織をいいます。イメージとしてはヤクザの隠れ蓑として動き、その代わりにヤクザから面倒や許可を貰える持ちつ持たれつの関係のようです。ただし、利害関係はありません。

その半グレでも有名な「関東連合」と、関東連合の傘下に入っていない「新宿ジャックス」などの「半関東連合」が対立していました。そのために狙われていたのは、新宿ジャックスの「木村泰一郎・木村孔次郎兄弟」だったのです。被害者男性は、弟の木村孔次郎と同じように「左足を摺ったような歩き方」をしていたため、木村兄弟と間違われて殺害されました。

犯人の1人、見立真一
出典:ヒマツブシ

この事件で19名に逮捕状が出ており、18名が逮捕されています。しかし実行犯の1人である見立真一容疑者は、現在も指名手配中です。フィリピンに潜伏しているという噂もあり、現在は国際指名手配犯となり懸賞金600万円もかけられているようです。

ヤクザ抗争に関するまとめ

今回ヤクザ抗争について執筆しましたが、名前は知っていたけどどういう抗争かしらなかったという事件も多かったために、今回の執筆で新たに分かったことも多くありました。そんな疑問を持っていた方に、少しでも参考になっていただければ幸いです。

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