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【殺人鬼】エリザベート・バートリとはどんな人?血の伯爵夫人の生涯年表まとめ

エリザベート・バートリは、16世紀から17世紀の初めに生きた、ハンガリー王国の貴族の女性です。日本ではさほど有名な人物ではありませんでしたが、近年、歴史や神話を多く扱っているゲーム作品『Fateシリーズ』にキャラクターとして登場したことで、作品のファン層を中心に名を知られるようになりました。

エリザベートが歴史上に名を刻むきっかけとなったのは、そのあまりにも惨たらしい生涯によるところが大きくなっています。「アイアン・メイデン(鉄の処女)の開発者」と聞けば、ゲームや漫画、あるいはサスペンス好きの方なら、その生涯について、なんとなく想像できるかもしれません。

エリザベート・バートリ

前述のアイアンメイデンの逸話が特に有名なエリザベートですが、彼女の行った所業の惨たらしさは、それだけにとどまらず、現在にも歴史書によって多くの記録が残されています。

その内容はあまりに凄惨なものなので、このトピックで書くことは差し控えさせていただきますが、イギリスの連続殺人鬼・ジャック・ザ・リッパー、童話『青髭』のモデルとなったフランスの元帥・ジル・ド・レ、ワラキア公国の「串刺し公」・ヴラド・ツェペシュらと並び、残酷さによって歴史に名を刻まれるあたりに、その生涯の凄惨さは想像していただけるかと思います。

本記事では、そんな血に塗れた凄惨な生涯を送った殺人鬼、エリザベート・バートリの生涯について、追って行きたいと思います。

※扱う人物の性質上、文中にショッキングな表現が含まれる可能性があります!!ご注意ください!!

エリザベート・バートリとはどんな人物?

名前エリザベート・バートリ
別称バートリ・エルジェーベト、エリザベス・バソリー
誕生日1560年8月7日
生地トランシルヴァニア公国サボルチ県
ニールバートル群
ニールバートル村
没日1614年8月21日(享年:54歳)
没地ハンガリー王国ニトラ県
ヴァーグーイヘイ群
チェイテ村
(現在のスロバキア共和国)
配偶者ナーダシュディ・フェレンツ2世
埋葬場所不明

エリザベート・バートリの生まれは?

ポーランド王だったステファン・バートリ

エリザベートはトランシルヴァニア公国の貴族の家系、バートリ家に生まれました。バートリ家は、偉大なポーランド王として名が知られるステファン・バートリの家系であり、エリザベートの従兄弟がトランシルヴァニア公や、ハンガリー王国の宰相を務めているなど、政治分野に優秀な人材を多く輩出する、有力な貴族の家系として知られていました。

エリザベートは、前述の偉大なポーランド王・ステファンの姪にあたり、母国語だけでなくラテン語やギリシャ語の読み書きにも優れ、夫であるフェレンツ2世が領地を留守にしている際は、自分から率先して領地の経営を行う。また、外国へ留学を希望する学生たちの援助を積極的に行うなど、教養豊かで教育熱心な女性であったというエピソードが残されています。

優秀だがエキセントリックな家系だった、バートリー家。

しかしその優秀さの一方、バートリ家の者たちは、そのエキセントリックな性格でも有名でした。一説では、エリザベートの叔父は悪魔崇拝に取り憑かれていた、エリザベートの兄弟は色情狂だったとも囁かれています。そのような性質の人物がバートリ家に多発した理由については、バートリ家がその血筋の優秀さや、その莫大な財産を維持するために、近親婚や血縁婚を繰り返していたからだとされています。

そんな、紛れもなく優秀でありながらエキセントリックな家系に生まれたエリザベート。家系に根差したその性格は、エリザベートについても例外ではなかったようで、彼女もまた、感情の起伏が極端に激しく、エキセントリックな性格を有していたと言われています。

紛れもなく優秀で、教養豊かな貴婦人の性質を持ちながら、バートリ家特有のエキセントリックさも持ち合わせてしまったエリザベート。

そんな彼女の人生は、夫との出会いによって、後の破滅へと突き進んでいくこととなるのです。

エリザベート・バートリの夫や子供は?

ナーダシュディ・フェレンツ2世

エリザベートの夫となったのは、ハンガリー王国の貴族である、ナーダシュディ・フェレンツ2世でした。結婚当時、エリザベートは15歳、フェレンツ2世は20歳でした。フェレンツ2世の父親は、ハンガリー王国の副王を務めた人物でしたが、家系としてはバートリ家の方が上の身分に当たったため、エリザベートは結婚後も、実家の姓である「バートリ」を名乗り続けたとされています。

フェレンツ2世は、ハンガリー王国軍の指揮官としてオスマン戦争で多大な戦果を挙げ、英雄として名を上げた人物でしたが、同時にその残虐な気質でも有名でした。

そんなエリザベートとフェレンツ2世の夫婦仲は、意外というべきか、気質が似ているから当然というべきか良かったらしく、フェレンツ2世は、彼女の浪費癖や、彼女が男女を問わず複数の愛人を抱えることも寛容に許し、彼女が残虐な行為に耽っていたことについても、そのことで彼女を咎めることはなかったそうです。また、エリザベートの残虐な趣味については、フェレンツ2世によって教えられたものであるとも言われています。

また、エリザベートとフェレンツ2世は、遠縁ではありますが親戚として血縁関係があったらしく、彼女らの婚姻もまた、バートリ家の慣習に基づく血縁婚であったことがわかっています。

エリザベートとフェレンツ2世は、3男3女の子供を設けており、長女であるアンナは、クロアチアの政治的指導者である二コラ6世・ズリンスキ伯爵に嫁ぎ、二女のカタリンは、ホモンナイ=ドルゲド・ジョルジ(日本語で記載された資料がなく、名前以外不明です!申し訳ありません)に嫁いでいます。また、エリザベートの死後、彼女が統治していた領地は子供たちに相続されたようですが、アンナとカタリン以外の子供たちが、その後にどのような人生を歩んだかは、歴史書にはほとんど記載が残っていません。

エリザベート・バートリの残虐行為の理由とは?

女性たち、とりわけ少女に対しての、口にするのもためらわれる残虐な行為の数々によって、歴史にその名を残したエリザベートですが、その行為の発端となったのは、現在の私たちにも通じる、ある欲求であったと言われています。

その欲求というのは、端的に言うと「美しくなりたい」という欲求。

残虐行為の理由 = 美への探求

一見すると残虐な行いとは結び付かない欲求ですが、その欲求と残虐行為が結びついてしまったのは、エリザベートが粗相を働いた侍女を折檻した際の出来事が始まりであると言われています。

折檻された侍女の血が、偶然にもエリザベートの手の甲に付いてしまい、それをふき取ったところ、そのふき取った肌が、とても美しくなったようにエリザベートの目には見えたのだそうです。もちろん科学的な根拠などない話ではありますが、その肌を見たエリザベートはこう思いました。

処女の血を浴びることができれば、私は美しくなれる

飛躍した考えですが、その考えに取り憑かれてしまったエリザベートは、侍女たちに対する残虐行為をエスカレートさせていきます。後に侍女がいなくなると、今度は領地から若い女性を連れてきて。それすらもいなくなれば、今度は自身と同じ貴族の娘にすら手を付け始めたと言われています。

一般的な感性からすると理解しがたい、変態的で残虐な行為をはたらいた殺人鬼、エリザベート。しかし彼女がそんな行為に走った理由は、今の我々も多かれ少なかれ抱く、「美しくなりたい」という欲求が原因だったのです。

エリザベート・バートリとアイアン・メイデンの関係は?

※少々惨たらしい描写が含まれます。苦手な方は読み飛ばしていただけると幸いです。

エリザベートと言えば、多少彼女について聞きかじっている方であれば「アイアン・メイデン(鉄の処女)」をセットで思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。

アイアン・メイデン

上記の画像を見ても分かる通り、聖母マリア像を模ったその拷問・処刑器具は、見た目にもインパクトの強い代物です。内部に人を閉じ込め、扉の後ろに張り付けた棘でめった刺しにするという、想像だけでも痛々しい拷問器具ですが、現在でも多くの漫画やゲームで取り上げられ、拷問具の代表のように扱われることもあります。

そして、そんな悪名高い「アイアン・メイデン」を作り上げたのは、一説によるとエリザベートであると言われているのです。

エリザベートが「処女の血」に関して、異常なほどの渇望を持っていたことは前のトピックをお読みいただければ察していただけると思いますが、そんなエリザベートが「効率的」に、処女の血を集めるために考案した拷問・処刑器具こそが、アイアン・メイデンであるとされているのです。

アイアン・メイデンを作らせたエリザベートは、天井に吊るしたそれの下に浴槽を置き、そこから滴ってくる生き血に入浴したという話も残っています。一説では、「大量虐殺」を意味する英語「bloodbath」の語源は、エリザベートが行ったこの行為であるとも言われています。単語を分解すると「blood=血の」「bath=浴槽」となるため、そうあり得ない説ではありません。

もっとも、「ブラッドバスを作るためにアイアン・メイデンを用いたかどうか」については諸説が存在しています。しかし、「血で満たした浴槽に入浴した」というのは、史実としての信ぴょう性があることらしく、エリザベートの異常な行動と、その美意識の異様な高さをうかがい知ることができます。

エリザベート・バートリと「女吸血鬼・カーミラ」の関係は?

カーミラのモデル説があるエリザベート・バートリ

エリザベート・バートリと言うと、アイアン・メイデンのほかには、「女吸血鬼・カーミラ」とセットで語られることも多いです。実際、日本でエリザベートの名を広めるきっかけとなった『Fateシリーズ』では、「エリザベート(作中では10代中頃の少女として登場します)の成長した姿が、女吸血鬼カーミラである」という解釈がとられています。

カーミラとは、アイルランドの作家である」ジョゼフ・シェリダン・レ・ファニュが1872年に発表したホラー小説『カーミラ』に登場する女吸血鬼の事です。作品としての『カーミラ』は、現在の我々が抱く吸血鬼の代表、「ドラキュラ」に多大な影響を与えており、「貴族的」「整った顔立ち」「棺桶で睡眠をとる」などの要素は、この作品によって作られています。ある意味で、我々が抱く吸血鬼像の元祖とも言えるかもしれません。

そんなカーミラとエリザベートの関係性ですが、実は公式的に「関係がある」「モチーフにした」等と述べられたことはありません。カーミラとエリザベートに関係性があるというのは、あくまでもエリザベートの行った残虐な行為、とりわけ「処女の血を飲んだ」「処女の血で満たした浴槽に入浴した」などの逸話が、「吸血鬼にふさわしい」と後世に評価されたからにすぎません。

しかし、エリザベートの所業が吸血鬼にふさわしいというのはその通りですし、『カーミラ』の後に発表される、ブラム・ストーカーの小説『ドラキュラ』が、実在の人物であるヴラド・ツェペシュをモチーフにしていることも考えると、「エリザベート=カーミラのモデル」という説にも、さほどの不思議はないように思えます。

エリザベート・バートリの残虐行為は?

※このトピックには、残酷で惨たらしい表現が数多く含まれます。苦手な方、あるいはそのような表現に耐性の無い方は、このトピックを読み飛ばしてください。

前述のアイアン・メイデンの逸話など、その残虐さで歴史に名を刻まれた彼女ですが、その残虐行為は夫であるフェレンツ2世の死後になると、より過激さを増していったと言われています。

アイアン・メイデンの逸話に関してはもとより、少女たちの指を切り落とし、その苦しむ表情を見て笑いながら性的に興奮する。使用人に命じて少女たちの皮膚を剥ぐ。少女たちの膣や内臓を取り出して眺めるなど、記録に残る残虐行為は、文章として読むだけでも気分が悪くなるようなものがほとんどです。

残虐行為に狂うエリザベート

残虐行為に性的に興奮するエリザベートの寝台の周りには、流れ落ちた血を吸わせるための灰が常に撒かれていたとされており、また、彼女は体調が悪くなると、手近な少女たちの顔や乳房に噛みつき、その肉を食べていたとも言われています。

その被害者の数は、後にエリザベートの裁判で認定されただけでも80人。それだけでも規格外に多い人数ですが、裁判当時のハンガリー王に宛てられた手紙では300人とされているほか、エリザベート本人の記録によると、なんと650人にものぼるそう。随分と数に開きがあるように見えますが、当時の裁判において、農民や侍女などの平民階級の人々の命が重要視されていなかったことを考えると……。

これらの残虐行為の被害者の死体は、エリザベートの居城であったチェイテ城のあちこちに埋められていたそうです。チェイテ城は現在は取り壊されていますが、現在も跡地が残っています。ただし、当時はハンガリー王国領でしたが、現在ではスロバキア領となっているため、訪れる際には国を間違えないよう、注意が必要になっています。

また、この場合は当然と言うべきですが、チェイテ城は心霊スポットとしても有名になっている場所のため、軽はずみに観光気分で近づくべき場所ではないかもしれません。訪れる際にはくれぐれも自己責任でお願いいたします。

エリザベート・バートリの最期は?

幽閉されたエリザベートの最期とは

数多くの少女たちをその毒牙にかけながら、バートリ家という名門の庇護によってその罪を長らく裁かれずにいたエリザベート。その凶行は約6年にもわたって続けられていましたが、その行いにも、ついに裁きが下る日がやってきます。

最初は自身に仕える侍女、次に自身が治める民たち、そして最後には貴族の女性たちまで手にかけたエリザベートですが、貴族の女性を手にかけたことによって、いよいよエリザベートの凶行はハンガリー王家の中でも重く見られる事態となります。

それに追い打ちをかけるように、1610年にはエリザベートに監禁されていた少女が脱走。いよいよチェイテ城に捜査の手が入ることになり、エリザベートとその侍女、従僕たちは、揃って裁判にかけられることとなります。

裁判において、エリザベートの従僕や侍女たちは、拷問の末に残虐行為について自白。エリザベート自身は一切の殺人についてを否認していたようですが、彼女によって、80人の殺人が行われたことが認定されました(ただし前述のとおり、実際の被害者数はもっと多かっただろうことがわかっています)。

そうして彼女の残虐行為は暴かれ、彼女に協力したとされる従僕は斬首刑に、侍女は火刑に処されました。本来であればエリザベートも死刑に処されるところでしたが、有力な貴族の家系であった彼女は死刑を免れ、漆喰によって窓や扉を塞いだ、真っ暗なチェイテ城の寝室へと生涯幽閉されることが決まりました。

火刑に処された

彼女が幽閉されてから、チェイテ城の屋上には絞首台が置かれ、「エリザベートが本来であれば死刑が相応の罪人である」ことを広く知らしめていたとも伝えられています。

エリザベートが幽閉された、漆喰でふさがれた寝室は、何の光も差し込まない暗闇の部屋であり、外の世界とのつながりは、粗末な食事が1日に1回だけ差し入れられる小窓のみだったとされています。しかしそんな環境の中でも、エリザベートは約3年半もの間生き続けていたそうです。

そして、1614年の8月。彼女の食事が減っていないことや、部屋や残った食事から漂う悪臭に気付いた見張りの兵士が室内を確認したことで、エリザベートの死が確認されました。享年は54歳でした。

「美しくなりたい」という欲求に取り憑かれ、あまたの残虐行為を行った殺人鬼の末路は、皮肉なことに、光の当たらない部屋の中で誰にも看取られずに死ぬという、あまりにも無残で惨めなものだったのです。

エリザベート・バートリにまつわる都市伝説・武勇伝

都市伝説・武勇伝1 カーミラとドラキュラ?串刺し公ヴラド・ツェペシュとの関係性

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