昔の恐ろしい事件ランキングTOP10【昭和初期から戦後まで】

5位:帝銀事件 – 1948年

帝銀事件発覚後の現場の様子
出典:Wikipedia

1948年に東京都豊島区長崎の帝国銀行(現:三井住友銀行)で男が行員を騙して12名を毒殺し、現金と小切手を奪った銀行強盗事件です。犯人として画家の平沢貞通が死刑判決を受けていますが、獄中で一貫して無罪を主張し、未執行のまま1987年に95歳で死去しました。

事件の日、東京都防疫班のワッペンをつけた男が、銀行の支店長に「集団赤痢が流行っている」「感染者の1人が椎名町支店に来たことが分かっている」と話し、消毒が必要と「消毒液」と称するものを行員に飲ませています。行員は男の指示通りに薬液を飲むと苦しみだし、何とか2名が苦しみつつ通りの学生に助けを求めて事件が発覚。薬液は青酸化合物だったことが判明しています。

平沢貞通
出典:Wikipedia

同様の事件が他の場所でも未遂であり、その時に支店長らは名刺を受け取っていたのでそれを元に捜査が進められています。名刺により浮かび上がったのが、北海道で画家をしていた平沢貞通だったといいます。平川は逮捕後死刑判決が下されるも、冤罪説も根づよく存命中は釈放運動も起こっています。

4位:寿産院事件 – 1948年

寿産院から逮捕される石川ミユキ
出典:Wikipedia

1948年に発覚した乳児の貰い子を、劣悪な環境で死なせた殺人事件です。未婚の男女から生まれた私生児を預かり養育する「寿産院」を1943年から開き、子供を望む人に斡旋する特殊産院を経営していた石川ミユキ・石川猛と、産婆助手K、保険外交員の寒川江義門、医師の中山四郎が逮捕されました。

被害者の数は警察の調査によると84名、確定判決を受けたもので5名です。子供の養育費をもらい預かりながら、乳児には必要なミルクの半分しか与えず、お風呂にも入れず、おむつも変えなかったといいます。

生存者と実母
出典:Wikipedia

ある日、木箱を自転車に載せて運ぶ葬儀屋に警察が職務質問し、中を見ると乳児の遺体が5体入っていたことから事件が発覚。5名を司法解剖すると3名は餓死・2名は凍死だったことが分かりました。主犯の石川ミユキは懲役8年、石川猛は懲役4年が下されています。

3位:おせんころがし事件 – 1952年

栗田源蔵
出典:Cherish

1952年に千葉県の通称「おせんころがし」と呼ばれる断崖で起きた、母子3名が殺害された事件です。犯人は栗田源蔵という人物で、闇市のブローカーをしていた人物でした。

事件は行方が分からなくなっていた夫を探していた母子4名を連れ出し、長男と長女をおせんころがしの断崖から突き落とした挙句に、母親を強姦。そして背中に背負っていた次女と共に母親もおせんころがしに突き落とされました。しかし被害者たちはおせんころがしの途中に引っかかっていたために、栗田が石で殴打しとどめを刺しています。長女だけは隠れていたために、奇跡的に助かりました。

事件があったおせんころがし
出典:Wikipedia

栗田は他に4名を殺害しており、残された指紋から逮捕されています。そして1952年に千葉地裁で死刑判決、1953年に宇都宮地裁で死刑判決を受けました。判決後の栗田は再審を請求していますが通らず、1959年に死刑が執行されています。

2位:大久保清連続殺人事件 – 1971年

事件を起こした大久保清
出典:NeeSee

大久保清連続殺人事件は1971年に犯人の大久保清が、わずか41日の間に8人を殺害した事件です。大久保は群馬県で、女性に「絵のモデルにならないか」と声をかけナンパ。白のロータリークーペに乗せてドライブしますが、関係を迫って拒絶されたりなどすると態度を豹変。10数名と肉体関係を持ち、8名を殺害しています。

死刑執行を伝える新聞
出典:NeeSee

結局被害者の兄が独自に事件を捜査し、大久保を突き止め逮捕に至っています。そして1973年に死刑が確定し、1976年に死刑が執行されました。死刑執行の時は恐怖のあまり腰をぬかし失禁し、刑務官に支えられるように死刑台に連行されたと伝えられています。

1位:三菱重工爆破事件 – 1974年

爆発したビル周辺の様子
出典:NeeSee

1974年8月30日に東京・丸の内で起きた無差別爆弾テロ事件です。犯人グループ4名は、「東アジア反日武装戦線・狼」で、爆破には「虹作戦」で昭和天皇暗殺計画に使用される予定だった爆弾が使用されています。事件現場は「三菱重工業東京本社ビル」で、東京の丸の内という人通りが多い場所でした。標的は民間人で、死者8名・負傷者376名という多くの犠牲者を出しています。

犯人の「東アジア反日武装戦線」は日本のアナキズム系の武装派左翼グループ、テロリスト集団でした。犯行動機は第二次世界大戦以前の日本を完全な悪と捉えており、太平洋戦争も「侵略戦争」と憎悪していました。そこで戦後も大手の重工メーカーだった三菱重工業を「帝国主義を支援する企業」として無差別爆破テロのターゲットとしたのです。

犯人の4名
出典:NeeSee

実行犯4名は時限爆弾を仕掛け、三菱重工ビルに電話していますが、いたずらと判断されています。そして時限爆弾が爆発し、1階が爆発。建物内にいた社員と付近を歩く住人が被害にあいました。この事件で主犯の大道寺将司と片岡利明は死刑判決を受け、佐々木規夫と大道寺あや子は超法規的措置で釈放され、現在も国際指名手配中です。

昔の恐ろしい事件に関するまとめ

いかがでしたでしょうか?この記事では昭和の恐ろしい事件をピックアップしてご紹介いたしました。感想は、戦時中は戦争に関連する悲劇が、戦後は革命思想などの事件があり、現在の事件とはやはり犯罪の種類が違う印象を受けます。これらのような事件が再度繰り返されないように、今後起こらないことを祈るばかりです。

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