西鉄バスジャック事件で逃げた人いるって本当?噂の真相と事件概要

「西鉄バスジャック事件で逃げた被害者がいたよね?」
「逃げた人は離婚したという噂を聞いた!」

西鉄バスジャック事件は、2000年に起きた17歳の少年によるバス乗っ取り事件です。事件は当時話題となり、突入のニュースなどをテレビで流したため、記憶に新しい事件という人も多いのではないでしょうか?テレビ中継で牛刀を振りかざす犯人の映像は、世間を驚かせたものです。

西鉄バスジャック事件はマスコミを通して多くの関心が集まり、犯人の少年以外にも人質になった乗客なども当時報道されました。そこで事件時にバスから逃げることに成功した人を中心に紹介していきます。

この記事を書いた人

フリーランスライター

高田 里美

フリーランスライター、高田里美(たかださとみ)。大学は日本語・日本文学科を専攻。同時にドイツ史に興味を持ち、語学学校に通いながら研究に励む。ドイツ史研究歴は約20年で、過去に読んだヨーロッパ史の専門書は100冊以上。日本語教師、会社員を経て結婚し、現在は歴史研究を続けながらWebライターとして活躍中。

西鉄バスジャック事件を簡単に解説

西鉄バスで17歳の少年がバスジャックした
出典:Wikipedia

西鉄バスジャック事件とは、2000年5月3日に起きた17歳の少年による、西鉄バス乗っ取り事件です。事件は5月3日から4日にかけて、およそ15時間半立てこもり、死者1名・負傷者2名の犠牲者を出しています。

元々天神行きのバスでしたが、犯人の谷口誠一は山口にバスを走らせ、被害者が逃げ出すたびに見せしめとして乗客を切りつけていき、1人が死亡し2人が重傷を負いました。最初男性客を解放し女性客を人質に取っていましたが、警察の説得により負傷者を解放。

立てこもっているバスへの突入時の様子
出典:Suebu

その後立てこもりは続きましたが、5月4日の早朝5時ころに警察が突入し、谷口誠一は逮捕されています。犯人の谷口誠一は17歳の少年でしたが、学校生活が上手くいかず、引きこもりとなっていました。

そして家庭内暴力をふるい、精神病院に入院している状況だったといいます。その病院を仮退院中に事件は起きました。

事件が起きたきっかけは、掲示板「2ちゃんねる」のトラブルであったといいますが、同時に精神病院に強制入院させた親に対する腹いせだったともいいます。

西鉄バスジャック事件で逃げ出した人がいた?

事件の時バスには21名の乗客が乗っていた

西鉄バスジャック事件時に、バスの乗客は21名乗っていました。この21名の乗客の中には、逃げることに成功した人物もいるのです。そこでどういった人が逃げられたのか、逃げ出した人物について紹介します。

女性が2名、男性1名が逃げていた

architecture bay beach bridge

事件中に逃走に成功したのは、女性2名に男性1名です。1人目の40代の女性は、トイレ休憩のために降りたときに逃げて、高速道路沿いにある非常電話で通報しています。このトイレ休憩は乗客の要望であり、「戻ってこなければ1人を殺す」といって降ろしたものでした。そして帰ってこなかったために、女性が牛刀で切りつけられ重傷を負っています。

2人目の30代の女性は窓から高速道路に飛び降りて、地面に衝突して骨折するも警察に救出されました。場所は山口県の郡山インターチェンジ付近で、この女性の証言からバスに負傷者が出ていることを警察は知ることとなります。この時も連帯責任として、女性が牛刀で切りつけられました。

乗っ取られたバスの走行中の様子
出典:Twitter

3人目の52歳の男性は、山口県下松市のサービスエリア付近で減速中、窓から飛び降りて逃走しました。男性が逃げた頃にはマスコミが報道を開始しており、男性が逃げる瞬間もテレビで中継されています。谷口は見せしめとして、女性を殺害しました。

逃げた男性はバスに妻を残していた

逃げた男性の妻はバスに残っていた

逃げた男性は、妻と2人でバスに乗っていたそうです。つまり、妻を置いて逃げたことになります。そしてこの男性が逃げたために、見せしめとして女性が刺殺されてしまいました。

夫婦は事件後、すぐに離婚してしまったそうです。妻が取材に応じていますが亡くなった女性の息子さんに、「自分の夫が逃げたばかりに、あなたのお母さんを死なせてしまった」と涙ながらに謝罪していたといいます。また夫に対して、「夫を責めはしないが、これからの一生を一緒に過ごす気にはどうしてもなれない」と話していました。

男性が合気道の師範という噂は真実?

男性は合気道の師範だったという噂がある
出典:Wikipedia

逃げた男性ですが、「実は合気道の師範だった」という噂があるようです。結論からいうと、2ちゃんねる内にそういった噂があるだけで、デマである可能性が高いといえます。ネットでは様々な流派が憶測されていたようですが、男性は普通のサラリーマンの方だったようです。

事件当時は妻を置いて逃げたとして誹謗中傷を受けたという話を聞きますが、事件は非常に緊迫した状態であり、妻の「夫を責めはしない」という言葉はとても重たいものを感じてしまいます。牛刀を振り回す犯人に脅され、バス内は非常な恐怖に包まれていたということは想像に難くありません。

西鉄バスジャック事件の経緯

西鉄バスジャック事件を時系列で解説

事件が起こった15時間半もの長い時間の間には、非常に恐ろしいことがバス内で起きていました。2000年に起きた西鉄バスジャック事件を詳しく時系列で解説していきます。

西鉄バスがバスジャックされる

福岡行きの高速バスで事件が起きた
出典:Wikipedia

2000年の5月3日のゴールデンウィーク期間、佐賀市から福岡市の天神へバスが出発しました。天神にはおよそ2時間で到着する予定でしたが、バスが大宰府インターチェンジを超えたころに、最前列に座っていた犯人の谷口誠一が刃渡り約30センチの牛刀をバスの運転手に突きつけたことで事件が始まります。

そして乗客全員をバス後方に移動するように指示していますが、1人の女性は深く眠っており騒動に気づいていませんでした。それを谷口は意図的に無視していると勘違いし、女性を切りつけ手首や首に怪我させています。そして乗客に、

「天神に行くな。このバスを乗っ取ります」
「貴方たちが行く先は天神ではなく地獄です」

と言い放ったそうです。車内は悲鳴があがり、パニックとなりました。谷口は乗客全員の携帯電話を集め、窓のカーテンを閉めさせています。

乗客が逃げ出し一人目の被害者が

犯人は牛刀を振り回していた

事件発生から1時間程度後に、バスの乗客のトイレの要望を許し、バスを路肩に停めさせます。この時バスの外へトイレに出た女性がそのまま逃げて警察に通報。通報を受けて福岡県警に連絡が行き、西鉄バスジャックが判明しました。警察はヘリを使用し、該当車両を上空から探しています。

バスでは女性が戻らなかったために、逆上した谷口が牛刀で女性を切りつけ、顔・首・手を刺され重傷を負いました。女性は事件後助かり手当を受けていますが、顔に痛みや痺れが残る後遺症が残ることとなったのです。この時谷口は、乗客全員に「連帯責任なんだから逃げたら何度でも刺す」と脅したといいます。


西鉄バスジャック事件の影響により、屋上に車体番号が標記されるようになった
出典:Twitter

その後谷口は自らの携帯電話で警察に通報。携帯電話の番号により身元が判明し、事件が起こってから3時間経過したくらいに、「西鉄バスジャック事件」は全国放送で速報が流れ、全国で事件を知ることとなったのです。

ついに死者が出てしまう

人質が逃げるたびに人質を刺し、ついに死者が出てしまう

その後山口の郡山インターチェンジ付近で、30代の女性が窓を開けて脱出、怪我をしたものの警察に保護されました。ここで逃げたことに気づいた谷口は、窓が開いていた近くの席に座っていた女性の首を何度も刺したといいます。

事件発生から4時間程経過した16時15分頃に、バスが減速した時に50代の男性が窓から飛び降りて脱出に成功しました。そして怒った谷口は倒れていた女性を執拗に刺し、ついに絶命させてしまったのです。

人質が3名解放される

防弾チョッキと引き換えに怪我人3名が解放されている
出典:Twitter

事件発生から約5時間経過した17時24分頃に、広島の高田山内部で男性客4名を解放し、一人旅していた6歳の少女を盾にして人質にしていました。そして17時50分頃に警察がバリケードを築いており、突破を諦めたバスは警察の誘導により、山陽自動車道の奥屋パーキングエリアでバスを停車させることとなります。

ここで警察との交渉が始まり、谷口は怪我人を解放する代わりに、拳銃と防弾チョッキ・スタンガンを要求しています。結果的に防弾チョッキを渡すことで交渉が成立し、怪我人3名が解放されました。しかし女性1人は既に絶命していたのです。

SATが突入で犯人逮捕

バス突入の時の様子
出典:Twitter

犯人と警察の交渉は続けられ、谷口は「東京の霞ヶ関に行きたい」と要望したために、バスは21時37分頃に警察に誘導されて給油のために尾谷サービスエリアに移動。ここで交渉により、最高齢の女性が解放されました。

この頃に谷口の両親や精神科の担当医が説得にあたっていますが、益々怒らせてしまい全く効果がなかったようです。そのまま時間が過ぎ、翌朝5時頃谷口が6歳の少女から離れたタイミングで、SAT隊員が閃光手榴弾を投げ15名がバスに突入。SAT隊員1名が切りつけられ怪我を負いましたが乗客に怪我はなく、谷口は取り押さえられ事件は終息しました。

西鉄バスジャック事件のその後は?

西鉄バスジャック事件の被害者は現在も強いトラウマが残っている

17歳の少年が起こした西鉄バスジャック事件ですが、事件後はどうなったのか?犯人のその後や被害者のその後を紹介していきます。

犯人は京都医療少年院に収容される

谷口が収容された京都医療少年院
出典:Wikipedia

西鉄バスジャック事件を起こした谷口誠一は、責任能力は認められたものの「解離性障害や後遺障害の症状」と判断され、隔離された施設で日常的に精神科医の観察が必要だと判断されました。そのために「5年以上の医療少年院の送致」を下し、京都医療少年院に収容されています。

そして2006年に谷口は仮退院し、同年に保護観察処分も満了して少年院を退所しました。その後社会復帰したと思われますが、詳しいことはわかっていません。なお、谷口誠一と両親の居所はわからないそうですが、谷口と両親は2019年時点で賠償金を支払い続けていたことが分かっています。

被害者女性は子供の居場所作りに尽力している

被害者の山口由美子さんは不登校の子供などを支援している
出典:公益財団法人社会貢献支援財団HP

西鉄バスジャック事件で10か所以上も切りつけられ重傷を負った被害者である山口由美子さんは、何度か医療少年院にいた谷口誠一と面会したそうです。山口さんは事件後、被害者でありながら「このような少年を作らないために」と不登校の子供や親のためのサークルを設立し活躍しています。

山口さんは子供の居場所を作るための「ハッピー・ビーバック」という場所を作り、事件に正面から向き合う活動を続けていました。そして全国500以上の施設などで自らの事件体験を講演し、佐賀刑務所でも毎年「被害者感情について」を講和しているそうです。

犯人が被害者に謝罪する場面も

山口さんは不登校の子供や親の居場所作りしている

山口由美子さんは、谷口誠一に会いに医療少年院へ面会に訪れています。この時に谷口は山口さんに対して深々と頭を下げて、謝罪の言葉を口にしたそうです。山口さんはインタビューで、

「私は彼の背中をさすり、『これまで誰にも理解されずつらかったね』と言いました。そして、『だけど、あなたの罪を許したわけではない。許すのはこれからです。これからの生き方を見ているから』と伝えながら、彼のつらさを肌で感じて涙が溢れてきました」

弁護士ドットコムニュース

と話しています。するとしばらくして谷口から手紙が届き、「自分の罪深さと暖かい思いが同時に湧き起こりました」と書いてあったといいます。

西鉄バスジャック事件で逃げた人に関するまとめ

いかがでしたでしょうか?西鉄バスジャック事件から逃げた人など、被害者の立場を中心に執筆しましたが、その状況は私達には計り知れず、当時バッシングを受けた男性も気の毒なように個人的に筆者は思いました。また、事件を活かして子供を救う活動をされている山口さんを知り、応援したいと感じた次第です。西鉄バスジャック事件は多くの人の人生を変えてしまっており、こういった事件があったことをより多くの人に知ってもらえたら幸いに思います。

コメントを残す