シュトラウスの具体年表
1825年 – 0歳「ヨハン・シュトラウス2世、誕生」
ヨハン・シュトラウス2世は、1825年10月25日に、ウィーンの数キロ南に位置するザンクト・ウルリッヒという場所で誕生しました。
家族構成は、以下の通りです。
父:ヨハン・シュトラウス1世(音楽家)
母:マリア・アンナ・シュトレイム(宿屋(居酒屋とも)の娘)
次男:ヨーゼフ・シュトラウス
三男:エドゥアルド・シュトラウス1世
多忙な音楽家の仕事をこなすうえに、厳格な性格だった父親のヨハン・シュトラウス1世は、シュトラウス楽団内でも思い通りに動かしていただけでなく、家庭内でも逆らう物は妻でも息子でも容赦なく暴力を振るっていたそうです。
1830年 – 5歳「初の作曲を行う」
ヨハン・シュトラウス2世は幼い頃、よく母方の祖父母の家で過ごしていました。
その際、祖父の家にあった小さな卓上ピアノを使い、36小節のワルツを作曲します。これが、ヨハン・シュトラウス2世にとっての初の作曲となります。これを母アンナが譜面に書き写し完成したのが『最初の着想』という曲です。
このほか、5分で曲を作って次男のヨーゼフ・シュトラウスに歌わせたこともあると語っているほど、兄弟そろって音楽が日常にあふれていた生活を送っていました。
1842年 – 17歳「音楽家として成長していく」
音楽の道をあきらめきれなかった
父による息子たちの音楽家への夢に対して大反対により、ヴァイオリンをへし折られながらも、めげずに父の楽団員からヴァイオリンを学びます。しかし、やっぱり父に見つかりその人は解雇。
大学は別の道を歩むものの、やはり音楽への道を捨てきれず、1842年に大学を退学し、教会のオルガン奏者のもとで音楽を学び、これまで以上に音楽活動に専念することにしたのです。
父ヨハン・シュトラウス1世は独学で音楽を学んでいましたが、自分自身はしっかりと音楽の学習を行っていくのでした。
音楽家デビュー
ヨハン・シュトラウス2世は自ら発掘した独自の楽団と共に、1844年についに音楽家デビューを果たします。
当時のウィーンの法律では、20歳以上でないと音楽家に慣れなかったのですが、ヨハン・シュトラウス2世は役所に行き、涙ながらに訴えた結果、役人の心をつかみ、異例の出世を果たしたのでした。
ヨハン・シュトラウス2世のデビューコンサートは、現在も観光地として有名なシェーンブルン宮殿近くにある、「カジノ・ドームマイヤー」という場所でした。
デビューコンサートでは、父と同じくヴァイオリンを弾きながら華麗に指揮をする、というスタイルをとり、見事に大成功!これにより、事実上の親子ライバル対決がはじまるのでした。
親子対決とウィーン革命勃発!
1848年、ヨハン・シュトラウス2世が演奏旅行へと東欧に行っている間に、ウィーンではウィーン革命が起こりました。
この革命により、ヨハン・シュトラウス2世はすぐさまオーストリアへ戻り、ウィーンから離れた別の街で事の成り行きを見守っていました。
ウィーン革命は市民側が優勢となっていたことで、ヨハン・シュトラウス2世も自ら市民側として革命派として作曲を進めていきました。
一方、ヨハン・シュトラウス1世はこの時皇帝派について、同じように作曲をしていました。
なお、ヨハン・シュトラウス2世はほんの出来心で革命へと加担したという話もあり、革命鎮圧後に警察へマークされてしまったんだとか。
父ヨハン・シュトラウス1世が死去
1849年、父ヨハン・シュトラウス1世が亡くなります。これにより、ヨハン・シュトラウス2世は父の楽団を吸収合併しました。
最初はわだかまりがあったものの、最終的には父と協力しながら音楽活動を行っていたヨハンシュトラウス2世のもとに、これまでの仕事がのしかかってきます。
1850年には、過労により危篤状態に陥るまでになってしまいます。
1853年 – 28歳「兄弟巻き込んで音楽家になる」
次男、三男を巻き込んで音楽家兄弟が生まれる
1850年に過労で危篤状態になったヨハン・シュトラウス2世は、母アンナの思い付きを受け入れます。それは、次男ヨーゼフ・シュトラウスを自分の代役として指揮者をさせることです。さらに、末っ子のエドゥアルド・シュトラウスを巻き込みます。
これにより、弟2人も本格的に音楽家としての人生を歩むこととなります。
兄弟に仕事は分散されたものの、ヨハン・シュトラウス2世は相変わらず忙しい生活を送っていました。
ロシア公演
ヨハン・シュトラウス2世の生活は、父と同じく世界にまたがろうとしていました。
1856年、ヨハン・シュトラウス2世はロシアの鉄道会社との契約で、パヴロフスクの駅舎を利用した演奏会を夏に行い、そこで指揮するようになりました。
これ以降、ロシアの宮廷のお抱え音楽家にまで上り詰め、ヨハン・シュトラウス2世のコンサートには当時のロシア皇帝アレクサンドル2世一家も姿を見せるようになりました。
このコンサートは1856年から1865年の間に行われるようになり、ヨハン・シュトラウス2世はこの時期には1年のほとんどをパヴロフスクで過ごすようになります。
1870年 – 45歳「重なる身内の不幸とオペレッタ」
母、次男が相次いで亡くなる
この年はヨハン・シュトラウス2世にとって悲しい年となります。母が亡くなり、さらに弟のヨーゼフ、そして叔母までもが亡くなります。
身内が相次いで亡くなるという不幸に見舞われたヨハン・シュトラウス2世は、いよいよ死に対して言い知れぬ恐怖をいだくようになります。
これにより、すっかり作曲意欲を無くしたヨハン・シュトラウス2世でしたが、当時の妻ヘンリエッテを始め周囲の人たちから、ある提案をされます。
オペレッタへの道を歩む
ヨハン・シュトラウス2世は、周囲からの震源もあり、オペレッタの作曲に取り組む決意をします。
最初に作ったのは、「インディゴと40人の盗賊」という題目です。
台本の評価はイマイチだったものの、音楽や舞台の華やかさなどで大好評。以降は活動拠点をオペレッタに移します。
ヨハン・シュトラウス2世の楽団は末っ子のエドゥアルド・シュトラウスが引継ぎます。
これにより、オペレッタを勧めたうちの一人である「天国と地獄」で有名なジャック・オッフェンバックを抜き、ヨハンシュトラウス2世は「こうもり」などを作成したことでオペレッタの世界でも王座を獲得したのです。
1894年 – 69歳「デビュー50周年」
ヨハン・シュトラウス2制覇、いよいよ音楽生活50年を迎えます。この時は、ウィーンを挙げての祝賀行事が盛大に行われました。
祝賀行事はなんと10月の半分という長期間!さらに、新聞の紙面にまで大々的に広告宣伝を行いました。
これ以外にも、ウィーンの街のあちこちで祝賀行事が行われており、まさに街の英雄状態でした。
1899年 – 75歳「ウィーンの音楽家の最期」
晩年でも若い時と同じ姿を保っていたヨハン・シュトラウス2世でしたが、化粧やポマードなどで見た目を維持していたのでした。ウィーン稀代の音楽家も、老いには勝てませんでした。
死の直前まで作曲やサイン会、さらに指揮までをこなしていたヨハン・シュトラウス2世は、肺炎をこじらせて寝込んでしまいます。
グスタフ・マーラーから頼まれていた書きかけのバレエの作曲の様子が気になりつつも、それを進められないことに悔しさをにじませていました。
そして、倒れてからつきっきりで看病をしていた3人目の妻アデーレが看取る中、ヨハン・シュトラウス2制覇眠るように息を引き取ったのでした。
ヨハン・シュトラウスの関連作品
おすすめ書籍・本・漫画
ヨハン・シュトラウス―ワルツ王と落日のウィーン (中公新書)
本書籍は、ヨハン・シュトラウス2世の生涯を、ウィーンの街の様子と共に描かれた作品です。
人間臭さも織り交ざったヨハン・シュトラウス2世の生涯を知るための入門書として、評価が高めの書籍ですので、彼の歴史を知るには最適の一冊です。
ウィンナ・ワルツ ~ハプスブルグ帝国の遺産 (NHKブックス)
本書籍は、ワルツを中心にシュトラウス一族をモチーフにした内容です。主に、ヨハン・シュトラウス2世が手掛けた名曲が誕生した理由やその時代背景を知るには最適の一冊です。
音楽から入りたいあなたには、ぴったりの一冊です。
シュトラウス・ファミリー―ある音楽王朝の肖像
ヨハン・シュトラウス2世のおかげで、ウィーンの音楽が世界的に人気があります。シュトラウス一家の歴史をこの1冊で余すことなくお届けします。
おすすめの動画
トムとジェリー(Tom and Jerry) – Johann Mouse(日本語吹き替え)
世界的にも愛される「トムとジェリー」でも、ヨハン・シュトラウス2世をモチーフにした作品がありました。
美しいピアノの調べと、ドタバタコメディのコラボレーションを楽しんでみませんか?
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グレートワルツ
ヨハン・シュトラウス2世の恋愛物語を、美しい映像と音楽でお送りしています。実は、アメリカで製作されたこちらは、フランスのジュリアン・デュヴィヴィ監督が手掛けています。
「美しき青いドナウ」をはじめとするステキな楽曲が、あなたの心に響きます。
ウィンナー・ワルツ
巨匠アルフレッド・ヒッチコック監督もヨハン・シュトラウス2世の映画作品を手掛けていました。
こちらも、「美しき青いドナウ」ができるまでの物語で、ヒッチコックの作品としては珍しい楽曲をテーマにした作品です。
関連外部リンク
ヨハン・シュトラウスについてのまとめ
ヨハン・シュトラウス2世について、余すことなく紹介しました。
今でも世界中の人をとりこにしている、ヨハン・シュトラウス2世の楽曲。彼の作曲した音楽を始め、シュトラウス一族の楽曲は、現在でも多くのコンサートホールで演奏されています。
クラシックは、若者からしたら古臭い、退屈なイメージがどうしても付きまといがちです。
ですが今回の記事で、あの聞いたことある曲はヨハン・シュトラウス2世の曲だったのか!と、少しでもクラシック音楽が身近になることを筆者は祈っています。