総合型リゾート法案(IR)が成立して以降、大阪府・大阪市が詳細な計画を定めた実施協定案を発表するなど、日本でも近い将来、ランドベースのカジノの誕生が現実味を帯びてきています。かつてはヨーロッパの王侯貴族などの特権階級のための社交場として誕生し、現代ではオトナの遊び場としての長い歴史を持つカジノ。
最近ではインターネット技術の進歩に伴い、飛行機に乗ってラスベガスやマカオなど海外に出かけて行かなくても、ちょっとした隙間時間にオンラインカジノでカジノゲームを楽しめる時代になりました。自宅のソファにいながらにして、本場カジノの気分を気軽に味わえるため、日本国内でも急激に利用者数が伸びていると言われています。ここではそんなカジノの起源や歴史を紐解いていきたいと思います。
カジノの始まりはいつ頃なのか?
カジノゲームの歴史は古く、その原型は古代からすでに存在していたと言われています。最も古い形態のギャンブルは、紀元前2300年ごろの中国で行われていたと言われています。とはいえ、当時のギャンブルは占いやくじ引きの要素が強く、カードやサイコロを使ったゲーム要素が強いギャンブルが広まるのはもう少し後になってからです。
17世紀以降、こうしたゲームとしてのギャンブルを行う場としてカジノは、イタリアの貴族たちの間で広く流行しはじめました。カジノという言葉も、もとは『小さな家』をあらわすイタリア語が語源となっていると言われてます。やがて18世紀に入ると、フランスの王室をはじめ、ヨーロッパ中の王侯貴族の間で人気の娯楽として知られるようになり、庶民層にも広がっていきます。そして19世紀に入るとカジノ文化はヨーロッパから海を渡り、アメリカ大陸でも大流行。シカゴやラスベガスなど、現在でもカジノの代名詞と言っても過言でない地域が誕生していきます。20世紀以降になるとインターネット技術の進歩にともない、オンラインカジノが誕生。世界中でプレイヤー数が拡大し、今日にいたるまでさらなる進化を遂げ続けています。このように、現在では多くの人が気軽にカジノを楽しめるようになっていますが、かつてのカジノでの高級感を堪能したいハイローラーのためにVIPプログラムを用意したオンラインカジノも登場します。
歴史あるヨーロッパのカジノ
現在、ヨーロッパに現存する伝統的なカジノの中で最も美しいと言われているのが、イタリアのヴェネツィアにある『カジノ・ディ・ヴェネツィア(Casino di Venezia)』です。大運河沿いに建つルネッサンス様式の建物は、かつては旧ヴェネツィア共和国の最高行政官の住居として使われた歴史もある、ヴェネツィア内でも最も由緒ある建物の一つと言われています。現在は市が所有し、市営のカジノとして営業を続けています。また、このカジノは、世界的に有名な作家カサノヴァが通っていたり、部屋が貸し出されていた時代には作曲家のワーグナーが暮らし、2階の部屋で亡くなった場所としても知られています。
同じく建物と美しさと格式の高さで有名なのが、ドイツ南西部のバーデン=ヴュルテンベルク州に位置する『カジノ・バーデン・バーデン(Casino Baden-Baden)』です。高級スパリゾート地としても多くの人々が訪れる地にあるこのカジノは、赤い家具と金色のシャンデリアで飾られた豪華な内装はヨーロッパの王侯貴族の社交場として使われた歴史を垣間見ることができます。この二つは歴史的な意味を持ちながらも、現在もカジノとして運営され、豪華な娯楽施設として人々に夢を提供し続けています。
日本におけるカジノの歴史
日本においては、17世紀から19世紀初頭にかけて流行した、カジノに相当する『賭博場』の存在がよく知られています。TVの時代劇などで、サイコロをふるシーンをご覧になったことがある方は多いのではないでしょうか。しかし当時の日本では江戸幕府により、賭博行為は御法度とされていました。現在も基本的に『公営ギャンブル』を除いて賭博行為は法律で禁止されていますが、1960年代になると日本でもカジノを合法化する動きが出はじめます。1970年代には、大手ホテルチェーンなどがカジノ施設を開設することを検討したり、1990年代以降からは、海外のオンラインカジノなども導入されはじめました。そして2010年以降になると、国内外の統合型リゾート(IR)関連プロジェクトの受注数が急増、日本でもランドカジノの誕生が現実味を帯びてきています。
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