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【Zozo前澤も購入】クリフォード・スティルとはどんな画家?知られざる作品や人物像まとめ

クリフォード・スティル(1904~1980)は、アメリカ出身の現代美術画家で、抽象表現をメインとしたモダニズムという絵画の分野における第一人者です。モダニズムとは、20世紀頃にアメリカのニューヨークを中心に、抽象絵画を描いた作品を指します。

クリフォード・スティルの活躍した年代は、第二次世界大戦直後で、クリフォード・スティルの描いた作品のテーマも、第二次世界大戦中やその後に関連のある作品が多く残されています。そのため、クリフォード・スティルは20世紀における重要な画家のひとりとして考えられています。

クリフォード・スティル

クリフォード・スティルの描く抽象画には、人間の条件と言われる「創造・生命・闘争・死」などいった普遍的なテーマが多く、巨大なキャンパスにペインティングナイフでひっかけたような描き方をしているのが特徴です。それはまさに、アメリカの広大な土地でたくましく生きた、がんこもののアメリカの開拓者のような画家と言えます。

このように、一度見たら忘れられないような魅力が、クリフォード・スティルの作品にはあるのです。

日本での知名度はとても低いものの、最近はZOZOTOWNの社長がクリフォード・スティルの絵画を購入したことで、知られるようになりました。

今回は、まだ日本ではあまり知られていないクリフォード・スティルの魅力について、元美術部で現在も数多くの美術館へ訪れることを趣味としている筆者がご紹介していきます。

クリフォード・スティルの来歴は?

名前クリフォード・エルマー・スティル
誕生日1904年11月30日
生地ノースダコタ州グランディン
没日1980年6月23日
没地メリーランド州ボルチモア
配偶者リリアン・スティル (c. 1930 – late 1940s)
パトリシア・スティル (1957–1980)
埋葬場所メリーランド州ユニオンブリッジ
パイプクリーク教会の共同墓地

クリフォード・スティルの作風とは?

クリフォード・スティル美術館で展示される作品たち

クリフォード・スティルは、当初は何を描いているかがわかる具体画を描いていましたが、徐々に表現スタイルが簡略化されていき、最終的には独自のスタイルの抽象画を描くようになりました。巨大なキャンパスの上にまるで絵具をペインティングナイフで引っかけるようにそのまま塗りつけたような、荒っぽいながらも非常に印象的な作品を多く残しています。

その絵画は抽象画で、一見「訳のわからない」作品に思われてしまいがちです。ですが、クリフォード・スティルの作品は言葉で説明しづらいものの、彼の絵画には力強く、人々を惹きつけてやまない魅力を放っています。

クリフォード・スティルの日本での知名度は?

残念ながら、現在のクリフォード・スティルの知名度は高くありません。
クリフォード・スティルと同じ時期に活躍した抽象表現主義のジャクソン・ポロックやマーク・ロスコと比較しても、知名度が高いとは言えないのが現状です。

ZOZOTOWNの前澤優作元社長が60億円で落札!?

引用元:FNN PRIME

2019年12月5日に放映されたテレビ番組で状況が変わりつつあります。ZOZOTOWNの前澤前社長が約27億万円でクリフォード・スティルの絵画を落札したことが放映され、徐々にその知名度が上がりつつあるのです。

クリフォード・スティルの作品が見れる場所は?

自然光が照らすクリスフォード・スティル美術館

クリフォード・スティルの作品を鑑賞することができるのは、残念ながら日本ではなく、海外の美術館です。

2011年11月、アメリカのコロラド州デンバーに、クリフォード・スティル美術館がオープンしました。そこには、クリフォード・スティルの絵画やスケッチブックなどをおよそ2,300点以上が所蔵・展示されています。

これは、クリフォード・スティルが生涯にわたって製作したといわれる作品の94%近くを占めているのです。その中には、これまで30年以上にわたり公開されることがなかった、いわばクリフォード・スティルを知るための貴重な物となっています。

クリフォード・スティルの名言は?

“I never wanted color to be color. I never wanted texture to be texture, or images to become shapes. I wanted them all to fuse together into a living spirit.”

– 日本語訳:私は色が色であることを望まなかった。私はテクスチャがテクスチャであることや、イメージが型にはまることも望まなかったのだ。私はこれらが生きた精神の中に共に融合してほしかった。

“It’s intolerable to be stopped by a frame’s edge.”

– 日本語訳:フレームの端で止められない

クリフォード・スティルの作品一覧

クリフォード・スティル「PH-536」
  • PW-14(1930年)
  • PH-536(1943年)
  • PH-399(1946年)
  • PH-977(1957年)
  • PH-150(1958年)

クリフォード・スティルにまつわる都市伝説・武勇伝

都市伝説・武勇伝1「クリフォード・スティルの作品はほとんど市場に出ていない」

彼の作品は滅多に見られない

芸術かと言えば、その作品は多くの人たちに見られたり、オークションに出されたりと、数奇な運命をたどることが何かと多いものです。

ですが、クリフォード・スティルの作品については、ほとんどがオークションや美術館など他人の手に渡っておらず、研究も出来ていないような状態だったのです。

ZOZOTOWNの前澤元社長がオークションで落札したクリフォード・スティルの絵画は、市場に出回っているクリフォード・スティル作品のほんの一握り、6%のなかの1作品であったことがわかります。

都市伝説・武勇伝2「クリフォード・スティルの特別展もほとんど行われていない」

作品を眺める作者

クリフォード・スティルの作品のほとんどは、クリフォード・スティル美術館に所蔵・展示されています。

欧米諸国では、過去にクリフォード・スティルの特別展も開催されていたようですが、クリフォード・スティルの展示を他の美術館で特別展として鑑賞するのも困難と言えます。

例えば、過去にサンフランシスコ近代美術館でクリフォード・スティルの展示があったそうです。これは、クリフォード・スティルが過去にサンフランシスコにあった美術学校で教鞭をとっていたことで実現したからなんだとか。

サンフランシスコ以外にも、クリフォード・スティルが過去に展示の関係で関りの深かったニューヨークでも特別展が開催されていたり、アメリカの美術館にごくわずかに展示されていることから、それだけクリフォード・スティルの作品は鑑賞するのが難しいものであるといえるのです。

今回のZOZOTOWN前澤社長のクリフォード・スティル作品の購入によって、日本での知名度がさらにあがれば、いつか日本でもクリフォード・スティルの作品展を見ることができるかもしれませんね。

クリフォード・スティルの略歴年表

1904年
クリフォード・スティル誕生
クリフォード・スティルは、1904年にアメリカのノースダコタ州グランディンで生を受けました。
1925年
ニューヨークを訪れる
クリフォード・スティルはニューヨークを訪れ、アートの勉強を始めます。
1933年
スポーケン大学を卒業
クリフォード・スティルは1993年にスポーケン大学を卒業しました。
1943年
最初の個展を開催
この年にクリフォード・スティルは、サンフランシスコ美術館(現在のサンフランシスコ近代美術館)で初の個展を開催します。
1946年
ギャラリーでも個展を開催
クリフォード・スティルは1946年初頭に、彼のギャラリーで個展を開催します。同時に、カリフォルニア美術学校(現在のサンフランシスコ芸術研究所)で教授となります。
1950年
ニューヨークに移り住む
クリフォード・スティルこの年にニューヨークに移り住みますが、この時には彼の抽象芸術作品は確立しますが、美術市場との関係は断たれていました。
1966年
広大な土地を購入
クリフォード・スティルは第二の妻であるパトリシアと共に、メリーランド州ニューウィンザーに家を購入し、亡くなるまで住み続けます。
1980年
死去
クリフォード・スティルは1980年に亡くなります。

クリフォード・スティルの具体年表

1904年 – 0歳「クリフォード・スティル誕生」

クリフォード・スティルが生まれる

クリフォード・スティルは1980年6月23日に、ノースダコタ州グランディンで生まれます。幼少期はノースダコタ州とスポーケン、ワシントンなどで過ごしています。

1933年 – 26歳「大学を卒業」

学生時代

クリフォード・スティルは、1925年にニューヨークを訪れ、芸術を学びます。その後はスポーケン大学に通い、1933年に卒業をします。

芸術学位を取得

ワシントン州立大学

大学を卒業したクリフォード・スティルは、ワシントン大学(現在のワシントン州立大学)で教鞭をとるまでに成長します。
1935年には芸術学位を取得し、1941年まで教員として指導をしていきました。

1941年 – 33歳「絵画を追求」

クリフォード・スティルは、このときはまだ肖像画や風景画を描いていました。自信の絵画を追求する傍ら、多くの戦争産業で働いていました。

初の個展を開催

クリフォード・スティルは、1943年ついに初の個展をサンフランシスコ美術館(現在のサンフランシスコ近代美術館)にて開催します。

ギャラリーでも個展を開催

20世紀美術の母と称されるペギー・グッゲンハイム

その後、クリフォード・スティルは1946年初頭にアメリカのコレクターであるペギーグッゲンハイムと共に、ニューヨークにあるギャラリーでも個展を開催します。
ペギー・グッゲンハイムをクリフォード・スティルに紹介したのは、同じく抽象表現主義である画家のマーク・ロスコでした。
この頃から、他の抽象表現主義者の画家たちと共に、ギャラリーへ参加するようになります。

サンフランシスコへ戻る

クリフォード・スティルは一度サンフランシスコに戻ると、1946年から1950年の4年間、カリフォルニア美術学校(現在のサンフランシスコ芸術研究所)で影響力のある教授となり、教鞭を取ります。

1950年 – 42歳「美術ギャラリーという表舞台から姿を消す」

クリフォード・スティルは1950年に再びニューヨークへ戻るも、商業ギャラリーといった場所との関係が断たれてしまいます。
このときのクリフォード・スティルは、抽象表現が高くなっただけでなく、現代美術界には無くてはならない存在となっていました。

1961年 – 53歳「農場へ引っ越す」

晩年は妻と静かに過ごした

クリフォード・スティルはどんどんアートの表舞台から遠ざかっていきます。クリフォード・スティルはウェストミンスターに広大な農場を購入します。
敷地内にある納屋を制作スタジオとして使用し、制作活動をしていました。

家を購入する

その後は、メリーランド州ニューウィンザーに家を購入し、二番目の妻パトリシアと共に晩年を過ごします。

1980年 – 75歳「死去」

1980年に、クリフォード・スティルはその人生に幕を閉じます。享年75歳でした。
クリフォード・スティルはメリーランド州ユニオンブリッジ、パイプクリーク教会の共同墓地に埋葬されています。

クリフォード・スティルの関連作品

おすすめ書籍・本・漫画

現代美術へ―抽象表現主義から

本作品は、抽象表現主義と呼ばれた画家たちの動きをまとめたアンソロジー仕立ての内容です。この中に、クリフォード・スティルに関する内容も掲載されています。

クリフォード・スティルと同じ時代に活躍した他の芸術家もまとめて知ることができますので、おすすめの一冊です。

関連外部リンク

クリフォード・スティルについてのまとめ

今回はクリフォード・スティルについてまとめていきました。

クリフォード・スティルは、まだまだ謎に包まれた部分が多くある抽象画家です。しかし、ZOZOTOWNの前澤元社長がクリフォード・スティルの絵画を購入しなかったら、日本でも話題に上ることがほとんど無かったと言ってもよいくらいの、日本ではまだまだ知られていない画家です。

今回の記事で、その素性を少しでも知ることが出来たのなら幸いです。

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