アメリア・イアハートはアメリカの女性パイロットです。女性として初めて大西洋単独横断飛行の偉業を成し遂げ、様々な勲章を獲得しました。当時は女性のパイロットというのは非常に珍しい存在であったため、アメリア・イアハートはアメリカで絶大な人気を誇っていました。
しかし、アメリアは世界一周飛行に挑戦したときに謎の失踪を遂げてしまうのです。大規模な捜索が行われましたがアメリアの生存は確認できず、死亡したものと断定されました。現代に至るまで遺体は見つかっておらず、失踪事件の真相は未だ謎に包まれています。
当時のアメリカで、アメリア・イアハートよりも偉大な記録を残したパイロットは存在します。しかし、歴史に大きく名を刻んだのはアメリアだけでした。何故かと言うと、アメリアが「女性パイロットとして偉大な記録を残した」という唯一無二の存在だったからです。
このことから、マーケティング分野において、切り口を変えればナンバー1になれることを「アメリア・イアハート効果」と呼びます。一人の女性として、そしてパイロットとしてアメリアが残した功績は非常に大きく、アメリカの国民的ヒロインといえば必ずアメリアの名前が挙がります。
今回の記事は、アメリア・イアハートの謎に包まれた失踪事件を知ったのを機に、アメリアの生涯を調べ尽くした私がお伝えします。
この記事を書いた人
アメリア・イアハートとはどんな人?
名前 | アメリア・メアリー・イアハート |
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誕生日 | 1897年7月24日 |
没日 | 不明 |
生地 | アメリカ合衆国、カンザス州アッチソン |
没地 | 不明 |
配偶者 | ジョージ・パットナム |
埋葬場所 | なし |
失踪日 | 1937年7月2日 |
失踪地 | 太平洋 |
アメリア・イアハートの生涯をハイライト
女性飛行士アメリアの生涯を簡単にダイジェストします。
- 1897年:アメリカのカンザス州で生まれる
- 1915年頃:コロンビア大学に入学するも一年で中退
- 1921年:カルフォルニアで飛行訓練を受け初飛行
- 1924年:飛行機を売りソーシャルワーカをする
- 1928年:大西洋を横断する
- 1931年:オートジャイロで最高到達高度を記録
- 同年:ジョージ・パットナムと結婚
- 1937年:世界一周を目指して飛び立つも消息を絶つ
アメリア・イアハートの幼少期
アメリア・イアハートは1897年にドイツ系の裕福な家庭に生まれました。アメリアの母親は当時としては珍しく「女の子という枠に捕らわれて欲しくない」という現代的な思想の持ち主でした。そのため、アメリアは2歳年下の妹と共に、自由な教育のもとで育てられたそうです。
アメリアの父親は弁護士をしており、仕事で遠くまで出掛けることが多々ありました。母親も仕事に同行していたため、姉妹は母方の祖父母の家に預けられることが多かったといいます。
なお、ライト兄弟が世界初のフライトに成功したのが1903年、アメリアが6歳のときでした。ライト兄弟のニュースは新聞を通してアメリアも目にしていたそうです。
性格は非常に謙虚だが頑固な一面もあった
アメリア・イアハートは表面的には謙虚でおしとやかな人物だったそうですが、実はかなり頑固で気の強い女性だったようです。彼女のナビゲーターを務め、後に海軍大将になったハリー・マニングによると、
「表面は謙虚で恥ずかしがり屋だが、本当は自我が強く、必要な時は鉄釘のように頑固になることができた。何回か、私は彼女の石頭にほとほと嫌になったことがあった」
と回想しています。ナビゲーターの言うことを聞かずに自分の意志を通す強さがあったようです。しかしその強さがあるから、女性ながらパイロットとして大西洋横断などを達成し、危険だとわかっていつつも世界一周を成し遂げようと飛び立っていったのではないでしょうか。
アメリア・イアハートの男性事情は?
アメリア・イアハートにとっては飛行機で空を飛ぶことが最も重要で、恋愛や結婚は二の次でした。しかしジョージ・パットナムという男性からの熱烈なアプローチにより、アメリアはついに結婚することを決めます。
夫のジョージは、当時アメリカで大人気であったアメリアの商品企画や出版の契約などを取り仕切り大金を稼いでいたといいます。
一方でアメリアはドライな結婚観を持っており、夫に対し「私はあなたを束縛する気はないが、私もあなたに束縛される気はない」と宣言します。その宣言の通り、アメリアは結婚後も奔放な生活を変えず、パイロットの男性と不倫関係にありました。
アメリア・イアハートの死因は?
アメリアが死亡したと考えられるのは、1937年5月21日から始まった世界一周飛行の途中です。「燃料が不足している」という通信を最後に、アメリアは消息不明になりました。
死因については諸説ありますが、飛行機の燃料を使い果たし海へ墜落したというのが最も有力な説です。他には、島に不時着してそのまま遭難したといった説もあります。
アメリアの失踪後、約400万ドルを投入して太平洋を中心に大規模な捜索が行われましたが、結局アメリアの遺体は見つかりませんでした。そのため、アメリアの遺体は飛行機ごと海底の奥深くに沈んでしまったのではないかと考えられています。
アメリア・イアハートの功績・凄さ
功績・凄さ1「女性パイロットとして初の大西洋横断飛行に成功」
アメリア・イアハートは、女性パイロットとして世界初の大西洋横断飛行に成功しました。
大西洋横断飛行とは、1910年ごろから飛行機の性能向上を確かめるために目標とされた飛行記録の一つです。今となっては何時間も飛び続けられるほど完成された飛行機ですが、当時の飛行機はまだ発展途上で改良を重ねていかなければならない状態でした。
そのため様々なパイロットが、飛行機の性能を確認するために大西洋横断飛行に挑戦していったのです。その中で女性が単独で大西洋横断飛行に成功したのはアメリアだけでした。また、大西洋横断飛行に成功したパイロットは多くはありません。
アメリアは女性パイロットとしてだけでなく、一人のパイロットとして素晴らしい記録を成し遂げていたのです。
功績・凄さ2.「様々な飛行記録を樹立」
大西洋横断飛行に成功した後も、アメリアは様々な記録を樹立していきます。アメリカ大陸単独横断飛行、ハワイからカリフォルニアまでの単独飛行など…彼女の功績が航空業界に与えた影響は計り知れません。
そしてアメリアはついに赤道上世界一周飛行に挑戦します。アメリアは世界一周飛行について、成功する確率は五分だと感じていました。それでもアメリアは空に飛び立ち、そして謎の失踪を遂げました。
皮肉にも彼女の謎めいた最期が、アメリア・イアハートの名前を後世に残す一因となっているのでしょう。
アメリア・イアハートの名言は?
一番難しいのは行動する決意、後は執念深くやることだけです。
心の平和を与える代償として人生が要求するのは、勇気です。
他の人ができることを決してしてはいけません。他の人ができないことや、しないことがあるならそれをしなさい。
恐怖は紙でできた虎にすぎません。あなたはあなたが決めたことを何でもできるのです。あなたは変革と自分の人生をコントロールするために行動できるのです。そのプロセスがあなた自身へのご褒美です。
冒険にはそれ自体に価値があります。
アメリア・イアハートにまつわる逸話
逸話1「旧日本軍の捕虜になっていた?」
世界一周旅行に挑戦した際に太平洋で行方不明となったアメリア・イアハートですが、旧日本軍の捕虜になあった後に死亡したのではないか?という噂があります。
噂の元となっているのが米国国立公文書館で見つかったという上記の1枚の写真です。その写真にはアメリア・イアハートらしき人物の後ろ姿と、飛行機のようなものが写っているのです。写真は当時日本が統治していたマーシャル諸島という場所で撮影されたものです。
しかし、その写真は白黒で写りも非常に不鮮明であるため、後ろ姿の人物がアメリアであると断定はされていません。また、日本側の歴史資料にはアメリアが捕虜だったという記録は残されていないことから、真相は謎に包まれたままとなっています。
逸話2「島で見つかった骨はアメリアのものか?」
太平洋の離島・ニクマロロ島で見つかった人骨が、アメリア・イアハートのものではないかと言われています。鑑定の結果、骨は男性のものとされましたが、意義を唱える声も出ています。遺骨は一部しか見つかっていなかったため、鑑定は困難を極めているようです。
ではなぜ骨は一部しか見つかっていないのでしょうか?実は島には体長40センチほどの巨大なヤシガニが生息しており、遺体はヤシガニに喰われたと考えられています。そしてヤシガニが骨をどこか遠くへ移動させてしまった…というのが有力な説です。
もしニクマロロ島で見つかった骨がアメリア本人のものであれば、失踪事件の謎を解く大きな手掛かりになるかもしれません。
逸話3「アメリアの失踪の謎は解明された!?」
アメリア・イアハートが太平洋の離島・ニクマロロ島で亡くなったとする根拠として、最近米国の航空遺物修復活動団体TIGHARがニクマロロ島でアメリアのものと思われる遺物を見つけたと報告されています。
ニクマロロ島で1930年代のメイクコンパクトや割れた手鏡、当時アメリカで販売されていたそばかすを消す軟膏瓶や焚火跡を発見したそうです。またニクマロロ島の海底調査で、西側に人工物が多く沈んでおりイアハートが乗っていた飛行機のタイヤらしきものが発見されたと発表しています。
ナイフは島の生活で使われていた形跡があり、恐らく漂着して何週間から数か月生存していたのではないかと推察されています。全ては状況証拠ですが調査グループは「さらに綿密な調査が必要だ」とコメント、今も調査が続けられているそうです。
逸話4「やはりマーシャル諸島のミリに緊急着陸していた?」
旧日本軍の捕虜説とは別の観点から、アメリア・イアハートの不時着地点はニクマロロ島ではなく、マーシャル諸島のミリに不時着していたという説があります。マーシャル諸島の人にイアハートのことを聞くと、「彼女はミリに着陸したよ」と多くの人が証言しているそうです。
この説は燃料の関係から、突飛な説といわれていました。しかし証言が多いため、いくつかの企業が協賛し、2015年にマーシャル諸島の海岸を調査。そして腐食したアルミニウムを発見、イアハートの飛行機のものか検証のため持ち帰ったそうですが、現在発表が確認できず、調査中か違ったのかどちらかと考えられます。