【実在した海賊】バーソロミュー・ロバーツの伝説や凄さを年表付きで紹介

バーソロミュー・ロバーツとは、18世紀の初めにヨーロッパ圏でその名を轟かせた海賊です。

彼自身の名前はそこまで有名ではありませんが、400隻にも及ぶ船舶から略奪を行った「大航海時代の最後にして最大の海賊」という悪名を遺しており、実は海賊の代名詞である”黒ひげ・ティーチ”よりも、略奪者や海賊船の船長としての手腕は上だとも目されている人物なのです。

引用元:Wikipedia

彼に関するエピソードは、海賊でありながら海賊らしからぬものが多く、とりわけ彼の組織した海賊船団の掟の厳しさは有名です。

彼が起草した掟の中には、船内でのもめごとの解決法のような基本的なものから、処罰に関する取り決め、果てには負傷者への治療費と手当の支給額までが細かく盛り込まれており、そんな掟が徹底されたバーソロミューの船団は、海賊でありながら非常に規律正しい集団であったようです。

そんな「世界最大の海賊」の異名を持ちながら、規律正しいカリスマ船長でもあったバーソロミュー。この記事は、そんな彼の歩んだ人生について、某ゲームからバーソロミューを知り、海賊という存在にも興味を持ち始めた筆者が纏めさせていただきます。

バーソロミュー・ロバーツの来歴は?

名前バーソロミュー・ロバーツ
異名「ブラック・バート」
船名ロイヤル・フォーチュン号
誕生日1682年
没日1722年2月10日(享年40歳)
生地南ウェールズ・ペンブルックシャー
没地ギニア湾・ロペス岬
配偶者不明
埋葬場所なし
(ギニア湾・ロペス岬付近で水葬)

バーソロミュー・ロバーツの海賊デビューは?

バーソロミューがどのような前半生を送って来たのかについては、記録が全く残っておらずわかっていません。わかっているのは、少年のころから水夫として海に携わって来たらしい、という僅かな情報だけです。

そんな彼の人生に転機が訪れたのは、1719年の6月。当時のバーソロミューは、二等航海士として、奴隷船「プリンス号」に乗り込んでいました。

プリンス号は商談のためにアフリカへ向かう最中でしたが、そんな彼らに襲い掛かる海賊がありました。その海賊の名前はハウエル・デイヴィス。当時の海で最も成功を収めていた海賊であり、かなり名の知れた海賊でもありました。

そんな彼に出会ったバーソロミューは、いったい何を思ったのか、デイヴィスに向けて「私を部下にしてほしい」と懇願。デイヴィスは驚きながらも、同じウェールズ出身の彼に親近感を持ったようで、この申し出を承諾しました。

こうしてバーソロミューは、遅咲きながら海賊稼業への道を歩みだすこととなるのです。

バーソロミュー・ロバーツの容姿は?

引用元:海賊物語

一般的な海賊のイメージというと、皆さんはどんな人物をイメージするでしょうか?

『ONEPIECE』という国民的漫画がある以上、イメージする海賊像は様々だとは思いますが、おそらく「ファッショナブルなイケメン」をイメージする方は少ないかと思われます。というかむしろ、その対局に当たる「粗野な大男」をイメージする方が多いのではないでしょうか。

しかしバーソロミューは、おそらく海賊としてイメージしづらい「ファッショナブルなイケメン」だったと伝わっているのです。

彼は服飾品にこだわりを持っていたらしく、「真紅の半ズボンに飾り帯を着け、オーバーコートを羽織り、紅の羽を飾りつけた三角帽子をかぶっている」、「肩には緋色の帯で拳銃を吊るし、さらに海賊生活初期にポルトガル商人から奪った「ダイアモンドをちりばめた十字架」を金チェーンで首から下げている」と、彼の服装に関しては詳細な記録が残っています。

また、彼はそれらの装飾品を大事にしていたらしく、「自分が死んだときは遺体と一緒にそれらも海に投げ入れてほしい」と部下たちに厳命。部下たちもこの遺言を守り、バーソロミューの遺体は、数多の服飾品と共に海へと沈んでいったそうです。

バーソロミュー・ロバーツのあだ名「ブラック・バート」とは?

バーソロミューの異名として有名なのは、やはり「ブラック・バート」というあだ名です。直訳すると「黒い準男爵」となるこのあだ名ですが、実はバーソロミューは、正式な爵位を得ていたわけではありません。

では何故、「ブラック・バート」という彼のあだ名は定着したのでしょう?様々な観点から考えていくと、理由は意外と単純なもののように思えます。

バーソロミューのあだ名には、他に「Black Barty(浅黒いバーソロミュー)」というものもありました。このあだ名を実際に発音してみると……皆さんももうお分かりでしょう。

「ブラック・バーティ」のあだ名が定着し、それがどんどん短縮や訛りによって変化していった結果、「ブラック・バート」という高貴なあだ名が定着したと考えられそうです。ちなみにこれはバーソロミューに限ったことではありませんが、当時の船乗りは甲板で日光を浴びることが多かったため、肌が浅黒かったことも伝わっています。

もっとも、バーソロミューは実際に高貴さを感じさせる振る舞いをすることも多かったらしく、単純に言葉がなまったから、というだけで「ブラック・バート」が定着したのではなく、「まるで貴族のようだ」という部下からの信望も、そのあだ名の定着に一役買っていたように窺えます。

バーソロミュー・ロバーツは一体何がすごいのか?

すごさ1「「6週間で船長に!」稀代のカリスマ性と指揮能力」

所属する船を略奪しに来た海賊に取り入り、海賊への道を歩み出したバーソロミュー。しかし彼が海賊になってから6週間が経った頃、船団を悲劇が襲います。

バーソロミューを仲間に加えたデイヴィスの船団は、ポルトガル領の植民地・プリンシペを略奪しようとしますが失敗。しかもその戦いで、船長のデイヴィスが戦死してしまうのです。残された船員たちが途方に暮れただろうことは、想像に難くありません。

そんな中で次の船長に擁立されたのが、まだ仲間入りして1か月ほどのバーソロミューでした。周囲からの強い信頼と推薦を受けて船長となったバーソロミューは、デイヴィスが失敗したプリンシペの略奪を再開。カリスマ的な指揮能力で見事にプリンシペを見事に攻略し、「ブラック・バート」としての伝説の幕を開けたのです。

すごさ2.「「本当に海賊?」軍隊レベルの厳しい掟」

海賊というと「酒と女と金を愛する、無軌道な荒くれもの」をイメージしがちですが、実際のところそうではありません。海賊稼業は、船長を頂点とした厳しい縦社会であり、どこの船団にもきちんとしたルールが布かれていました。

しかしバーソロミューの布いたルールは、他の船団と比べても異質。彼が船団に徹底させたルールは、現在の企業経営にも通じるほどに厳格かつ徹底したものだったのです。

一例を挙げるとすれば、「仲間内で金品を横領した者は孤島に置き去り」「女性や子供を強姦するために船に連れ込んだ者は死刑など、現在の刑法に通じる部分。

他にも「船団の掟について、乗組員全員に投票権を与える」等の選挙に通じる投票制度。「航海中の飲酒禁止」「仲間内でのギャンブルの原則禁止」「消灯時間は夜8時」などの生活規範。「収益は役割ごとに平等に配分」「戦闘での負傷者には、手当を別途支給」といった給与体系まで、彼の布いた掟は企業もかくやというほどに細分化されていました。

その掟を起草しただけでもすごいのですが、バーソロミューは気性の荒い部下たちにもこれらの掟を徹底させ、そのために彼の船団は軍隊レベルに規律正しい集団だったと伝わっています。前段と被りますが、バーソロミューのカリスマ性と統率力がよくわかるエピソードでしょう。

バーソロミュー・ロバーツにまつわる都市伝説・武勇伝

都市伝説・武勇伝1「疾風の略奪!」ポルトガル船への鮮やかな略奪行為

世界最大の海賊船団を率い、短い海賊人生でありながら多くの伝説を残したバーソロミュー。中でも略奪の手腕は見事という他無く、その実力を示す伝説的な記録が数多く残っています。

中でも、船長となってからすぐの頃。遭遇したポルトガル船団への略奪は鮮やかなものだったと伝わっています。その船団は42隻から成る大商船団。対するバーソロミューの船団は20隻ほどで、しかもそのうちのいくつかは、大した武装も積めていない小船でした。

しかしバーソロミューは、鮮やかな策略を用いてポルトガル船団を奇襲。船員は捨て置き、積み荷を的確に狙った略奪を行って、多大な利益を上げたと伝わっています。

その時略奪した「ダイヤモンドをあしらった十字架」は、バーソロミューのお気に入りになったらしく、彼はそれを常に首から下げ、彼が死んだときには一緒に海に葬られたそうです。

都市伝説・武勇伝2「The House of Lords」大西洋航路を麻痺させた男

バーソロミューは自身が率いる船団を「The House of Lords」と呼称。「イギリス上院」を示すその言葉に違わず、バーソロミューの船団は当時のヨーロッパ世界に、深刻な影響を与えました。

当時のヨーロッパにおいて、発見されたばかりの大西洋航路は、正に貿易の要とも呼ぶべき航路。商戦がひっきりなしに行き交う分、海賊による略奪も横行しており、各国はこぞって海賊対策に乗り出していました。

しかしバーソロミューの船団は、そんな各国のを嘲笑うように略奪を行い、勢力を拡大。各国はバーソロミューを捕えるために様々な手段を取りますが、バーソロミューはそれでも捕まらず、なんと一時的に大西洋航路の使用を中止する国まで出ていたようです。

もちろん現実的に考えて、強大とはいってもたかだか20隻の船団が大西洋航路をマヒさせたというのは、少々現実離れしているように思えます。しかしバーソロミューが指揮する船団の結束力や強大さを考えると、そこまで無理のある理屈でもないように思えるのではないでしょうか。

バーソロミュー・ロバーツの生涯歴史年表

1682年 - 0歳
稀代の海賊の誕生

南ウェールズ・ペンブルックシャーにて誕生

バーソロミュー・ロバーツは、この年に南ウェールズのペンブルックシャーで誕生したと伝わっています。

彼の幼少期についてはほとんど記録に残っておらず、それどころか水夫として働いていた20年近くの期間についても、ほとんど記録は残されていません。

バーソロミュー・ロバーツの名が今もなお残り続けるきっかけとなるのは、なんと彼の人生の終盤も終盤。40年の生涯の中の、わずか4年間の間の出来事でした。

1719年 - 37歳
海賊となり、瞬く間に船長となる

ハウエル・デイヴィスとの出会い

この年、バーソロミューはイギリスの奴隷船「プリンス号」に、二等航海士として乗船。商談のためにアフリカへと向かっていました。しかし「プリンス号」は、西アフリカ沖でハウエル・デイヴィスという海賊に拿捕されてしまうのです。

デイヴィスは悪名高い海賊でしたが、少しばかり妙な男でもありました。当時の海賊は、拿捕した船の船員もクルーとして略奪することが一般的でしたが、デイヴィスは船員の略奪はせず、その事を誇りに思っているような男だったのです。

そういうわけで、プリンス号の船員は何事もなく解放されるはずだったのですが、バーソロミューはここで何を思ったのでしょう。デイヴィスに向かって「私をあなたの船に乗せてほしい」と懇願したのです。この懇願の理由については、バーソロミューとプリンス号の船長の間の確執とも、バーソロミューの単なる好奇心とも言われています。

その懇願を受け、当初こそ混乱したデイヴィスでしたが、バーソロミューが自身と同じペンブルックシャー生まれだったことや、船員たちとも瞬く間に馴染んでしまったことで、彼の乗船を認めます。

こうしてバーソロミューは、海賊稼業への道を進み始めたのです。

デイヴィスの死によって船長に就任

自ら志願して海賊となったバーソロミューですが、そのわずか6週間後、船団を悲劇が襲います。

当時のポルトガル領・プリンシペを攻略していた際、地元の軍との大規模な戦闘が発生。植民都市であったプリンシペは、さながら要塞のように堅牢であり、中々攻め落とせないばかりか、船長であるデイヴィスが戦死してしまったのです。

これによって新たな船長を決めざるを得なくなった船団でしたが、それは意外にもすんなりと決まりました。多くの者が、乗船して僅か1か月ほどのバーソロミューを次期船長に推薦したのです。

彼らからの懇願を経て船長となったバーソロミューは、デイヴィスの弔い合戦とばかりにプリンシペへと再び侵攻。見事にプリンシペを攻略し、略奪を行いました。

「黑き準男爵」の略奪

プリンシペでの略奪を船長としての初仕事としたバーソロミューは、以後数年の間「世界最大の海賊」と称されるほどの略奪を、各地で繰り広げることとなります。

彼の活動領域は、主にブラジル沖やギニアの沿岸部であり、ポルトガル船を襲うことが多かったとされています。当時のポルトガルは海外貿易で一歩抜きんでていたため、バーソロミューが標的としたのもうなずけるところでしょう。また、カリブ海に進出していたことも記録されています。

バーソロミューの略奪は鮮やかなものだったようで、「42門の大砲を搭載したフランス軍艦を含む16隻を、僅か4日間で拿捕した」「1隻の小型帆船で、20隻以上を拿捕した」など、正直現実味に欠ける話が多く残されています。

もっとも、彼の率いる船団が各国の貿易の脅威になっていたことは間違いないようで、一部の国は大西洋航路の使用を一時停止するなど、バーソロミューの略奪に手を焼かされていたようです。

厳しい掟を起草

海賊として華々しい戦果をあげ始めたバーソロミューでしたが、しかし彼を快く思わない者たちも、船団の中にはそれなりの数がいたようです。ぽっと出の新人がいきなり船長にまでなったのですから、嫉妬する者がいない方が変だというものでしょう。

事実、船長としてデビューしてすぐの頃、バーソロミューは留守を任せていた男に、船と獲物と戦果を持ち去られるという事態に直面しています。

この状況を重く受け止めたバーソロミューは、前述の厳しい掟を起草。船員たちに復唱させ、聖書と共にこれを守ることを誓わせました。

起草された掟はかなり厳しいものでしたが、同時に民主的でもあり、船員たちはその多くを厳格に守っていたようです。ただ「夜8時以降の飲酒禁止」の部分だけはあまり守られておらず、バーソロミューは頭を痛めていたといいます。

1722年 - 40歳
イギリス艦隊との砲戦の最中、海へと葬られる

チャロナー・オウグルとの砲戦

バーソロミューに最期の時が訪れたのは、この年の2月10日。各国の海賊対策により、海賊という存在そのものが消えようとしているその最中でした。

イギリスの軍艦「MHSスワロー」の艦長、チャロナー・オウグルは、ギニア湾のロペス岬に、バーソロミューの船であるロイヤル・フォーチュン号を発見します。最大の海賊である彼を捕えるために、チャロナ―は一計を案じ、フランス商船を装って彼らに接近を試みました。

バーソロミューの部下である元イギリス軍人の男が、あれはフランス商船ではなくイギリス軍だと見抜きましたが、バーソロミューたちは戦勝祝いの宴明けで泥酔状態。逃走準備は遅れに遅れ、いよいよ砲戦が始まってしまいました。

砲戦にて死亡し、海へと葬られる

なんとか砲撃に応戦していたバーソロミューの船団でしたが、何度目かの応酬の後、船員の一人が大砲の近くに倒れているバーソロミューを発見します。

彼の喉はブドウ弾(手りゅう弾のように破片が拡散する砲弾)が貫通しており、彼は人知れずに、あっけなく世を去ってしまったのです。彼の遺体は、生前の遺言に従い「身の回りの服飾品と共に」海へと葬られ、現物などは残っていません。

カリスマ船長の死後も船員たちは応戦しましたが、バーソロミューの指揮を失ったことで弱体化し、間もなく瓦解。捕えられた海賊たちは、多くが絞首刑や強制労働に処され、これによってバーソロミューの率いた船団は壊滅。

ほどなくして、大航海時代も終わりを迎えることとなるのです。

バーソロミュー・ロバーツの関連作品

おすすめ書籍・本・漫画

カリブの大海賊 バーソロミュー・ロバーツ

正直かなり珍しい、バーソロミュー個人に焦点を当てた書籍です。

情報はかなり詳細であり、大航海時代の終わり付近の海洋史としても楽しむことができます。ただ、ニッチな人物を扱ったそれなりに古い本のため、新品を手に入れるのはとても難しいでしょう。読みたい方は、大き目な図書館などを探してみると良いと思います。

世界史をつくった海賊

バーソロミュー個人にではなく、彼が志した”海賊”という存在に焦点を当てた書籍となっています。

無法者であり悪でありながら、彼らは何故大航海時代を生き延びることができたのか。現実の中世における「海賊の必要性」について言及した、非常に分かりやすい海洋史の入門書となっています。

イギリス海賊史 (上)

様々な海賊たちの記録について、詳細に記された記録書です。かなり古い本であり、少々のよ醜さと単調さはありますが、多くの海賊についての逸話は、大抵はこの書籍から出てきています。

バーソロミューだけでなく、”黒ひげ”を筆頭とする多くの有名海賊について記された本ですので、彼らがどのように生きどのように死んだのか、詳しく知りたい方にはぴったりの書籍となっています。

バーソロミュー・ロバーツについてのまとめ

「海賊と言えば?」という問いへの答えは、恐らく人によって様々でしょう。漫画好きなら「麦わらのルフィ」、歴史好きなら「エドワード・ティーチ」、映画好きなら「ジャック・スパロウ」、ゲーム好きなら「フランシス・ドレイク」と答えるかもしれません。

そのようなそうそうたるメンバーの中で、バーソロミュー・ロバーツという人物はあまり目立った人物ではありませんでした。筆者も最近になって、ゲーム作品『Fate/Grand Order』で名前を知り、最近追加されたシナリオでようやく興味を持ったほどです。

しかし彼の逸話は、良い意味で海賊らしくなく、地味でありながら歴史に名を残すことが頷けるエピソードばかりだったように感じました。もし彼が現代に生まれていたなら、一角の経営者として成功したかもしれません。

しかしそうはいかないのが、歴史の残酷なところであり面白いところ。皆様も「バーソロミューが現代に生まれていたら」など、空想してみるのも面白いかと思います。

それでは本記事にお付き合いいただき、誠にありがとうございました。