【実在した海賊】バーソロミュー・ロバーツとは?生涯や伝説、その凄さを紹介

バーソロミュー・ロバーツの生涯年表

1682年 – 0歳「稀代の海賊の誕生」

南ウェールズ・ペンブルックシャーにて誕生

バーソロミュー・ロバーツは、この年に南ウェールズのペンブルックシャーで誕生したと伝わっています。

彼の幼少期についてはほとんど記録に残っておらず、それどころか水夫として働いていた20年近くの期間についても、ほとんど記録は残されていません。

バーソロミュー・ロバーツの名が今もなお残り続けるきっかけとなるのは、なんと彼の人生の終盤も終盤。40年の生涯の中の、わずか4年間の間の出来事でした。

1719年 – 37歳「海賊となり、瞬く間に船長となる」

ハウエル・デイヴィスとの出会い

航海士として勤務中に運命の出会いが

この年、バーソロミューはイギリスの奴隷船「プリンス号」に、二等航海士として乗船。商談のためにアフリカへと向かっていました。しかし「プリンス号」は、西アフリカ沖でハウエル・デイヴィスという海賊に拿捕されてしまうのです。

デイヴィスは悪名高い海賊でしたが、少しばかり妙な男でもありました。当時の海賊は、拿捕した船の船員もクルーとして略奪することが一般的でしたが、デイヴィスは船員の略奪はせず、その事を誇りに思っているような男だったのです。

そういうわけで、プリンス号の船員は何事もなく解放されるはずだったのですが、バーソロミューはここで何を思ったのでしょう。デイヴィスに向かって「私をあなたの船に乗せてほしい」と懇願したのです。この懇願の理由については、バーソロミューとプリンス号の船長の間の確執とも、バーソロミューの単なる好奇心とも言われています。

その懇願を受け、当初こそ混乱したデイヴィスでしたが、バーソロミューが自身と同じペンブルックシャー生まれだったことや、船員たちとも瞬く間に馴染んでしまったことで、彼の乗船を認めます。

こうしてバーソロミューは、海賊稼業への道を進み始めたのです。

デイヴィスの死によって船長に就任

海賊団のピンチがきっかけとなる

自ら志願して海賊となったバーソロミューですが、そのわずか6週間後、船団を悲劇が襲います。

当時のポルトガル領・プリンシペを攻略していた際、地元の軍との大規模な戦闘が発生。植民都市であったプリンシペは、さながら要塞のように堅牢であり、中々攻め落とせないばかりか、船長であるデイヴィスが戦死してしまったのです。

これによって新たな船長を決めざるを得なくなった船団でしたが、それは意外にもすんなりと決まりました。多くの者が、乗船して僅か1か月ほどのバーソロミューを次期船長に推薦したのです。

彼らからの懇願を経て船長となったバーソロミューは、デイヴィスの弔い合戦とばかりにプリンシペへと再び侵攻。見事にプリンシペを攻略し、略奪を行いました。

「黑き準男爵」の略奪

語り継がれる略奪の伝説

プリンシペでの略奪を船長としての初仕事としたバーソロミューは、以後数年の間「世界最大の海賊」と称されるほどの略奪を、各地で繰り広げることとなります。

彼の活動領域は、主にブラジル沖やギニアの沿岸部であり、ポルトガル船を襲うことが多かったとされています。当時のポルトガルは海外貿易で一歩抜きんでていたため、バーソロミューが標的としたのもうなずけるところでしょう。また、カリブ海に進出していたことも記録されています。

バーソロミューの略奪は鮮やかなものだったようで、「42門の大砲を搭載したフランス軍艦を含む16隻を、僅か4日間で拿捕した」「1隻の小型帆船で、20隻以上を拿捕した」など、正直現実味に欠ける話が多く残されています。

もっとも、彼の率いる船団が各国の貿易の脅威になっていたことは間違いないようで、一部の国は大西洋航路の使用を一時停止するなど、バーソロミューの略奪に手を焼かされていたようです。

厳しい掟を起草

裏切りをきっかけに体制を強化

海賊として華々しい戦果をあげ始めたバーソロミューでしたが、しかし彼を快く思わない者たちも、船団の中にはそれなりの数がいたようです。ぽっと出の新人がいきなり船長にまでなったのですから、嫉妬する者がいない方が変だというものでしょう。

事実、船長としてデビューしてすぐの頃、バーソロミューは留守を任せていた男に、船と獲物と戦果を持ち去られるという事態に直面しています。

この状況を重く受け止めたバーソロミューは、前述の厳しい掟を起草。船員たちに復唱させ、聖書と共にこれを守ることを誓わせました。

起草された掟はかなり厳しいものでしたが、同時に民主的でもあり、船員たちはその多くを厳格に守っていたようです。ただ「夜8時以降の飲酒禁止」の部分だけはあまり守られておらず、バーソロミューは頭を痛めていたといいます。

1722年 – 40歳「イギリス艦隊との砲戦の最中、海へと葬られる」

チャロナー・オウグルとの砲戦

イギリス軍との海戦

バーソロミューに最期の時が訪れたのは、この年の2月10日。各国の海賊対策により、海賊という存在そのものが消えようとしているその最中でした。

イギリスの軍艦「MHSスワロー」の艦長、チャロナー・オウグルは、ギニア湾のロペス岬に、バーソロミューの船であるロイヤル・フォーチュン号を発見します。最大の海賊である彼を捕えるために、チャロナ―は一計を案じ、フランス商船を装って彼らに接近を試みました。

バーソロミューの部下である元イギリス軍人の男が、あれはフランス商船ではなくイギリス軍だと見抜きましたが、バーソロミューたちは戦勝祝いの宴明けで泥酔状態。逃走準備は遅れに遅れ、いよいよ砲戦が始まってしまいました。

砲戦にて死亡し、海へと葬られる

海へと葬られたバーソロミュー

なんとか砲撃に応戦していたバーソロミューの船団でしたが、何度目かの応酬の後、船員の一人が大砲の近くに倒れているバーソロミューを発見します。

彼の喉はブドウ弾(手りゅう弾のように破片が拡散する砲弾)が貫通しており、彼は人知れずに、あっけなく世を去ってしまったのです。彼の遺体は、生前の遺言に従い「身の回りの服飾品と共に」海へと葬られ、現物などは残っていません。

カリスマ船長の死後も船員たちは応戦しましたが、バーソロミューの指揮を失ったことで弱体化し、間もなく瓦解。捕えられた海賊たちは、多くが絞首刑や強制労働に処され、これによってバーソロミューの率いた船団は壊滅。

ほどなくして、大航海時代も終わりを迎えることとなるのです。

バーソロミュー・ロバーツの関連作品

おすすめ書籍・本・漫画

カリブの大海賊 バーソロミュー・ロバーツ

正直かなり珍しい、バーソロミュー個人に焦点を当てた書籍です。

情報はかなり詳細であり、大航海時代の終わり付近の海洋史としても楽しむことができます。ただ、ニッチな人物を扱ったそれなりに古い本のため、新品を手に入れるのはとても難しいでしょう。読みたい方は、大き目な図書館などを探してみると良いと思います。

世界史をつくった海賊

バーソロミュー個人にではなく、彼が志した”海賊”という存在に焦点を当てた書籍となっています。

無法者であり悪でありながら、彼らは何故大航海時代を生き延びることができたのか。現実の中世における「海賊の必要性」について言及した、非常に分かりやすい海洋史の入門書となっています。

イギリス海賊史 (上)

様々な海賊たちの記録について、詳細に記された記録書です。かなり古い本であり、少々のよ醜さと単調さはありますが、多くの海賊についての逸話は、大抵はこの書籍から出てきています。

バーソロミューだけでなく、”黒ひげ”を筆頭とする多くの有名海賊について記された本ですので、彼らがどのように生きどのように死んだのか、詳しく知りたい方にはぴったりの書籍となっています。

バーソロミュー・ロバーツについてのまとめ

「海賊と言えば?」という問いへの答えは、恐らく人によって様々でしょう。漫画好きなら「麦わらのルフィ」、歴史好きなら「エドワード・ティーチ」、映画好きなら「ジャック・スパロウ」、ゲーム好きなら「フランシス・ドレイク」と答えるかもしれません。

そのようなそうそうたるメンバーの中で、バーソロミュー・ロバーツという人物はあまり目立った人物ではありませんでした。筆者も最近になって、ゲーム作品『Fate/Grand Order』で名前を知り、最近追加されたシナリオでようやく興味を持ったほどです。

しかし彼の逸話は、良い意味で海賊らしくなく、地味でありながら歴史に名を残すことが頷けるエピソードばかりだったように感じました。もし彼が現代に生まれていたなら、一角の経営者として成功したかもしれません。

しかしそうはいかないのが、歴史の残酷なところであり面白いところ。皆様も「バーソロミューが現代に生まれていたら」など、空想してみるのも面白いかと思います。

それでは本記事にお付き合いいただき、誠にありがとうございました。

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