この記事を書いた人
某週刊誌の元記者
Rekisiru編集部、東条りな(とうじょうりな)。新卒で某有名週刊誌を運営する出版社に入社。8年勤務したのち結婚を機に退社。芸能ネタとネットゴシップ収集が生き甲斐であり趣味であり仕事。現在はWeb系メディアを中心にメディア編集業に従事。
運命を変えた出会い

私たちの動物園には、誰も近づくことができない象がいました。
「ああ、また新人か…」
その象は、制服を着た人間を見るたびに、まるでため息をつくかのように長い鼻を地面に垂らし、重い足取りで檻の奥へと消えていきます。その名前は「ダンボ」。体重5.2トン、推定年齢32歳のアジアゾウでした。
彼には、15年間誰とも心を通わせたことがないという、悲しい記録がありました。歴代の飼育員たちは皆、最初こそ「今度こそは」と意気込むものの、数ヶ月もすると諦めの表情でこう言うのです。
「あの象は、もう人間を信用することはないだろう」
でも、その常識を覆す日が来ることを、当時の私たちは誰も知りませんでした。
夢を胸に、初日の緊張

私、エミリー・ジョンソンは25歳。カリフォルニア大学デイビス校で動物学を専攻し、念願だったサンディエゴ動物園の飼育員見習いとして働き始めたばかりでした。
初日の朝、車の中で何度もルームミラーを確認しました。カーキ色の制服は少しサイズが大きく、緊張のせいか顔が青白く見えます。でも、目だけは輝いていました。子どもの頃からナショナル・ジオグラフィックを読み漁り、特に象の賢さと家族愛の深さに魅了されていたからです。
「象は人間より記憶力が良くて、仲間の死を悼んで涙を流すこともあるんです」
面接でそう語った時の園長の優しい笑顔を思い出しながら、正門をくぐりました。
朝のミーティングで自己紹介をすると、先輩職員の皆さんが温かく迎えてくれました。特に、象担当のマイク主任(48歳、この道25年のベテラン)は、まるで父親のような温かい笑顔で私を見てくれました。
「エミリー、君が象好きだって聞いてるよ。楽しみだな」
その言葉に、私の胸は期待で膨らみました。
衝撃の現実

象舎への案内の途中、マイクさんの足取りが急に重くなりました。
「エミリー、実は象舎には少し…特殊な事情があるんだ」
象舎に近づくと、まず目に飛び込んできたのは、立派な屋外展示場でした。広々とした敷地に人工の池、そして大きな日陰を作る人工岩。設備は申し分ありません。
でも、そこにいたのは、私が想像していた象とは全く違う姿でした。
檻の最も奥の角で、まるで自分を隠すようにうずくまるダンボ。私たちの足音を聞くと、明らかに身体を硬直させ、小さな目でちらりとこちらを窺います。そして次の瞬間、さらに奥へと後退していきました。
「どうして…?」
私の声は震えていました。ナショナル・ジオグラフィックで見た象たちは、もっと堂々として、好奇心旺盛で、人懐っこい存在のはずでした。
「彼はサーカス出身なんです」
マイクさんの声が、急に低くなりました。
「詳しいことは分からないけれど、ひどい扱いを受けてきたらしい。動物愛護団体に保護されてここに来たのが15年前。でも、未だに人間を見ると…」
ダンボが私たちから最も遠い場所で、背中を向けて座り込む姿を見て、私の心は張り裂けそうになりました。
過去の傷跡

その日の夕方、マイクさんがダンボの過去について詳しく教えてくれました。
「彼がここに来た時の状態は、本当にひどかった」
マイクさんの目が遠くを見つめます。
「体重は今より1トンも軽くて、鼻にはむちで叩かれた古い傷跡があった。足の甲には鎖で縛られた跡もね。でも一番深刻だったのは、人間を見た時の反応だった」
ダンボは最初の数年間、制服を着た人間が近づくだけで、パニック状態になったそうです。鼻を激しく振り回し、時には自分の頭を檻にぶつけてしまうことも。
「何度も諦めかけたよ」マイクさんがつぶやきました。「でも、諦めたら彼の人生は終わりだと思ったんだ。だから、距離を保ちながらでも、毎日世話を続けてきた」
15年間、ダンボは基本的な世話は受け入れるものの、人間との心の交流は一切拒み続けてきました。手から餌を食べることはおろか、5メートル以内に人間が近づくことも許さない日々が続いていたのです。
私の決意

その夜、一人暮らしのアパートで、私は天井を見つめながら考え続けました。
ダンボの小さな目に映っていた恐怖。あの表情を思い出すたびに、胸が締め付けられます。同時に、心の奥から湧き上がってくる感情がありました。
「私が変えてみせる」
根拠のない自信でした。でも、その時の私には、それしかありませんでした。
翌朝、いつもより30分早く動物園に到着した私。誰もいない象舎で、檻の前に小さな椅子を置きました。
「おはよう、ダンボ」
5メートル離れた場所から、私は静かに声をかけました。ダンボは警戒しながらも、立ち上がることはありませんでした。
「私、エミリー・ジョンソンって言うの。今日からよろしくね」
一方的な会話が始まりました。
毎日の小さな挑戦

最初の1週間は、マイクさんが私の研修につきっきりでした。
「餌はこうやって檻の向こうに投げ入れるんだ。絶対に手を伸ばしちゃダメだよ」
ダンボの食事は、リンゴ、ニンジン、干し草、そして象用の固形飼料。毎日200キロ近い量を食べるのですが、私たちが近くにいる間は、決して食べようとしません。
「人間が見ている前で食事をするのは、彼にとって危険な行為なんだ」マイクさんが説明してくれました。「野生動物にとって、食事中は最も無防備な時間だからね」
でも私は、毎朝決まった時間に椅子に座り、ダンボに話しかけることを続けました。
「今日はいい天気ね。散歩にはぴったりよ」
「あ、そうそう。昨日ディスカバリーチャンネルで象のドキュメンタリーをやってたの。アフリカの象の家族の話だったんだけど…」
最初はただの独り言でした。でも、段々と、ダンボが私の声に反応しているような気がしてきました。私が話している間、彼の耳がわずかに動くのです。
同僚たちの反応

2週間ほど経った頃、他の職員たちの間で私の行動が話題になっていました。
「新人の子、毎朝ダンボに話しかけてるんだって」
「また始まったか…前の新人も同じことやってたな」
「3ヶ月もすれば諦めるよ」
冷ややかな視線を感じることもありました。でも、マイクさんだけは違いました。
「エミリー、無理しちゃダメだよ。でも…君の気持ちは分かる」
彼は15年間、諦めずにダンボの世話を続けてきた人でした。そのマイクさんが、私の行動を見守ってくれていることが、何よりの支えでした。
小さな変化

1ヶ月が過ぎた頃、小さな変化に気づきました。
いつものように椅子に座って話しかけていると、ダンボが私の方を見たのです。ほんの一瞬でしたが、確かに目が合いました。
「ダンボ、今私を見たでしょう?」
思わず立ち上がった私。でも、その瞬間、ダンボは慌てて顔を逸らしました。まるで、「見てない、見てない」と言っているかのように。
その仕草があまりにも子どもっぽくて、思わず笑ってしまいました。
「ふふ、意外と可愛いところあるのね」
その日から、私とダンボの間に、微妙な変化が生まれ始めました。私が餌を投げ入れる時、以前なら完全に背中を向けていたのに、横向きになって、時々こちらを窺うようになったのです。
研修期間の終わり

2ヶ月の研修期間が終わり、私は正式にダンボの担当飼育員の一人になりました。
「エミリー、本当にやっていける?」マイクさんが心配そうに聞きました。
「はい!絶対にダンボと仲良くなってみせます」
意気込んでいた私でしたが、現実はそう甘くありませんでした。正式に担当になってからも、ダンボとの距離は5メートルから縮まりません。手を伸ばそうものなら、すぐに警戒態勢に入ってしまいます。
でも、私は気づいていました。ダンボの表情が、少しずつ柔らかくなっていることに。
最初の頃の「人間が来た、危険だ」という強い警戒心から、「また、あの人間か」という、ある種の諦めにも似た表情に変わってきていました。それは確実な進歩でした。
先輩の助言

3ヶ月目のある日、休憩時間にマイクさんと園内のベンチに座っていました。
「エミリー、焦っちゃダメだよ」
私のイライラを察したのでしょう。マイクさんが優しく諭してくれました。
「象という動物はね、人間の何倍も記憶力がいいんだ。楽しい記憶も、辛い記憶も、全部鮮明に覚えている。だからこそ、一度失った信頼を取り戻すのは、人間が思っている以上に難しいんだ」
「でも…」
「でもね」マイクさんが空を見上げました。「その分、一度信頼してくれれば、それは一生続くんだよ。アフリカの野生の象は、命の恩人を20年後でも覚えているという話もある」
その言葉が、私の心に深く響きました。
「時間をかけていいんだ。ダンボのペースに合わせてあげよう」
笑えるエピソード①:餌の好み発見

4ヶ月目のある日、偶然にもダンボの意外な一面を発見しました。
いつものように餌を準備していると、リンゴの切り方がいつもより雑になってしまいました。通常は綺麗に8等分するのですが、その日は疲れていて、大きさがバラバラになってしまったのです。
「ごめんね、ダンボ。今日は切り方が下手で…」
ところが、餌を檻に投げ入れると、ダンボは迷わず一番大きなリンゴの欠片に向かっていきました。そして、小さな欠片は最後まで残していたのです。
「まさか…」
翌日、わざと大小様々な大きさにリンゴを切ってみました。すると案の定、ダンボは大きい順番に食べていきます。
「あなた、大きいリンゴが好きなのね!」
思わず声に出して笑ってしまいました。その声を聞いて、ダンボがちらりとこちらを見ました。まるで「何がおかしいんだ」と言いたげな表情です。
それからは、リンゴを特大サイズに切ってあげるようになりました。すると、ダンボの食べっぷりが明らかに良くなったのです。
危機的な状況

4ヶ月と2週間が過ぎたある日、私は急激な腹痛に襲われました。
深夜2時、救急車で病院に運ばれた私。診断は急性胃腸炎でした。医師からは、「最低でも3日間は安静にしてください」と言われました。
「でも、ダンボの世話が…」
ベッドの上で、私は心配でたまりませんでした。ダンボは今まで、私以外の人間から餌をもらうことを拒否していたからです。
マイクさんが代わりに世話をしてくれることになりましたが、私の心は動物園にありました。
「ダンボ、ごめんね。少しだけ待っていて」
病室の窓から空を見上げながら、私は祈るような気持ちでつぶやきました。
衝撃の事実

2日目の夕方、マイクさんが病院にお見舞いに来てくれました。でも、その表情は暗く、言いにくそうに口を開きました。
「エミリー…実は、ダンボの様子がおかしいんだ」
「どうしたんですか?」
「餌を…全然食べないんだよ」
私の心臓が止まりそうになりました。
「最初の日は、いつものことかと思ったんだ。でも、2日目も手をつけない。水も最低限しか飲まない状態で…」
象が食事を拒否するということは、命に関わる問題です。1日200キロの食事を取る象が、2日間も絶食するなんて…
「明日、必ず戻ります」
私は医師の静止を振り切って、退院を決意しました。
運命の再会

3日目の朝、まだ完全に回復していない身体で、私は動物園に向かいました。
象舎に着くと、マイクさんが困った表情で立っていました。
「昨日の夕方から、全く動かないんだ」
檻の中を見ると、ダンボがいつもの角で、ぐったりとうずくまっていました。普段よりも明らかに元気がありません。
「ダンボ…」
私の声を聞いた瞬間、ダンボの耳がぴくりと動きました。そして、ゆっくりと顔を上げ、私の方を見たのです。
その目には、明らかに安堵の色が浮かんでいました。
「ダンボ、ごめんね。心配かけて…」
すると、信じられないことが起こりました。ダンボが立ち上がり、足取りもしっかりと、檻の近くまで歩いてきたのです。
そして、長い鼻を檻の隙間から伸ばし、私の手に軽く触れてきました。
温かくて、優しい感触でした。まるで「おかえり」と言っているかのように。
私の頬に、涙が流れました。
マイクさんの驚き

「15年間…15年間、誰も信用しなかった象が…」
マイクさんの声が震えていました。
「エミリー、君は…君は本当にやったんだな」
その時、ダンボが檻の隙間から鼻を伸ばし、私が用意したリンゴ(もちろん特大サイズ)を、直接私の手から受け取ったのです。
象舎にいた他の職員たちも、この光景を見て言葉を失いました。
「写真に撮らせてくれ」
誰かがそう言いましたが、私は首を振りました。
「この瞬間は、私とダンボだけの秘密にしましょう」
ダンボの小さな目が、まるで笑っているかのように見えました。
信頼関係の深化

それから、ダンボとの関係は劇的に変化しました。
毎朝、私が象舎に近づくと、ダンボは檻の近くまで歩いてきて、鼻を軽く振って挨拶をしてくれるようになりました。時には、甘えるように私の肩を鼻で軽く押すことも。
「おはよう、ダンボ。今日も元気ね」
「今日のリンゴは特別大きく切ったのよ」
私の声に、ダンボは「ウルウル」という低い鳴き声で応えてくれるようになりました。これは、象が安心している時に出す音です。
週に一度の身体検査も、以前は鎮静剤が必要でしたが、今では私が立ち会うだけで、大人しく受けてくれるようになりました。
「信じられない変化だ」
獣医のドクター・スミスも驚いていました。
笑えるエピソード②:お風呂嫌い発覚

信頼関係が築けてから気づいたのですが、ダンボには意外な弱点がありました。
水浴びが大嫌いだったのです。
通常、象は水浴びが大好きな動物です。でも、ダンボにホースで水をかけようとすると、5トンの巨体で必死に逃げ回るのです。
「ダンボ、お風呂の時間よ〜」
私がホースを持つと、ダンボは檻の最も遠い場所に逃げて行きます。そして、まるで「いやだ、いやだ」と言うように首を横に振るのです。
「象って、みんな水浴び好きじゃないの?」
マイクさんに聞くと、笑いながら答えてくれました。
「人間と同じで、個体差があるんだよ。ダンボは多分、綺麗好きすぎて、泥んこになるのが嫌なんだろう」
結局、水浴びの時は私が「数を数えるから、10まで我慢して」と声をかけることで、なんとか水をかけさせてもらえるようになりました。
「1、2、3…」
数え始めると、ダンボは目をぎゅっと閉じて、嫌そうな顔で我慢してくれます。10まで数え終わると、まるで「もう終わり?」と確認するように私を見るのです。
そのあまりにも人間らしい反応に、いつも笑ってしまいました。
園内での評判

ダンボの変化は、園内でも大きな話題になりました。
来園者の皆さんも、以前とは明らかに違うダンボの様子に気づいていました。以前は檻の奥に隠れていることが多かったのに、今では堂々と展示場を歩き回り、来園者に興味を示すようになったのです。
「あの象さん、こっちを見てくれてる!」
子どもたちの声が、象舎に響きます。
特に人気だったのが、私がダンボに話しかける様子でした。来園者の皆さんは、まるで会話をしているかのような私たちの様子を、微笑ましそうに見守ってくれました。
「飼育員さんとこんなに仲良しな象は初めて見た」
「本当に会話してるみたい」
そんな声を聞くたびに、胸が熱くなりました。
職場での変化

ダンボとの関係が変わったことで、私自身も大きく変化しました。
以前は人見知りで、同僚との会話も必要最小限だった私。でも、ダンボとの経験を通して、「相手のペースに合わせることの大切さ」を学んだのです。
「エミリー、最近明るくなったね」
同僚のリサさんに言われました。
「ダンボから教わったんです。信頼関係は急には築けないけれど、毎日の小さな積み重ねが、いつか大きな絆になるって」
その話を聞いた同僚たちは、皆感心してくれました。そして、私の周りには自然と人が集まるようになったのです。
象担当チームのみんなとも、仕事だけでなくプライベートでも話すようになりました。マイクさんは、まるで父親のように私の成長を見守ってくれていました。
危機一髪の出来事

ダンボとの信頼関係が深まって半年後、忘れられない出来事が起こりました。
いつものように象舎の清掃をしていた時のことです。高圧洗浄機のホースが足に絡まって、私は勢いよく転倒してしまいました。
頭を地面に強く打った私は、意識が朦朧としました。視界がぼやけ、立ち上がることができません。
その時です。
「パオ〜ン!パオ〜ン!」
ダンボが、今まで聞いたことのないような大きな鳴き声を上げ始めたのです。それは明らかに、警告の鳴き声でした。
「何事だ?」
「象舎から大きな鳴き声が!」
ダンボの鳴き声を聞いて、マイクさんをはじめとする職員が駆けつけてくれました。
私が倒れているのを見つけた時、ダンボは檻越しに私の方に鼻を伸ばし、心配そうに見つめていました。
「エミリー!大丈夫か?」
意識を取り戻した私が最初に見たのは、檻の向こうから心配そうに見つめるダンボの優しい目でした。
「ダンボ…私を…助けてくれたのね」
涙のお礼

幸い、大きな怪我はありませんでした。でも、もしダンボが鳴いて知らせてくれなかったら、発見が遅れて大変なことになっていたかもしれません。
翌日、いつもより早く動物園に到着した私。ダンボに特別なプレゼントを用意していました。
ファーマーズマーケットで見つけた、手のひらサイズの巨大なリンゴです。
「ダンボ、昨日はありがとう。君が私を守ってくれたのね」
そのリンゴを差し出すと、ダンボは優しく鼻で受け取ってくれました。そして、いつものように美味しそうに食べながら、時々私の方を見て、まるで「どういたしまして」と言っているかのような表情を見せてくれました。
その瞬間、私の目から涙が溢れました。嬉し涙でした。
「本当に…本当にありがとう」
ダンボの小さな目も、なんだか潤んで見えました。
獣医さんからの驚きの報告

それから数日後、定期健診の際に獣医のドクター・スミスから驚くべき報告を受けました。
「エミリー、ダンボの健康状態が劇的に改善しているんです」
「え?どういうことですか?」
「血液検査の結果を見てください。ストレスホルモンのコルチゾール値が、去年の3分の1になっています。それに、免疫力も大幅に向上している」
先生は興奮気味に続けました。
「15年間、彼は慢性的なストレス状態にあったんです。でも、この半年で完全に変わった。これは医学的にも貴重なケースですよ」
ダンボが心を開いてくれたことが、身体の健康にも大きな影響を与えていたのです。
「心と身体は繋がっているんですね」
「その通りです。ダンボにとって、エミリーは命の恩人と言えるでしょう」
笑えるエピソード③:ダンボの嫉妬

ダンボとの関係が深まるにつれて、面白い現象が起こりました。
私が他の動物の世話をしている様子を見ると、ダンボが明らかに機嫌を悪くするのです。
隣のペンギン舎でペンギンたちに餌をあげていると、象舎から「パオ〜」という、ちょっと拗ねたような鳴き声が聞こえてきます。振り返ると、ダンボが檻の向こうから、じっとこちらを見つめているのです。
「ダンボ、嫉妬してるの?」
その表情があまりにも分かりやすくて、思わず笑ってしまいました。
「大丈夫よ、君が一番大切よ」
そう声をかけると、ダンボは「フンッ」とでも言いたげに鼻を鳴らして、わざとらしく背中を向けるのです。
まるで、むくれている子どものようでした。
園長からの表彰

ダンボとの成功事例は、アメリカの動物園業界でも大きな話題となりました。
そしてある日、園長室に呼ばれた私。
「エミリー、君の取り組みは本当に素晴らしかった」
ロバート園長は感慨深げに言いました。
「15年間、誰も成し得なかったことを、君はやってのけた。これは我が動物園の歴史に残る出来事です」
そして、特別表彰状を手渡してくれました。
「Outstanding Zookeeper Award – Emily Johnson – For exceptional achievement in building trust with animals and contributing significantly to animal welfare」 (優秀飼育員賞 エミリー・ジョンソン 動物との信頼関係構築における多大なる貢献を讃えて)
でも、私の心は複雑でした。
「園長、これは私一人の力ではありません。マイクさんをはじめ、多くの方々の支えがあったからです。そして何より…ダンボが心を開いてくれたからです」
「その通りだ」園長が頷きました。「でも、君がその最後の一歩を踏み出したんだよ」
ダンボへの最高のプレゼント

1年が経った頃、園内で大きなニュースが発表されました。
「ダンボに、お嫁さんが来ることになりました」
隣の州の動物園から、メスのアジアゾウ「ルナ」がやってくるというのです。
「でも、大丈夫でしょうか?」私は心配でした。「ダンボは人間との関係は築けたけれど、他の象とうまくやっていけるか…」
マイクさんが安心させてくれました。
「大丈夫だよ。象は本来、群れで生活する動物だ。きっとダンボも、仲間を求めているはずさ」
ルナがやってきた日、ダンボの反応は私たちの想像を超えるものでした。
最初は警戒していたものの、数日でルナを受け入れ、まるで昔からの家族のように寄り添うようになったのです。
「ダンボ、よかったね」
私がそう声をかけると、ダンボは嬉しそうに鼻を振り、まるで「ありがとう」と言っているかのようでした。
新しい命の誕生

さらに1年後、奇跡が起こりました。
ルナに赤ちゃんが生まれたのです。
「エミリー!大変だ!ルナが産気づいてる!」
マイクさんの興奮した声で、私は象舎に駆けつけました。
象の出産は約22ヶ月の妊娠期間を経て行われる、とても珍しい出来事です。
そして、その感動的な瞬間に立ち会うことができました。
小さな象の赤ちゃんが生まれた時、ダンボは信じられないほど優しい表情で、そっと赤ちゃんに鼻を近づけました。
「パパになったのね、ダンボ」
その光景を見た瞬間、私の目には涙が溢れていました。
人間を信じることができなかった象が、今では家族に囲まれて幸せそうにしている。これ以上の喜びはありませんでした。
笑えるエピソード④:過保護なパパ

赤ちゃん象の「ベラ」が生まれてから、ダンボの新しい一面が見えてきました。
とんでもなく過保護なパパだったのです。
来園者が象舎に近づくと、まずダンボが前に出て、ベラを守るような態勢を取ります。そして、「この子に近づくな」と言わんばかりに、威嚇するような仕草を見せるのです。
でも、私が近づくと態度が一変。
「あ、エミリーか。どうぞどうぞ」
とでも言いたげに、道を開けてくれるのです。まるで、「この人は信頼できる人だから大丈夫」と、ルナとベラに紹介しているかのように。
「ダンボ、過保護すぎよ」
私がそう言うと、ダンボは「何か問題でも?」という表情で首をかしげます。
その真剣な顔があまりにも可愛くて、いつも笑ってしまいました。
5年後の今

あれから5年が経ちました。
今では、ダンボ、ルナ、ベラの3頭が仲良く暮らしています。ベラも4歳になり、元気いっぱいに象舎を駆け回っています。
ダンボは、園内で最も人気のある象になりました。彼の優しい性格と、家族を大切にする姿は、多くの来園者の心を魅了しています。
「象舎の前が一番混雑するのよ」
同僚のリサさんが嬉しそうに報告してくれます。
「みんな、ダンボファミリーを見に来るの。特に、お父さんお母さんたちは、ダンボの子育てぶりに感動して帰っていくのよ」
私自身の成長

ダンボとの出会いは、私自身をも大きく変えてくれました。
人見知りで、人間関係が苦手だった私。でも、ダンボから学んだ「相手のペースに合わせることの大切さ」「信頼は時間をかけて築くもの」という教訓は、人間関係にも活かされています。
今では、新人飼育員の指導も任されるようになりました。
「動物との関係づくりで一番大切なことは何ですか?」
新人さんによく聞かれる質問です。
「焦らないことです」私はいつもこう答えます。「相手のペースに合わせて、毎日少しずつ信頼を積み重ねていく。それが一番の近道です」
マイクさんの定年

去年、お世話になったマイクさんが定年を迎えました。
送別会の日、マイクさんは私の手を握って言いました。
「エミリー、君と出会えて本当によかった。15年間、ダンボのことで悩み続けてきたけれど、君が来てくれて全てが変わった」
「マイクさんこそ、15年間諦めずに世話を続けてくださったからです。私は最後のほんの少しお手伝いしただけです」
「いや、違うよ」マイクさんが首を振りました。「君は愛情の本当の意味を教えてくれた。愛情とは、相手を変えようとすることじゃない。相手を受け入れることなんだって」
最後の勤務日、マイクさんはダンボに挨拶をしに来ました。
ダンボは、いつもより長い時間、マイクさんの前に立っていました。まるで、長い間の感謝を伝えているかのように。
新しい挑戦

現在、私たちは新しいプロジェクトに取り組んでいます。
「動物介在療法プログラム」という、動物との触れ合いを通じて人間の心を癒すプログラムです。
ダンボの穏やかな性格と、人間への信頼は、このプログラムにとって理想的です。
月に一度、特別な許可を得て、心に傷を負った子どもたちがダンボと触れ合う機会を設けています。
「象さん、大きいけど優しいね」
子どもたちがダンボの鼻に触れながら、そう言ってくれる時、私の心は温かくなります。
人間を信じることができなかったダンボが、今度は人間の心を癒している。これほど美しい循環はありません。
笑えるエピソード⑤:ダンボの健康管理

最近のダンボには、新しい悩みがあります。
体重の増加です。
幸せな家庭生活のせいか、以前より食欲旺盛になったダンボ。健康診断で「少し痩せましょう」と言われてしまいました。
「ダンボ、ダイエットしなきゃダメよ」
そう言って、リンゴの量を少し減らすと、明らかに不満そうな顔をします。
「これじゃ足りない」と言わんばかりに、空の餌入れを鼻でつついて音を立てるのです。
「ダメよ、健康のためなの」
すると、ダンボはため息をつくように鼻から大きく息を吐き、諦めたような表情を見せます。
その人間らしい反応に、毎回笑わされています。
結婚報告

実は、私にも大きな変化がありました。
2年前、動物病院の獣医師であるデイビッド・ウィルソン先生とお付き合いを始め、この春結婚することになったのです。
プロポーズの場所は、もちろん象舎でした。
「エミリー、ダンボが教えてくれたように、僕たちも時間をかけて信頼関係を築いてきました。これからも、一緒に歩んでいきませんか?」
デイビッドがそう言って指輪を差し出した時、ダンボがまるでタイミングを計ったように「パオ〜ン」と祝福の鳴き声を上げてくれました。
「ダンボも賛成してくれてるみたい」
涙を流しながら、私は「Yes」と答えました。
ダンボからの結婚祝い

結婚式の前日、ダンボから思わぬプレゼントをもらいました。
いつものように象舎を訪れると、ダンボが地面に大きな♡(ハート)マークを描いていたのです。
鼻で砂を動かして作った、不格好だけれど心のこもったハートマークでした。
「ダンボ、これって…結婚のお祝い?」
ダンボは嬉しそうに鼻を振りました。まるで「当然でしょう」と言っているかのように。
その日の写真は、今でも私たち夫婦の宝物です。
10年目の節目

今年で、ダンボと出会ってから10年になります。
動物園では、「ダンボ信頼関係構築10周年記念イベント」を開催してくれることになりました。
「10年前には想像もできませんでした」
園長がイベントの挨拶で言いました。
「一頭の象と一人の飼育員の物語が、これほど多くの人に希望を与えるとは」
イベント当日、全米から動物愛好家や飼育員の方々が集まってくれました。
「エミリーの話を聞いて、諦めかけていた動物との関係づくりに、もう一度挑戦しようと思いました」
「うちの犬が人を怖がっていたのですが、ダンボの話を参考に、時間をかけて接したら、今では家族の一員です」
そんな声をたくさんいただき、私の胸は感謝の気持ちでいっぱいになりました。
次世代への継承

現在、私は新人飼育員の教育にも力を入れています。
「エミリー先生、動物が心を開いてくれません」
悩む新人さんに、私はいつもダンボの話をします。
「私も最初は同じでした。でも、焦らずに、相手のペースに合わせることが大切です」
「どのくらい時間がかかりますか?」
「分かりません」私は正直に答えます。「でも、きっと相手は見ています。あなたの真心を。だから、絶対に諦めないでください」
若い飼育員たちの真剣な眼差しを見ていると、きっと次の世代も素晴らしい関係を築いてくれるだろうと確信できます。
現在のダンボファミリー

今日も、ダンボ、ルナ、そして8歳になったベラが、仲良く象舎で過ごしています。
最近では、ベラに弟か妹ができるかもしれないという嬉しいニュースもあります。
「おじいちゃんになるのね、ダンボ」
そう声をかけると、ダンボは照れくさそうに鼻を揺らします。
毎朝の挨拶は、今でも欠かしません。
「おはよう、ダンボ。今日も元気ね」
「昨日のリンゴ、美味しかった?今日のはもっと甘いのよ」
ダンボは相変わらず、優しい鳴き声で応えてくれます。時々、鼻で私の頬を軽く撫でてくれることも。
その温かい感触は、10年前と変わらず、私の心を幸せで満たしてくれます。
来園者との交流

ダンボは今では、園内で最も人気のある動物の一頭です。
特に、家族連れの皆さんに愛されています。
「象さんって、こんなに優しいんですね」
「お父さん象の子育てぶり、見習いたいです」
そんな声を聞くたびに、誇らしい気持ちになります。
時々、ダンボの前で結婚式の前撮りをするカップルもいらっしゃいます。
「幸せな家族の象さんたちと一緒に写真を撮りたくて」
そう言ってくれるカップルを見ていると、愛の力って本当に素晴らしいと感じます。
最も印象深い瞬間

10年間の中で、最も印象深い瞬間は何かとよく聞かれます。
それは、3年前の夕方のことでした。
いつものように象舎の掃除をしていると、ダンボがゆっくりと私の近くに来て、大きな身体で私を優しく包み込むように寄り添ってくれたのです。
「どうしたの、ダンボ?」
その日は、私の誕生日でした。でも、動物園では誰にも話していませんでした。
まさか、ダンボが覚えているわけないと思ったのですが…。
「もしかして、覚えてくれてたの?」
ダンボの優しい目を見た瞬間、確信しました。
彼は、私のことを本当の家族だと思ってくれているのだと。
その時の感動は、今でも鮮明に覚えています。
私たちが学んだこと

ダンボとの10年間で学んだことは、数え切れません。
信頼は時間をかけて築くもの – 急がず、相手のペースに合わせることの大切さを学びました。
愛情は行動で示すもの – 言葉よりも、毎日の小さな行動の積み重ねが重要だということを教わりました。
諦めない心の力 – どんなに困難に見えても、諦めなければ道は開けるということを実感しました。
相手を受け入れることの美しさ – 変えようとするのではなく、ありのままを受け入れることで、真の関係が生まれることを知りました。
これらの教訓は、動物との関係だけでなく、人間関係や人生全般にも活かされています。
次の世代への思い

私たち夫婦にも、来年第一子が生まれる予定です。
お腹の赤ちゃんには、もちろんダンボのことをたくさん話しています。
「この子にもダンボの優しさを伝えたいね」
夫がお腹に手を当てながら言いました。
「きっと、動物を愛する子に育ってくれるわ」
生まれてくる子どもには、ダンボから学んだ「愛することの大切さ」を伝えていきたいと思っています。
感謝の気持ち

毎日、ダンボに「Thank you」と伝えています。
人間を信じることを諦めていた象が、私に信頼と愛の素晴らしさを教えてくれました。
マイクさんをはじめとする先輩方、同僚の皆さん、そして家族。多くの人に支えられて、この素晴らしい関係を築くことができました。
でも何より、心を開いてくれたダンボに、深い感謝の気持ちでいっぱいです。
今日という日

今朝も、いつものようにダンボに挨拶をしました。
「おはよう、ダンボ。今日も素敵な一日になりそうね」
ダンボは嬉しそうに鼻を振って、「Good morning, Emily」と言っているかのようでした。
ルナとベラも元気に朝の運動をしています。
この平和な光景を見ていると、心が温かくなります。
10年前、人間を信じることができなかった象が、今では家族に囲まれて幸せそうにしている。
これほど美しい物語があるでしょうか。
読者の皆さんへのメッセージ

この物語を最後まで読んでくださった皆さんに、心からお伝えしたいことがあります。
人も動物も、そして全ての生き物は、愛されることを求めています。
時には、心に深い傷を負って、他者を信じることができなくなってしまうことがあります。でも、諦めないでください。
真心を込めて接し続けることで、必ず心は通じ合います。
それは、一日では起こらないかもしれません。一ヶ月、一年、時には十年以上かかることもあります。
でも、待つ価値があります。
なぜなら、一度築かれた真の信頼関係は、何にも代えがたい宝物だからです。
もし今、皆さんの周りに心を閉ざしている誰かがいたら、どうか見放さないでください。
その人(その子、その動物)なりのペースで、きっと心を開いてくれる日が来ます。
ダンボが私に教えてくれたように、愛は時間をかけて育てるものです。
そして、その愛は必ず、相手に届きます。
未来への希望

これからも、私はダンボファミリーと共に歩んでいきます。
新しい命が生まれ、きっとまた新しい物語が始まるでしょう。
そして、全米の動物園で働く仲間たちと一緒に、より多くの動物たちに愛を届けていきたいと思います。
私たちの小さな取り組みが、いつか大きな変化につながることを信じて。
エピローグ:永遠の絆

夕方、一日の仕事を終えた私は、いつものようにダンボの前に立ちます。
「ダンボ、今日もありがとう」
ダンボは優しい目で私を見つめ、鼻で私の手を軽く撫でてくれます。
その温かい感触の中に、10年間の思い出が全て込められています。
初めて出会った日の恐怖と悲しみ。
少しずつ築いていった信頼関係。
初めて手から餌を食べてくれた時の感動。
私を守ってくれた時の勇気。
家族ができた時の喜び。
そして、今この瞬間の幸せ。
全てが、この温かい感触の中にあります。
「ダンボ、明日もまた、よろしくお願いします」
私がそう言うと、ダンボは小さく鼻を鳴らしました。
「Thank you too, Emily」
そう言っているかのように。
象舎に夕日が差し込み、私たちの影が長く伸びています。
人間と象、種族を越えた真の友情がここにあります。
この絆は、きっと永遠に続くでしょう。
あとがき

この物語は、実際に全米の動物園で働く飼育員の皆さんと、彼らに愛される動物たちの関係にインスピレーションを得て書かれました。
動物園は、私たち人間にとって、動物の素晴らしさを学び、生命の尊さを感じることができる大切な場所です。
そして何より、種族を越えた愛と信頼の関係が生まれる、奇跡の場所でもあります。
もし機会がありましたら、お近くの動物園を訪れてみてください。
きっと、動物たちと飼育員さんたちの間に流れる、温かい絆を感じていただけるはずです。
そして、この物語が、皆さんの人生において、誰かとの関係づくりの参考になれば、これほど嬉しいことはありません。
愛は時間をかけて育てるもの。
そして、その愛は必ず届きます。
ダンボと私が証明したように。
エミリー・ジョンソン(現在32歳、サンディエゴ動物園 主任飼育員)
この物語は、全ての動物を愛する人々、そして動物との絆を大切にする全ての飼育員の皆さんに捧げます。
※この物語はフィクションです。登場する人物や出来事はすべて架空のものであり、実在の人物や出来事とは一切関係ありません。