日本史上でもトップクラスに有名な偉人・坂本龍馬。型破りな行動力や、志半ばで暗殺されたという悲劇性、その死に残る多くの謎などから、多くの歴史ファンを虜にする人物です。
そこらのゴロツキにはまず負けないレベルの武力と、武力では勝てない人間を味方に引き込む話術、自分よりも頭の良い人間を味方につける人懐っこい人柄など、基本的に様々な分野で”勝利”を収め、自らの理想に向けて邁進を続けた龍馬ですが、その龍馬が武力でも話術でも人柄でも、全く頭が上がらなかった人物が、おそらくは日本史上にただ一人だけ存在しています。
その人物は”坂本乙女”。名字からも(というかこの記事のタイトルからも)分かりますが、坂本龍馬の実の姉です。
日本の歴史そのものに関わった人物ではありませんが、龍馬を育て、愛し、導き続けた乙女という女性は、ある意味で言えば明治維新に無くてはならない存在だったとも言えます。
この記事では、そんな坂本乙女という人物について、龍馬との関わり以外の観点からも深掘りしていきたいと思います。
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坂本龍馬の姉はどんな人?何人いる?
「坂本龍馬の姉」というと、やはりこの記事で取り上げている乙女が有名ですが、実は龍馬には乙女を含めて3人の姉と、1人の兄がいました。大家族の中の末っ子ということで、多くの愛情を受けていたからこそ、龍馬は気弱ながらやさしい少年として育ったのでしょう。
家族構成は以下の通りです。
- 父:八平直足
- 生母:幸
- 義母:伊与
- 長男:権平直方
- 長姉:千鶴
- 二姉:栄
- 三姉:乙女
- 二男:龍馬
長姉の千鶴と二姉の栄については、殆ど記録が残っておらず人物像が不明瞭なままです。
しかし、色々な意味で”濃い”エピソードを残す乙女を「嫁の貰い手がいないかも」と心配していたという話が残っていることから、その時代に即した価値観を持っていながら、乙女との仲は決して悪くなかったことは推察されます。
坂本龍馬の姉「坂本乙女」とはどんな人?
名前 | 坂本留(さかもととめ) |
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通称 | 坂本乙女(”お留”から派生して”乙女”) |
別名 | 坂本独(さかもとどく) |
誕生日 | 1832年2月2日 |
没日 | 1879年8月31日(享年48歳) |
生地 | 不明(土佐だと思われる) |
没地 | 不明 |
配偶者 | 岡上樹庵(1856年~1867年) |
埋葬場所 | 不明 |
「坂本乙女とはどんな人?」と聞かれると、その答えはおそらく「(色々な意味で)凄い人」という答えに集約されるかと思います。
乙女の性質は、一言で表すと”漢(おとこ)”です。
身長174㎝、体重112㎏と、現代を基準にしてもかなり大柄な体格。剣術や馬術、水泳等の武芸に長け、中でも薙刀は下手な男なら数人がかりでもなぎ倒すほどの実力。その反面、和歌や舞踊、三味線や琴などの芸術分野にも才能を発揮する、かなり万能なタイプの人物だったようです。
弟である龍馬は乙女とは真逆な、様々な分野に対する呑み込みが悪く、塾の先生からも匙を投げられるタイプだったということもあり、龍馬に武芸や学問の基礎を教えたのは、家族である乙女だったとも言われています。
また、龍馬の「おねしょ癖」を治したのも乙女だったと言われており、坂本龍馬の幼少期のエピソードには、必ずと言っていいほど顔を出す人物でもあるのです。
坂本乙女の来歴
坂本乙女は、土佐藩の郷士である坂本家の4人目の子として生まれました。上には兄が一人と姉が二人おり、6歳のころには弟である龍馬が誕生することになります。
しかし、彼女が14歳のころに、母である幸が死去。以降龍馬は、父の後妻である伊予に教育を受けることになりますが、当時の龍馬は気弱で泣き虫で物覚えの悪い、言ってしまえば”落ちこぼれ”の少年。その性質は悪い方向ばかりに働き、いじめにあった龍馬は塾で抜刀騒ぎを起こしてしまい、通っていた塾を追い出されることになってしまったと言います。
そんな龍馬を見かねた乙女は、自分が龍馬の母代わりになることを決意。物覚えの悪い龍馬に、根気強く書道や和歌、剣術などの武士としての基礎の部分を教え込み、当時の彼の最大の難点だった”おねしょ癖”を治したこともあったといいます。
そんな乙女の献身もあって、龍馬は(当時の価値観からすると微妙ですが)立派な武士として成長。日本の行く末を大きく変える大器となったのです。
坂本乙女はどんな性格だった?
ここまでこの記事を読んでもらえればわかるように、坂本乙女の性格を一言で表すなら、”女傑”という言葉が最もふさわしいかと思います。
そこらの男よりも雄々しい人物であり、龍馬をいじめるいじめっ子たちを怒号一つで黙らせる胆力と威圧感。恵まれた体格もあって、もし彼女が家督を継いで武士となっていたら、それはそれで中々面白い世が出来上がったかもしれません。
そんな雄々しさもありながら、幼くして母を亡くした弟を見かねて、自身も14歳という若さで母親代わりを買って出るなど、周囲に対する深い愛情も見て取ることができます。ガキ大将的でもあり、口うるさい委員長的でもありながら、「嫌われていた」という記録が全く無い事からも、彼女の性質が周囲から受け入れられるものだったことは想像に難くありません。
総じて、困難にぶち当たった時に「飄々とした態度で、裏道を見つけて進んでいくタイプ」が龍馬だとすれば、乙女はその真逆である「正々堂々と、壁を破壊しながら正しい道を突き進むタイプ」だったと言えるでしょう。
仲のいい姉弟でありながら、そう言った物事の進め方は真逆という部分は、中々に面白い部分です。考察してみるのも面白いかと思われます。