痛ましき腕
「痛ましき腕」は1936年に制作された絵画です。現在は川崎市岡本太郎美術館に収蔵されています。
大きすぎるリボンの不思議な存在感
首もとに大きなリボンをつけた人物の半身を描いた絵です。右腕を曲げている様子なのですが、その腕は皮膚が切り裂かれていて、ピンクの肉が等間隔に見えています。こぶしを強く握ったその腕の持ち主の顔は髪に覆われて見えず、暗い画面に大きなリボンと腕だけがあります。
岡本太郎は1935年ごろから絵画のモチーフにリボンを用いていました。そして翌年の1936年、この「痛ましき腕」が描かれます。大きなリボンを首もとにつけている、というとピエロのようなどことなく陽気な印象がありますが「痛ましき腕」ではむしろ逆、不必要なほどのリボンの大きさが不気味な存在感を醸している作品です。
不穏な世情と岡本の葛藤を表現
「痛ましき腕」は、岡本がパリに滞在していた時代に描かれたものです。当時、岡本は抽象画の制作に行き詰まりを感じていました。より自分の現実を生々しく表現する方法を模索していました。
それに加えて、1930年代は世界中が第二次世界大戦へと進んでいった時代でした。どこか不穏な空気が立ち込めていたその世の中の雰囲気と、岡本自信の葛藤や迷い、2つが合わさって生まれたのが「痛ましき腕」だと考えられています。
最初に描かれたものは戦争で焼失してしまったため、現在川崎市岡本太郎美術館に収蔵されている「痛ましき腕」は1949年に再制作されたものです。当初感じていた不穏さが戦争となって現れ、それから時間が経って「痛ましき腕」を再制作したとき岡本は何を感じたのでしょうか。
森の掟
「森の掟」は1950年に制作された油彩画です。現在は川崎市岡本太郎美術館に収蔵されています。
「対極主義」という芸術観
深い森の中で、背にファスナーをもつ赤い怪獣が小さな生き物を襲っています。周囲の生き物はその勢いに吹き飛ばされたり、怖がって隠れたりしています。ファスナーをもつ怪獣は何者なのでしょうか?
岡本太郎の「森の掟」は、彼の芸術思想の1つである「対極主義」を表現しています。「対極主義」とは、今までに作られた概念や思想にとらわれず、正反対の概念をぶつけることで新たな価値観を得られるという考え方です。岡本は「森の掟」で、深い森という自然と「ファスナー」という人工物という対極のモチーフを使いました。
社会にはびこる「権力」への批判
ファスナーをもつ怪獣は、人間が生み出した「権力」の象徴です。岡本は権力やそれに追随するものを激しく批判しました。「森の掟」では、権力が弱い者を食い物にする様子が描かれています。
さて、この怪獣のファスナーを開けたらどうなるでしょうか?中身は空っぽ、権力の象徴である怪獣はまったくの空虚な存在です。岡本は社会にはびこる強大な権力を怪獣にたとえ、その正体が空っぽであることを強く表現しました。
森の掟が支配しているはずの深い森の中を、空っぽの権力怪獣が荒らし回っている…こんなことが許されるはずがない、という岡本の声が聞こえてきそうな作品です。
坐ることを拒否する椅子
「坐ることを拒否する椅子」は、1963年に制作された陶製の椅子です。現在は川崎市岡本太郎美術館や、川崎市民ミュージアムなどに設置されています。
「生活とは闘いである」
信楽の陶器で作られた「坐ることを拒否する椅子」には、どの椅子にも顔がついています。座面はデコボコとしていて、陶器の硬さと相まって確かに座りにくいことこのうえありません。
岡本太郎は、快適なだけの惰性で続くような生活では生きがいがないと考えていました。座り心地のいい椅子は病身の人やお年寄りが使うべきであって、何かに熱い気持ちをもって取り組もうとしている人はそんな椅子に座っていてはダメだ、と説いています。休憩のために少しだけ腰掛けさせ、あとは自分を戦わせようと鼓舞してくれるもの、それが「坐ることを拒否する椅子」なのです。
デザイナーとしての岡本太郎
岡本太郎はインダストリアルデザイナーとしての顔をもっています。映画タイトルのロゴや卓上ライター、着物やこいのぼり、さらにはおまけとしてのブランデーグラスまでさまざまなものをデザインしました。デザインの仕事をすることに対して「芸術の価値が落ちてしまう」と批判した人たちもいましたが、岡本は意に介さなかったといいます。
岡本のデザインした商品には、彼の芸術哲学や人間観が色濃く反映されています。ブランデーグラス「顔のグラス」は、グラスの側面ではなく底に顔がデザインされているのですが、このことに対して岡本は「グラスの底に顔があってもいいじゃないか」と発言しています。お酒を飲み干した後にひょこっと現れる顔はなかなか愛嬌があり、高い人気を呼びました。
岡本太郎の作品に関するまとめ
岡本太郎の作品を5点ご紹介してきました。みなさんはどのように感じられたでしょうか?
岡本の作品は「高尚で優雅」というような芸術のイメージとはかけ離れたものです。その代わり強いエネルギーがあり、パワースポットを訪れたかのような元気をもらえます。私たちはその力強い作品に触れて、明日を生きる勇気や力を抱くことができます。
岡本太郎は21世紀の現在にこそ、多くの人たちに触れてほしい芸術家です。