カエサルとクレオパトラの関係は?子供はいた?出会いから結末までを紹介

「カエサルとクレオパトラは本当に愛しあっていたの?」
「カエサルとクレオパトラの間に子供はいたの?」
「カエサルとクレオパトラは最後、どうなったの?」

「賽は投げられた」「ブルータス、お前もか」といった名言でおなじみ、古代ローマの軍人・カエサル。世界三大美女の一人に数えられるほどの絶世の美女・クレオパトラ。

当時、圧倒的な権力を握っていたカエサルを利用するためにクレオパトラがカエサルを魅了した、とも言われていますが本当に二人の間に愛はなかったのでしょうか?

個人的にはそこに愛はあったと思いたい偉人同士の人間ドラマ大好きな私が、二人の関係性について迫ります。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

そもそもカエサルとクレオパトラってどんな人?

クレオパトラ(左)とカエサル(右)

カエサルってどんな人?

本名は「ガイウス・ユリウス・カエサル」。紀元前100年~44年、共和制ローマ時代に生きた軍人であり政治家で人物で、今でもよく知られる「賽は投げられた」や「ブルータス、お前もか」といった名言を残しています。

ローマ最大の野心家とも言われていて、軍人としての功績もさることながら、政治家としても様々な業績を残しています。1600年間使われ続けた「ユリウス暦」という彼の名前がついた暦を制定できたほどに圧倒的な権力を握っていました。

しかし、野心旺盛なカエサルの権力が大きくなり過ぎることを警戒した元老院が、ついにはカエサルを暗殺してしまいます。このときに「ブルータス、お前もか」と叫んだとされています。

クレオパトラってどんな人?

本名は「クレオパトラ7世フィロパトル」。紀元前69年~30年、古代エジプト・プトレマイオス朝最後のファラオ(女王)と言われています。

世界三大美女の一人に数えられていますが容姿が綺麗だから美女と謳われたわけではないことが最近ではわかってきています。クレオパトラは、十数の言語や数学・哲学といった学問に精通し、コミュニケーション能力にも長け、万人を惹きつけていたために美女と謳われるに至ったようです。

その魅力(知性・話術)は政治においても発揮され、親族との血みどろの権力争いを勝ち抜きファラオ(女王)の座にまで上りつめます。一時は、弟であり夫であるプトレマイオス13世から追放されるもののカエサルの協力もありファラオに返り咲きます。

しかし、最後には戦争で追い詰められ自害するという、常に権力争いの渦中にいた生涯でした。

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