渋沢栄一が作った会社・設立に関わった企業はどこ?代表的な10社とその現在を紹介

渋沢栄一が設立に関わった、もしくは作った会社は約500社に及びます。有名どころをあげると、

  1. 第一国立銀行(現在:みずほ銀行)
  2. 日本鉄道(現在:JR東日本)
  3. 帝国ホテル
  4. 東京海上保険会社(現在:東京海上日動)
  5. 田園都市株式会社(現在:東急電鉄、東急不動産)
  6. 東京瓦斯会社(現在:東京ガス)
  7. 東京株式取引所(現在:東京証券取引所)
  8. 大阪紡績株式会社(現在:東洋紡)
  9. 抄紙会社(現在:王子製紙、日本製紙)
  10. 共同運輸会社(現在:日本郵船)
  11. 札幌麦酒会社(現在:サッポロビール)
  12. 東京軽便地下鉄道株式会社(現在:東京メトロ)
  13. 帝国劇場
  14. 東京会館
  15. 富岡製糸場
  16. 三越呉服店(現在:三越)
  17. 東京綿商社(現在:カネボウ化粧品)
  18. ジャパン・ツーリスト・ビューロー(現在:JTB)
  19. 東海倉庫株式会社(現在:東陽倉庫株式会社)
  20. 株式会社東京石川造船所(現在:株式会社IHI)
  21. 清水組(現在:清水建設株式会社)
  22. 日本放送協会(現在:NHK)
  23. 株式会社日本電報通信社(現在:株式会社電通グループ)
  24. 養育院(現在:東京都健康長寿医療センター)
  25. 秀英舎(現在:大日本印刷株式会社)
  26. 東京商工会議所
  27. 三共商店(現在:第一三共株式会社)
  28. 東洋電機(現在:東洋電機製造株式会社)
  29. 足尾鉱山組合
  30. 浅野セメント(現在:太平洋セメント)

といったそうそうたる企業が名を連ねます。

この記事では、それぞれの企業が設立に至った背景などを紹介していきます。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

渋沢栄一が設立に携わった会社・企業はなんと約500社

渋沢栄一が設立に関わったもしくは作った企業は、何と約500社にも上ります。銀行・金融をはじめ、交通やガス、食品などあらゆる業種にまたがる企業の設立に貢献し、それらの多くが今の日本経済を支える代表的な企業へと発展しているのです。

下記からは冒頭で紹介した会社の内、誰もが一度は聞いたことのある有名企業10社を厳選し、それぞれ詳しく解説していきます。

渋沢栄一が設立に携わった会社・企業10社を紹介

それでは渋沢栄一が設立に携わった10社をご紹介しましょう。

1.第一国立銀行(現在:みずほ銀行)

第一銀行

1873年に渋沢が設立した日本最古の銀行。「国立」という名前ですが、民間資本による民間経営の銀行です。渋沢は大蔵官僚時代から設立を指導し、1875年には初代頭取に就任しました。その後、第一国立銀行は、第一銀行、第一勧業銀行を経て、現在は「みずほ銀行」として存続しています。

2.日本鉄道(現在:JR東日本)

日本鉄道

1881年に設立された日本初の私鉄。現在の東北本線や高崎線、常磐線などの路線を建設・運営し、JR東日本の礎を築いた会社です。

当時は自動車がまだなかったので、移動手段は徒歩か鉄道。さらに、現在のように首都圏に人口が集中していたわけでもなかったので、地方を走る鉄道でも十分に利益を生んでいました。渋沢は、このような鉄道に目を付けて、全国各地の鉄道会社の建設に携わっていくのです。

3.帝国ホテル

帝国ホテル東京

1890年に開業した日本を代表する高級ホテル。隣接する鹿鳴館とパイプをもつホテルとして、井上馨が渋沢と大倉喜八郎(1837~1928 明治・大正期の実業家)の2人を説いて、1888年に有限責任帝国ホテル会社を設立させ建設したものです。渋沢は帝国ホテルの初代会長を務めています。

現在は、三井不動産が筆頭株主となり、再開発計画が進んでいるようです。

4.東京海上保険会社(現在:東京海上日動)

東京海上日動火災保険

1879年に誕生した日本初の保険会社です。渋沢は創業時の株主に名を連ね、会社設立後は岩崎弥太郎とともに相談役に就任しています。

また、初代頭取を元宇和島藩主・蜂須賀茂韶が務めました。この人物は、東京鉄道組合や明治火災保険など実業のほか、教育や国際交流(自身も英国への留学経験あり)など幅広い分野で渋沢と交流していました。貴族院議長・枢密院顧問など重要なポストを歴任したことでも知られています。

5.田園都市株式会社(現在:東急電鉄、東急不動産)

田園都市株式会社本社

1918年に設立された住宅地開発会社です。宅地開発だけでなく鉄道事業も展開し、現在の目黒区や大田区や品川区にあたる地域の開発に大きく貢献しました。さらには、今では高級住宅街として知られる田園調布の整備を進めたことでも知られています。

6.東京瓦斯会社(現在:東京ガス)

東京瓦斯株式会社本社

1885年に設立された民間のガス会社。当時の東京府が担っていたガス事業を払い下げられる形で、渋沢と浅野財閥の創始者である浅野総一郎によって設立されました。

7.東京株式取引所(現在:東京証券取引所)

東京株式取引所

1878年に渋沢栄一らが出願して設立された日本初の公的証券取引機関です。渋沢は日本に株式制度をもたらした人物の一人でした(現在の東京証券取引所には渋沢のパネルが飾られています)。株式会社制度との出会いは、幕臣時代のフランス留学です。自ら事業を起こさずとも、株式を買えば誰でも事業に参加できる仕組みに感銘を受けたそうですね。

戦後、東京証券取引所として新たに事業を開始し、今に至っています。

8.大阪紡績株式会社(現在:東洋紡)

大阪紡績株式会社

1882年創業の紡績会社です。1886年に設立された三重紡績会社と合併して東洋紡績株式会社(2012年に「東洋紡」に社名変更)となりました。両社ともに渋沢が設立に携わっています。

渋沢は綿糸・綿布が輸入に依存している現状を憂いて、大規模な紡績事業を展開、やがて事業は飛躍し、綿糸と綿布は日本の代表的な輸出品へと飛躍していったのです。

9.抄紙会社(現在:王子製紙、日本製紙)

抄紙会社

1873年に渋沢栄一を中心に設立されました。1893年に王子製紙株式会社と名前を変えています。工場が東京の王子に設立されたことが後の社名の由来となっています。

戦後はGHQの財閥解体施策よって解体され、苫小牧製紙、本州製紙、十條製紙に分割、前者2つは現在の王子製紙につながり、十條製紙は現在の日本製紙として存続しています。

10.共同運輸会社(現在:日本郵船)

共同運輸会社

1882年に設立された船会社。日本の海運業を独占していた郵便汽船三菱会社に対抗して、渋沢栄一らが共同運輸会社を設立しましたが、両社の価格競争が激化し共倒れの危機に陥ってしまいます。三菱の岩崎弥太郎の死後に、政府の仲介によって両社は合併し、日本郵船が誕生しました。

現在は三菱グループの中核企業として存続しています。

渋沢栄一が設立に携わった会社・企業で現存しているところは?

上述した10社はいずれも現在まで存続し、日本経済を支える重要な役割を担っています。他にも、いすゞ自動車、キリンビール、サッポロビール、清水建設、川崎重工業、第一三共、古河機械金属、新日鐵住金、太平洋セメントetc..、渋沢と関わりがあった企業として、これだけの有名企業をあげることができます。あなたのお勤めの企業にも渋沢の貢献があるかもしれません。

渋沢栄一の関わった会社・企業に関するまとめ

渋沢栄一は、株式制度などの変革をもたらし、日本の主力産業へと成長する新たな事業を興しました。明治のスローガンである「殖産興業」、その旗手となった渋沢栄一は、「日本資本主義の元祖」ともいえるかもしれません。令和の時代になって、彼の偉業に再び注目が集まっています。

3 COMMENTS

八戸市売市2丁目12-24  会社経営代表 伊吹 正

歴史とは、人類の生き様です。そしてその過程に対して真摯に失敗には真摯な反省し、二度三度失敗を生かして進歩進化させ、構想の基本を整理整頓し、他者に教え実践さいずれ成功させることこの此のことを続けてえ行くことを続ける事、この一連の人類が永久に続けて人類が英知を身に着け、永年に伝承すること、この時の経過が人類の歴史、生き様である、又その記録であり、無限永遠にに先の事項を伝承し続ける事であろう。その足跡、経歴を書き残し、伝承することであろう。

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八戸市売市 2-12-24     いぶき  まさし  より

歴史へのコメントですが、大変難解な演題ですね。歴史とは生命の営みの足跡の記録とでも云えばいいのでしょうか。大変あいまいな定義です。すべてンの生命の存続、進化の足跡といえば曖昧ながらも、これが歴史でしょう。そしてその記録、伝達、その繰り替え氏でしょうか。生命が生きるための、手段が、互いに捕食し合い、逃走し、殺し合い、なじりあい、でもそのおかげで、生命の進化を確実に進化し続け、現在の高度な生命の営みを享受してきて今があり。しかしとどまることお歩を止めることなく進化していくことなのではを、歴史として解説しましたが、歴史とはの解説は、。哲学、思想、宗教、戦争の原因、宇宙、等々を解説するよりも難解と感じます。簡潔に感じたことを述べますと、コメント者の上本様の解説が正解と存じます。解説の視点がわたくしは外れているやもしれませんけれど。  歴史は難解ですが人類の闘争・戦争だけは繰り替えしたいものですが、人間の憎愛がなくならないように、戦争は、欲が消えないと一緒で、生命が絶滅しない限りは、どこかの人々が絶え間なく、続けるでしょう。裏を返せば、その憎愛こそが生命の根源かもしれませんが。恥ずかしい解説になりました。   合  掌   はちのへ   い ぶ き から

 乱文にて失礼いたしました。         敬   具

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