『羅生門』『蜘蛛の糸』『河童』など、数々の名作で知られる文豪・芥川龍之介。国語の教科書で作品を読んだという人も多いのではないでしょうか?
小説家の作品を読んでいくうちに、作者の人となりに興味をもつというのはよくあることです。「この作品を生み出した人はどんな性格をしているのだろう?」と、想像をめぐらせるのは楽しいですよね。
それでは、短編小説の形で近代的な知識人の苦悩を描き出した芥川龍之介はどのような性格の人物だったのでしょうか?この記事では、芥川の生い立ちと交友関係の2つにスポットを当てて解説していきます。
この記事を書いた人
一橋大卒 歴史学専攻
Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。
芥川龍之介の性格を形成した複雑な生い立ち
実母が病気になり伯母に育てられる
芥川龍之介は1892年に現在の東京都中央区に生まれました。父の新原敏三は牛乳製造販売業を営んでいて、龍之介は3人目の子供で長男です。父は42歳、母は33歳のときの子供で、明治時代としては高齢出産でした。
ところが芥川が7ヶ月のころ、母・フクが精神に異常をきたしてしまいます。おそらく龍之介が生まれる1年ほど前に1番円の子供(つまり龍之介の長姉)が6歳で亡くなってしまったことから発狂したのだと考えられています。母親が養育できなくなったため、龍之介は母の実家の芥川家に預けられました。
芥川家では、伯母のフキが龍之介の世話をしてくれました。芥川家はみんなが文学や演芸を好む家で、龍之介も文学好きに育ちます。小学生の時には草双紙を読むことができるようになり、成績も優秀でした。
実父と伯母の間に子供ができる
龍之介が11歳のころ、病気だった実母・フクが亡くなってしまいます。実父の敏三は龍之介を芥川家から引き取ろうとするのですが、ここで事件が起きました。父・敏三と伯母・フキの間に子供ができたのです。
このことから芥川家と敏三の仲が悪くなり、最終的に龍之介は正式な芥川家の養子となります。伯母のフキは龍之介の異母弟にあたる得二を出産しますが、龍之介はあまり弟と仲良くできませんでした。この出来事は龍之介の心に深い傷を残し、「いい子にしなければ捨てられる」という強い恐怖心を抱くようになります。
龍之介はますます勉強を頑張るようになります。けれども、何かを成し遂げることで得られる達成感は根本的な自己肯定感を養うことはできません。龍之介は自分のことを心から認めることができず、周りからの評価などを気にするどこか臆病な性格に育ちました。
芥川龍之介の人格に影響を与えた交友関係
夏目漱石門下の「木曜会」
芥川龍之介は夏目漱石を師と仰いでいて、漱石の「木曜会」に学生時代から参加していました。「木曜会」とは、漱石の家で若手文学者たちがさまざまな議論をした会合のことで、毎週木曜日に開かれていました。がっちりとした組織として存在していたのではなく、ゆるい集まりのようなものだったと考えられています。
1916年に発表された芥川の『鼻』は、王朝ものと呼ばれる初期の名作です。『鼻』を発表したとき、漱石にとても褒められたことから芥川は自分の作品に急速に自信をもったといわれています。
おそらく、芥川は生涯を通して根本的に自分に自信がもてない人物だったのではないでしょうか。師と仰ぐ漱石から褒められれば自信をもてるものの、晩年には厭世的な思考も目立つためその自信が続くことはなかったと考えられます。
大親友・菊池寛
その一方で、芥川龍之介を「人当たりがよく快活な人物」と評するエピソードも見られます。作家仲間からと楽しく談笑することもあったようですし、子供好きでもあったようです。芥川の写真といえばキッと正面をにらんだようなものが多いですが、自分の子供たちと写っている写真では笑顔で「パパの顔」をした芥川が見られます。
作家仲間で特に仲がよかったのが菊池寛です。大阪毎日新聞社の客外社員となったのも菊池寛と同時ですし、その年には2人で長崎を訪れています。芥川が亡くなった後、菊池寛は「芥川の事ども」という文章を発表しています。
何より、日本の若手作家の登竜門とされている「芥川賞」は菊池寛が芥川の名前を冠して創設したものです。菊池寛をはじめ、同じように文学を志す仲間たちと一緒にいるときは芥川も呼吸がしやすく、快活でいられたのでないでしょうか。菊池寛ら文学の仲間たちも、芥川のことを好いていたように思えます。
芥川龍之介の性格に関するまとめ
芥川龍之介の性格について、その生い立ちと交友関係にスポットを当てて解説してきました。芥川がどのような人物であったか、人となりがお伝えできたでしょうか。
繊細で自信がなく、厭世的でさえあった芥川。複雑な生い立ちは心に深い傷を残したでしょうが、せめて文学仲間や自分の家族といるときは楽しく自分のことを好きでいられたらいいな、と感じます。あるいは、その心の傷口から生まれてきたのが芥川が世に残した名作の数々であったのかもしれません。
芥川の作品からもその人となりや思想は伝わってきます。この記事をきっかけに芥川の小説に触れてもらえたら、とても嬉しいです。
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