梶井基次郎のおすすめ本・小説9選【代表作品から東京時代、湯ヶ島時代まで】

梶井基次郎の作品を読んでみたい!」
「檸檬のほかにどんな作品があるんだろう?」

今年で生誕120年を迎える文豪・梶井基次郎。大正末期から昭和初期にかけて活躍した文豪で、結核を患い、わずか31歳でこの世を去った若き天才として有名です。近年では「文豪ストレイドッグス」や「文豪とアルケミスト」にも登場し、その知名度を高めております。

梶井基次郎の代表作品というと「檸檬」「桜の樹の下」などが有名です。ですが、こういった作品以外にも様々な魅力が詰まった作品が刊行されております。

そこで、今回は、学生時代に梶井基次郎全集を読破した筆者が、梶井基次郎のおススメ作品を9選、年代別にご紹介いたします。文壇デビューした東京時代、結核のため療養した湯ヶ島時代、晩年を過ごした大阪時代、と3つに分かれております。

ぜひ、参考にしてください。

おすすめ代表作品

檸檬

読んでみて

1925年1月1日に発刊された同人誌「青空」の巻頭に掲載された短編作品。「えたいの知れない不吉な魂が私の心を終始圧えつけていた。」という書き出しから始まり、主人公の男が病気や借金などで憂鬱な気分を晴らすべく、好きな「檸檬」を爆弾に見立て、気分を晴らす、という作品。

病気を詳細に語る部分はどことなく暗い雰囲気が漂っておりますが、レモンを見つけてからの詳細な情景描写は、読んでいくうちに体験してるかのような錯覚をするぐらい事細かに書かれております。短編という事もあり、初心者でも入り込みやすい内容となっている梶井基次郎の代表作です。

みんなのレビュー

どこまで読んでも明るいことがなかった。自分の目に見えている全てが自分の写鏡のようなものでだからこそ彼は明るいものを見られなかったような気がする。その中にある荘厳な自然や風景の描写は美しかった

引用元:読書メーター

東京時代

城のある町にて

読んでみて

1925年2月20日に刊行された同人誌「青空」2月号に掲載された短編小説。全6章立てで構成された作品で、梶井が姉夫婦の住む三重県松坂町を訪れた際の実体験に基づいた私小説のような仕上がりとなっております。

主人公の峻は妹を亡くし、沈んでいたところへ姉からの手紙で三重県松坂町に訪れ、何気ない日常の風景に感動する、といった物語。梶井作品の中では明るい描写が多く、日常の生活が神秘的に描かれていて、読み終えた後、暖かい気持ちになれる作品です。

みんなのレビュー

梶井基次郎は何気ない風景に美を見出す感性が飛び抜けている。この作品では特に「昼と夜」の章がお気に入り。木漏れ日の下で洗濯をする二人の女の描写が良い。夏の夕方、散歩の休憩がてら、木陰でゆっくり読みたい作品。

引用元:読書メーター

Kの昇天

読んでみて

1926年10月1日に刊行された同人誌「青空」に掲載された短編小説。月と死を題材にした作品で、死への焦燥感、自我分裂(ドッペルゲンガー)の体験などを組み込み、幻想的な作品として人気の高い作品です。

病気療養で訪れたN海岸でK君と知り合った「私」、ある時、K君が溺死したことを面識のない「あなた」からの手紙で知ることになり、K君の死についての手紙を綴る、という物語。終盤にかけて月明かりの儚い描写が美しくもあり、切なく感じられる作品となっています。

みんなのレビュー

形骸は海へ翻弄を委ねたまま魂は月へと昇る、Kの澄んだ瞳へ堕ちる心地を云うのでしょうか。兎角銀波は知らず何処かへ誘われるようで、明晩の弓張月に、わたしは帰途の影に怯えながら、見詰められても見詰めてはいけない、そう云う瞳の彼のひとに逢いたくなります。

引用元:読書メーター

湯ヶ島時代

桜の樹の下には

読んでみて

1928年12月に発行された季刊同人誌「詩と詩論」に掲載された短編作品。「桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる」という有名な書き出しから始まる作品で、桜の花が美しいのは死体の腐敗した液を吸い上げている、という旨を「俺」が「おまえ」に語る物語。

転地療養のため、湯ヶ島へ訪れた際に、湯ヶ島の山桜を見物し、その美しさに感化されて描かれた作品と言われております。小説というよりは詩のような短文で構成されている作品で、美しい生の部分とその影である死の対照的な表現が印象的な作品です。

みんなのレビュー

人は、どんなに見た目が美しくとも 心の底まで綺麗な者など居ない。 皆、汚い部分を持っている。 寧ろその汚れた部分があってこそ、美しさが花開くのでは無いだろうか? 優しすぎる人、美しすぎる人が 不気味に見えるように、 あまりにも美しすぎる桜の、美しい理由。 それを 死体が埋まっている。 と考えた作者 やはり偉人は常人とは違う思考を持っているでしょう。

引用元:読書メーター

冬の蠅

読んでみて

1928年5月に発行された雑誌「創作月刊」に掲載された短編作品。温泉地へ療養に来た「私」が冬の季節の「蠅」に興味を持ち、次第に「蠅」を観察していくうちに病気療養をしている「私」と重ね合わせ、陰鬱な気持ちへとなっていく物語。

思うように病状が回復せず、目の前の光景がどこか淀んでいる「私」は、作者である梶井自身の暗い気持ちが込められております。蠅のように、自身の生死がきまぐれに左右されるという、終盤部分に思わずゾッとしてしまいますが、味わい深い作品となっております。

みんなのレビュー

冬に生きている蠅の様子を書いただけの作品かと思いきや、気まぐれで遠くに出かけて帰れなくなった出来事から冬の頼りなく生きる蠅についての論考を締めて終わっていて、その締め方が何だかハッとした。冬の蠅が生きていたのは自分が部屋にいて部屋が暖かかったからである。では自分はなぜ生きているのだろう?私自身に重ねて考えてみたりして、思索に耽ることができた。地味ながら好きな作品。

引用元:読書メーター

冬の日

読んでみて

1927年2月に発刊された同人誌「青空」2月号に前編・4月号に後編が掲載された短編小説。6章立ての構成で、結核が進行しつつある主人公・堯が、冬へと売り替わっていく季節の情景を眺めながら、病気への焦燥感と絶望感を綴った作品。

堯は梶井自身であり、結核の進行や血痰が続いてるのも当時の梶井の病状と同じものです。また、この作品は「未完」で終了しており、この後、梅の咲く春を描く予定でしたが、自身の病状が回復しないためか、堯が死ぬところを描くと自分も死んでしまうのではないかと思い、未完のまま終わらせたという逸話が残っています。

みんなのレビュー

梶井作品が、生前に評価されにくかった大きな原因は、散文っぽくないこと。なかでも「冬の日」は、情景描写が嫌いな読者には退屈きわまりないお話だろう。仲間の詩人たちには愛された作品だ。梶井は光と影によく注目しているが、小さな砂つぶの影を、ピラミッドのようだと感じるところ、急に画面が拡大されたかのようで病的に印象的だ。それにしても、久しぶりに読み返してみると、「ある崖上の感情」「Kの昇天」「瀬山の話」に通じる解離性&二面性が痛々しいなあ。。。

引用元:読書メーター

大阪時代

交尾

読んでみて

1931年1月1日に発行された同人誌「作品」に掲載された短編作品。肺病を患っている「私」が路地裏で交尾し合う白猫や、河瀬で交尾する河鹿を観察し、性欲への神秘さと郷愁を描いた作品。「私」は梶井基次郎自身のことです。

この作品には「その3」も未完で残されており、そちらではすっぽんの交尾について描かれています。猫の求愛や、河鹿の鳴き声など細かい部分も丁寧に描写されていて、ある意味ノンフィクションに近い幻想小説となっています。

みんなのレビュー

タイトルどおりの作品でした。猫の交尾と、そして河鹿の交尾のお話。別にいやらしいこともなく、寧ろ動物、生き物たちの可愛らしさについて書き綴られており、なるほど確かにそうかもな、と共感する部分もあり。これは作者の観察眼や捉え方があってこそのものなのでしょうね。

引用元:読書メーター

愛撫

読んでみて

1930年6月16日に発行された同人誌「詩・現実」の創刊号に掲載された短編作品。子猫を買っている「私」が、猫の耳を切符切りで切ったらどうなるか、や、猫の爪を全部切り落としたらどうなるか、などを空想する物語。

「私」は梶井自身がモデルとなっておりますが、他の作品と比べると、病気や死などを連想させる描写が出てこず、優しい雰囲気の作品となっております。この作品の描写について、一緒に湯ヶ島で過ごした川端康成は「作者の間隔が冴えている」と高く評価しております。

みんなのレビュー

今回は猫がテーマ。空想というより妄想じみた欲の匂いがみっともなくもありいじましくもあり。猫の耳を切符切りでパチンにゾッとし、爪のない猫がオワコンだと思ったり、ヤバめな妄想爆裂。飼いネコの手を化粧品にしてしまった女性の夢をみるオチだし。猫が好き過ぎて妄想が過ぎるのだろうけど、なんとも微妙な気分。ただ、爪のない猫が空想を失った詩人、早発性痴呆に陥った天才に例える件は良い。やっぱり梶井のセンス好きだな。

引用元:読書メーター

のんきな患者

読んでみて

1932年1月1日に発行された文芸雑誌「中央公論」に掲載された短編小説。全3章から構成されている作品。結核を患っている主人公・吉田が、同じ下町の同じ病で亡くなった人についての話や、母親との何気ない日常会話などの下町での暮らしぶりを描いた作品。

他の短編と違い、幻想的な描写や細かい情景などがあまり登場しない作品となっております。重くなっていく症状と同時に、段々と近づく死への実感という、重い現実を客観的に描いた作品で、梶井にとって初めての本格小説への意欲を見せた作品でもあります。

みんなのレビュー

梶井基次郎自身も31歳という若さで肺結核により亡くなっただけあって、病気の描写が切実。 咳をするときの音がなぜか“ヒルカニヤの寅”と聞こえるとかっていう感じは理解できる気がする。何度も繰り返し聞いているとワケノワカラン自分発明の造語が出来てしまうことがある。因みに自分は資源回収の音楽が‘僕等はいつもおずんつぁん’に聞こえてしょうがない。どうでもいい。 病床の心細さと誰かにあたらなくてはいられないイライラした気分を上手く描いた作品だと思う。風邪ひいて寝ているときなどに読むとより理解しやすいかもしれない。

引用元:読書メーター

まとめ

結核という重い病気を患いながら、日常生活やその独特な観察眼は多くの文豪たちから死後に評価されました。一部作品は、小説よりエッセイ等に近い一面を持ち合わせております。

ですが「檸檬」や「桜の樹の下には」、「愛撫」といった作品は自身の空想力を豊富な語彙力で表現し、「城のある町にて」では神秘的な情景を細やかに描写しております。どの作品も短編で読みやすい長さとなっているので、一度触れてみてはいかがでしょうか。

この記事をきっかけに、梶井基次郎作品に興味を持っていただけたら幸いです。

コメントを残す